54話
どこへ向かうのか分からないまま、アディエルに手を引かれて歩いていく。
辿り着いたのは、彼の部屋だった。
部屋に入ると、アディエルは「ちょっと待っててね」とだけ告げ、奥へと姿を消す。
しばらくして戻ってきた彼は、手早く風呂を済ませ、寝衣に着替えていた。
濡れた髪に、ふと覗く首元。
思わず目のやり場に困り、俯いてしまう。
彼の私的な空間にいるという事を意識してしまい、妙に落ち着かない。
「はい。熱いから気をつけて」
そう言って差し出されたカップを受け取ると、温かな湯気と共に甘い香りが立ちのぼった。
“お茶を”と言っていたが、中身はホットミルクのようだ。
表情に出ていたのか、アディエルがくすりと笑う。
「お茶だと、目が冴えちゃうからね」
隣に座るアディエルが手にしているのは、どうやらアルコールの様だった。
ホットミルクを一口含むと、優しい甘さが身体の奥に染み渡り、少しだけ気持ちがほぐれた。
「フィオナ、レッスンはどう? きつくない?」
「うん……デンゼルの講義は、すごく勉強になるし、楽しいよ」
心配してくれる声に、正直な気持ちを返す。
「ただ、ダンスの方は……」
出来ることが増えたとは言え、あまり上達していない自覚はある。
視線を彷徨わせる私に、アディエルは静かに問いかけた。
「……嫌じゃなかったら、どうしてダンスが苦手なのか、聞いてもいい?」
“苦手”の範囲を超えていることは、報告で知っているであろうアディエルの、言葉を選んでくれる気遣いが有難かった。
「……うん」
一度息を吐き、私は過去の出来事を語り始めた。
――十歳になる前のこと。
セレーナと共に、初めてダンスのレッスンを受けた。
数年早く習っていたセレーナを見ていた私は、自分もレディの仲間入りをしたようで、密かに胸を高鳴らせていた。
けれど、実際に踊ってみると、うまく身体が動かなかった。
そんな私に、講師は言った。
「セレーナ様のように踊ればいいんです」
ただの助言だったはずなのに、その頃すでにセレーナへの劣等感を抱いていた私は、その一言に打ちのめされてしまったのだ。
“セレーナのように”
それは、物心ついた頃から繰り返し聞かされてきた言葉。
“セレーナのように美しく”
“セレーナのように上品に”
そしていつしか、それは
“セレーナのようにできないフィオナ”
という言葉に変わっていった。
たった一度のレッスンで、セレーナと比べられているような気がして、私はダンスから逃げ続けた。
デビュタントの後も、セレーナが踊れば伯爵家の体面は保たれたから、私は壁際に身を潜め、時間が過ぎるのを待った。
それに――
“踊れない私”という理由は、レオリオに誘われない現実から目を背けるのに、ちょうどよかった。
話し終え、カップに口をつける。
広がる優しい味に、少しだけ開いた心の傷が癒される気がした。
アディエルは、何も言わず、ただ黙って耳を傾けてくれている。
「今思えば……セレーナのせいにして、できない自分を受け入れられなかっただけなのかもしれない」
初めて習う自分が、何年も踊ってきたセレーナと同じように踊れるはずがなかった。
それなのに“できない自分”を認めることができなくて――
周りやセレーナのせいにして、逃げだしたのだ。
そんな自分が情けなくて、自然と視線が落ちる。
すると、アディエルがそっと肩を抱いた。
「今のフィオナは、苦手なことにも懸命に向き合っているじゃないか」
顔を上げると、彼は優しく微笑んでいた。
「それに、弱い自分を受け入れようとしている。そんな君を、僕は……」
アディエルは言葉を切り、肩を抱く腕に、少しだけ力を込めた。
「……僕は、尊敬しているよ」
「……ありがとう」
その言葉が胸に沁みて、素直に礼を告げた。
「でもね……アディエルのおかげだよ」
「僕の?」
「……うん」
私は、そっと彼の腕に身を預ける。
温かな腕の中が、心地いい。
「アディエルが……大切に……してくれる私を……私も、大切にしたい……」
言葉を紡ぐうちに、瞼が重くなり、口も思うように動かなくなる。
このままではアディエルに迷惑をかけてしまう。
そう思うのに、彼の温もりに包まれると、睡魔に抗えなかった。
私は、最後まで想いを伝えることなく、そのまま、意識を手放してしまったのだった。




