51話
「フィオナ、ネクタイ取ってくれる?」
「う、うん……」
アディエルに声をかけられた私は、なぜか彼の部屋のクローゼットにいた。
あの後、朝食を摂りに食堂へ向かうことになり、その流れでアディエルの身支度を手伝うことになったのだ。
驚いたことに、アディエルは着替えなど身の回りのことを、ほとんど自分でこなしているらしい。
広いクローゼットの中には、礼服やスーツが整然と並んでいる。
薄い引き出しを開けると、そこには色とりどりのネクタイが収められていた。
その中から、先ほどちらりと見た今日のスーツに合いそうな、落ち着いたブラウンの一本を選び取る。
「これでいいかな?」
「うん。完璧」
シャツの襟を立てながら、アディエルが笑った。
「はい」
そう言ってネクタイを差し出すと、アディエルはそれを受け取らず、私の前に立つ。
「ネクタイ」
「え?」
「フィオナ、やって」
「えっ?!」
思わず声を上げると、アディエルは楽しそうに笑った。
どうやら冗談だったらしい。
なんだか悔しくなって、私はそのままネクタイをアディエルの首に掛けた。
今度は逆に、彼の方が驚いたように固まる。
その様子が嬉しくて、溜飲が下がる。
とはいえ、ネクタイなんて結んだことのない私は、見様見真似で試してみたものの、やはりうまくいかなかった。
その様子を見かねたアディエルが、そっと私の手を取る。
「こうするんだよ」
そう言って、私の手を導きながら、器用にネクタイを結んでいく。
するすると手の中を滑る生地が、くすぐったい。
あっという間に結び終えると、せめてもの気持ちで、最後にネクタイの形を整えてあげる。
ほとんどアディエルが結んだようなものなのに、なぜか達成感があり、思わず満足そうに笑ってしまった。
すると、アディエルがそっと顔を近づけてくる。
「なんだか、夫婦みたいだね」
その一言で、一気に顔が熱くなった。
慌てて距離を取ると、アディエルはまた楽しそうに笑う。
「もうすぐ本当に夫婦になるんだけどね」
…そうなのだけれど、まだ実感が湧かない。
アディエルと夫婦になる――そう考えるだけで、頭が沸騰してしまいそうだ。
でも、こうして一緒に朝を過ごす日々は、きっと楽しいのだろう。
ちらりと彼を見ると、アディエルは先程贈ったネクタイピンを身につけていた。
その嬉しそうな様子に、自然と口元が緩む。
「良かった……」
「ん?」
小さく呟くと、アディエルが首を傾げる。
「男性にプレゼントを贈るの、初めてだったから……喜んでもらえるか不安だったの」
そう告げると、アディエルは私の肩をそっと掴んだ。
「初めて? 僕が?」
「う、うん……」
頷くと、彼は私のおでこに、自分のおでこをそっと重ねる。
あまりの近さに、思わず息を止めてしまう。
「……ありがとう」
そう囁かれ、彼が離れると、私はようやく息を吐いた。
アディエルは微笑みながら手を差し出す。
その手に自分の手を乗せると、自然に指が絡められた。
「行こう」
そう言われ、二人で手を繋いで部屋を出る。
絡み合う指先が、昨日よりも少しだけ熱く感じられたのだった。




