48話
部屋に戻ると、今日買った荷物がテーブルの上に並べられていた。
「レイラ、刺繍糸は……」
そう言いながら彼女を見ると、すでに裁縫道具の入った箱を抱えている。
「すぐにお使いになるかと思い、準備しておりました」
「……ありがとう」
箱を開けると、中には色とりどりの刺繍糸が揃っていた。
きっと、レイラは一足先に屋敷へ戻ってから、用意してくれたのだろう。
その仕事の早さに驚きながらも、私の気持ちを察して動いてくれることが嬉しくて、改めて礼を伝えた。
「ふふふ。まずは、お休みの準備から済ませましょう」
「……うん」
レイラの提案に従い、備え付けの風呂に入り、寝衣へ着替える。
部屋へ戻ると、テーブルには温かいお茶と刺繍道具が整えられていた。
あまりの手際の良さに、思わず小さく苦笑してしまう。
「フィオナ様、私はそばに控えておりますので、何かございましたらいつでもお声がけくださいね」
そう言って微笑むレイラは、どこか楽しそうだった。
ふと、伯爵家にいた頃の彼女は、これほど明るかっただろうかと考える。
「レイラ……公爵家に来てから、明るくなったよね」
口にした瞬間、胸の奥に不安が芽生えた。
伯爵家では、使用人たちにとってセレーナの影響力は絶大だった。
崇拝と言ってもいいほどで、彼女に近い者とそうでない者との間には、確かな差があった。
もしかして――
私付きになったせいで、見えないところで嫌な思いをしていたのではないか。
私の表情から不安を察したのだろう。
レイラは、そっと私の手を取った。
「……フィオナ様がご心配なさっているようなことは、ございませんでしたよ」
その言葉に彼女の目を見るが、不安はすぐには消えない。
すると、レイラは私の手を少しだけ強く握った。
「……一時期、そのようなことがあったのは事実ですが……」
そう言って、ほんの少し目を伏せる。
胸がきゅっと締め付けられ、申し訳なさが込み上げた。
「ですが、事態に気付いた伯爵様は、それをお許しになりませんでした」
顔を上げると、レイラは穏やかに微笑んでいた。
「まだフィオナ様が幼い頃でしたので、覚えておられないかもしれませんが……大勢の使用人が解雇されたのですよ」
言われて記憶を辿る。
確かに、ある日を境に見慣れない使用人が増えたことを思い出した。
それだけの人が去ったということは、レイラもそれだけ辛い思いをしたということだ。
やはり、申し訳ない。
私付きにならなければ。
私が、セレーナのように美しければ。
そんな思いをさせずに済んだのに。
「フィオナ様」
俯く私に、レイラが優しく声をかける。
顔を上げると、そこには温かな微笑みがあった。
「私は、自分の意思で、フィオナ様の専属メイドになったのです」
「……え?」
「……あれは、私が伯爵家へ来て間もない頃でした」
驚く私に、レイラは懐かしそうに目を細める。
「任された仕事も上手くこなせず……お恥ずかしながら、庭先で隠れて泣いていたんです」
「レイラが……?」
今の彼女からは想像もつかず、思わず声が漏れる。
「ふふふ。私は、人一倍不器用なんですよ。……刺繍などさせたら、何を描いたのか分からないほどです」
内緒話の様に打ち明けられる事実に驚くしかない。
彼女と共に過ごす中で、不器用さなど微塵も感じたことがないからだ。
…それは、レイラが人一倍努力をした証なのだろう。
「……あの日も、大切なお皿を割ってしまって。メイド長に叱られて……仕事が向いていないのではないかと、泣いていたんです」
照れくさそうに笑うレイラは、いつもより少し幼く見えた。
「もう辞めて、実家へ戻ろうかと考えていました。……その時、フィオナ様がいらっしゃったのです」
「私が?」
「はい。……木の後ろから、そっと様子をうかがっていらして……」
遠い記憶を辿るように、レイラの表情は慈愛に満ちていく。
「しばらくしてから、小さな足音で駆け寄ってきて……チョコレートを、くださいました」
「チョコレート?」
「はい」
そう答えると、レイラは当時を思い出したのか、くすりと笑った。
「ずっと握っていらしたのでしょうね。いただいたチョコレートは、溶けて形が変わっていました」
その言葉に、幼い頃とはいえ自分の行動を思い出し、思わず頬が熱くなる。
そんな私を宥めるように、レイラはやわらかな微笑みを向けた。
「フィオナ様はきっと、どうしたらいいのか沢山悩まれて……勇気を出して、私のところへ慰めに来てくださったのだと。溶けたチョコレートを見て、そう思ったのです」
幼い頃――レオリオと出会う前の私は、ひどく内向的だった。
両親を介さなければ、使用人たちとさえ言葉を交わせないほどだったと聞いている。
…そう考えると、苦い結果になったが、レオリオとの出会いは私を変えてくれた出来事の一つだと、意味のある出会いだったのだと、そう前向きに捉えられる気がした。
「その時に、私はフィオナ様に末永くお仕えしようと決めたのです」
レイラの声に顔を上げる。
そこにあったのは、変わらぬ優しさを湛えた微笑みで――なぜだか、胸の奥がじんと熱くなった。
「先ほど、明るくなったと仰いましたが……それは、フィオナ様の笑顔が増えたからだと思います」
「……私が?」
「はい。伯爵家にいらした頃のフィオナ様は、いつも……お辛そうでしたから」
確かに、あの家にいた頃の私は、常にセレーナと自分を比べては卑屈になっていた。
レオリオに振り向いてもらえない自分を、ひたすら責め続けていた。
公爵家に来てからも、後ろ向きな癖が消えたわけではない。
それでも――以前より、ずっと息がしやすくなったのは確かだった。
「ですから私は、フィオナ様の笑顔を守るため、精一杯お仕えさせていただきます」
そう言って微笑んだレイラは、内緒話でもするかのように声を潜めた。
「刺繍だけは……どうか当てにしないでくださいね」
思わず吹き出し、レイラと顔を見合わせて笑い合う。
公爵家に来てから、私は今まで気づけなかったことに、沢山気づかされた。
レイラのことも、その一つだ。
長年そばにいてくれたのに、私は彼女の多くを知らなかった。
……いや、知ろうとしなかったのかもしれない。
いつでも自分を悲劇のヒロインに仕立て上げ、不幸を嘆くだけで。
けれど、顔を上げれば、こんなにも大切に想ってくれる人たちがいる。
これからは――
大切にしてくれる人を、大切にできる人になりたい。
――大切な人。
その言葉に、真っ先に浮かんだのはアディエルの顔だった。
そっと、今日買ったハンカチを手に取り、胸に抱く。
この想いを込めて、刺繍をしよう。
そう、私は静かに心に決めたのだった。




