46話
「フィオナ?」
聞き慣れた声に、心臓が跳ねた。
私は、ゆっくりと振り返る。
そこにいたのは――
「レオリオ……」
名を呟くと、レオリオはいつものように笑顔で近付いてくる。
隣りに居たレイラが思わず、という様子で前に出るのを、そっと止めた。
古い付き合いではあるが、レオリオは侯爵家の人間だ。
メイドが前に出るのは失礼にあたる。
それでも、レイラが私を守ろうとしてくれた気持ちが伝わって嬉しかった。
「大丈夫」と気持ちを込めて微笑むと、レイラは一礼をして一歩後ろに下がった。
「えっと……久しぶりだよな、フィオナ」
「……そうだね」
顔を合わせるのは、彼がセレーナと共に公爵家へ押しかけてきた、あの夜以来だ。
「元気そうで、良かった」
「……ありがとう」
気まずい空気に、早くこの場を離れたくなる。
以前はどんなふうにレオリオと話していたのか、もう思い出せない。
「あのさ。アディエルと婚約したって聞いたけど……フィオナは、それでいいの?」
「……どういう意味?」
問いの意図が分からない。
分からないのに、胸の奥がざわつき、思わず眉を寄せてしまう。
「ほら、その……アディエルはセレーナのことが好きだろ?そんな奴のそばにいて、フィオナは幸せになれるのかなって」
その言葉に、胸の奥で何かが弾けた。
何故、レオリオにアディエルの気持ちを決めつけられなくてはならないのか。
何故、レオリオに私の幸せを決められなくてはならないのか。
アディエルの気持ちは気付くのに、私の気持ちには気付かなかった彼に腹が立つ。
怒りに震える手を握りしめ、真っすぐレオリオの視線と向かい合う。
「あなた“達”と一緒にいた頃より、ずっと幸せだよ」
彼らから離れて初めて知った、あの頃の日々の歪さ。
セレーナを世界の中心のように扱うレオリオ。
それを当然のように受け入れるセレーナ。
その狭間で、期待しては失望し、自分を嫌いになっていった。
愛されるセレーナと自分を比べ、何度も自分の価値を貶めていた。
そんな日々と比べれるまでもなく、今は穏やかで温かい気持ちで過ごしている。
それは“幸せ”以外の何物でもなかった。
「そ、そっか……。困ったことがあったら、いつでも言ってくれよ」
そう笑うレオリオを見て、そんな日は来ないだろうと思った。
だって今の私には、アディエルがそばにいてくれるから。
――なんだか今すぐ、アディエルに会いたい。
そう思った瞬間、ふわりと後ろから温もりに包まれた。
振り向かなくても分かる。
日向のような、優しい匂い。
私は、この温もりを知っている。
「困ったことが起きても、君のところへは行かないよ」
後ろにいる彼がそう告げ、抱き寄せる腕に少し力が込められた。
「あ……そ、そうか。じゃあ、俺はもう行くよ。……それじゃ」
レオリオはそう言い残し、人混みの中へ消えていった。
その背を見送ってから、私はそっと後ろの人物――アディエルに声をかける。
「アディエル、どうしてここに?」
「…………」
アディエルは何も言わず、肩に顔を埋めた。
いつもとは違う様子に、心配になる。
「……どうしたの?」
「……僕、格好悪いね」
「え?」
驚いて声を上げると、アディエルはゆっくりと離れた。
温もりが去り、思わず名残惜しさを覚える。
振り向いた先にいたのは、眉を下げ、落ち込んだ表情のアディエルだった。
落ち込む理由が分からず、焦ってしまうが、気の利いた言葉が見つからなくて、更に焦ってしまう。
そんな私に気付いたアディエルが、困った様に笑った。
「とりあえず……馬車に乗ろうか」
アディエルにエスコートされ、馬車に乗り込む。
レイラは外で待機していた。
「……はぁ。用事が早く終わったから、フィオナと一緒に過ごしたくて探してたんだ」
隣のアディエルは、顔を手で覆い、俯いてしまう。
「馬車を見つけて近付いたら……君とレオリオが話しているのが見えて……」
その先を、アディエルは言わなかった。
もしかしたら、以前レオリオに強引に手を引かれ、足の怪我が悪化したのを思い出し、心配してくれたのかもしれない。
「大丈夫。話してただけだよ」
安心させたくて微笑むと、アディエルは複雑そうな表情を浮かべる。
「……とにかく、もっと冷静に立ち回りたかったのに。気持ちが先立って……格好悪かった」
何をそんなに気にしているのか、いまいち分からなかった。
それでも――あの瞬間、彼が来てくれたことが、嬉しかった。
私はそっと、アディエルの手を握る。
「あの時ね、アディエルに会いたいって思ったの。そしたら本当に現れて……嬉しかった」
恥ずかしくなって俯く。
それでも、気持ちは伝えたかった。
「……僕に、会いたいって思ったの?」
「うん。レオリオに、アディエルと一緒にいて幸せになれるのかって聞かれたの」
握られた手に、きゅっと力がこもる。
私は宥めるように、握り直した。
「それで……今、幸せだって答えたとき、アディエルに会いたくなったの」
照れくさくて、手を離そうとしたが、アディエルが逆に私の手を握りしめ、離れられなかった。
「フィオナ。こっちを見て」
アディエルの声に、ゆっくり視線を隣に向けると、アディエルの真剣な眼差しにどきりと胸が鳴る。
「…フィオナは、今、幸せなの?」
どこか不安そうで、確かめるようなアディエルの声に、恥ずかしさにそらしたくなる視線を堪え、彼の目を見つめて答える。
「幸せだよ」
その言葉に、アディエルはほっとしたように力を抜く。
そして、私の手を額に当て、静かに呟いた。
「僕も……幸せだ」
その声が胸に染み渡る。
アディエルが幸せだと、私はもっと幸せな気持ちになるみたいだ。
その事が嬉しくて、自然と笑顔になる。
そんな私に気付いたのか、アディエルは顔を上げると、握った手を離し、両手を広げる。
何か分からず首を傾げると、アディエルは笑顔になった。
「ハグしよう」
「えっ?!」
思わず声が裏返る。
「この気持ちを分かち合うなら、ハグが一番だと思わない?」
「……思わない、って言われても……」
視線を彷徨わせる私とは対照的に、彼は余裕そうだ。
「僕とハグ、嫌?」
そう聞かれると、否定できない。
少し迷ってから、私は思い切って彼の胸に飛び込んだ。
優しく受け止められた腕の中は、やはり温かく、心地よい。
抱き締め返すと、アディエルは頭を擦り寄せてくる。
首筋に髪が触れて、くすぐったい。
身を捩ると、逃がさないと言うように、強く抱きしめられた。
「フィオナ……」
何かを言いかけたまま、アディエルは言葉を飲み込み、静かに顔を伏せる。
私はこの時間が、もう少しだけ続いてほしくて。
目を閉じ、彼の温もりに身を委ねた。




