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選ばれなかった、私たち  作者: おはよう


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35話


暫く抱き合ったあと、そっと身体を離した。

なんだか気恥ずかしくて、互いに目を逸らしてしまう。


その妙な空気を変えるように、アディエルが小さく咳払いをした。


「えっと……こんな情けない僕だけど、改めてよろしくね」


そう言って笑うアディエルの頬は、まだほんのりと色づいている。


「私こそ……アディエルを支えられるように、頑張る」


そう微笑むと、アディエルは一瞬手を彷徨わせたあと、そっと私の頭を撫でてくれた。


「無理はしてほしくないけど……うん、頼りにしてる」


“頑張るな”とは言わない、彼なりの気遣いが嬉しかった。




そのまま、アディエルの仕事の話や公爵家のことなどを話していると、ふいにノックの音が響いた。


返事をすると、公爵夫人と、茶器を載せたワゴンを押すマーシャが入ってくる。


慌てて立ち上がろうとした私を、夫人はそっと手で制した。


「そのまま座ってて」


そして、からかうような口調で言う。


「さあ、アディエル。フィオナさんを独占する時間はおしまいよ」


夫人の言葉に、マーシャはにこやかにお茶の準備を始める。


用意されたカップが二つしかないのを見て、アディエルは苦笑を漏らした。


「分かりました。母上に譲りましょう」


席を立ったアディエルは、部屋を出る間際に振り返り、「フィオナ、また後でね」と軽く手を振る。

小さく手を振り返っていると、背後で夫人の楽しげな笑い声が聞こえた。


夫人を見ると、目を細め、どこか満足そうに微笑んでいる。

マーシャが淹れてくれたお茶に口をつけたあと、夫人はゆっくりと話し始めた。


「フィオナさんに、感謝を伝えたくて来たの」


「感謝……ですか?」


ここへ来てからのことを思えば、感謝を伝えるべきなのは、どう考えても私の方だ。

そう思い、戸惑いながら問い返すと、夫人は静かに頷いた。


「ええ。アディエルが変わったのは、あなたのお陰だと分かったから」


思い当たることがなく、首を傾げるしかない私に、夫人は続ける。


「一時期のアディエルはね……自分をわざと傷付けるような、そんな生き方をしていたの」


夫人の話を聞き、セレーナの事が浮かんだ。

セレーナの隣に居たアディエルは、彼女とレオリオの事にも気付いていた。


アディエルがどんな生き方をしてたのかを考えるだけで、胸が痛む。


気付かぬ内に、暗い顔になっていたのだろう。

夫人は殊更明るく笑った。


「でもね、ある日を境に、アディエルの“目”が変わったのよ」


「……目、ですか?」


「ええ。…生気が戻ったというのかしら」


そう語る夫人の表情は、紛れもなく、我が子を想う母のものだった。


「実はね、昨日――伯爵家へ向かう前に、アディエルは私たちのところへ来たのよ」


「公爵様と……夫人のところへ?」 


問い返すと、夫人は優しく微笑みながら頷いた。


「“大切にしたい人がいる”って」


――大切にしたい人。

それが自分のことなのだと思うと、胸の奥がきゅっと締め付けられる。


そんな私の反応を見て、夫人はからかうように笑った。


「公爵様の若い頃にそっくりで、とても格好良かったわよ」


そう語る夫人の表情から、公爵様との深い信頼と仲の良さが自然と伝わってきた。


「昨日話を聞いて、アディエルを救ってくれたのは、あなたなんだって気づいたの」


「そんな……救うだなんて……」


自分がそんな大それた存在だとは、思えなかった。


「ふふふ。大袈裟に聞こえたかしら?でもね、親の目から見れば、それほど大きな変化だったのよ」


「……寧ろ、私の方が、いつも救われています」


アディエルがそばにいてくれなかったら、私はきっと、もっと心を閉ざしていただろう。


「ふふ。人はね、自分を大切にできなければ、他人も大切にできないものよ」


「……え?」


「昨日、アディエルから“大切にしたい人がいる”って聞いた時、この子は自分自身のことも、ちゃんと大切にしているんだって思えて……とても嬉しかったの」


そう語る夫人の表情は、本当に嬉しそうで、その喜びが伝わるように、私の胸までじんわりと温かくなった。



夫人はちらりと時計に目をやり、そっと立ち上がる。


「長くお邪魔してしまったわね」


「いえ……お話しできて、良かったです」


そう告げると、夫人は優しく微笑んだ。


「ここを自分の家だと思って、ゆっくり過ごしてね」


「ありがとうございます」


そう返すと、「また、お話ししましょう」と言い残し、夫人は部屋を後にした。




一人残された私は、夫人の言葉を思い返していた。


私がアディエルを救っただなんて、やはり実感は湧かない。


それでも――彼にとって、何か意味のある存在でいられるのなら、それだけで嬉しいと思えた。



目を閉じ、アディエルのことを思い浮かべる。

いつも優しい人。

いつも穏やかに微笑む人。

それでも臆病なところがあって、ひとりで苦しみを抱え込んでしまう人。


そんな彼の“居場所”になれたらいい。

泣きたい時には、そっと寄り添っていたい。

傷ついた時には、慰めてあげたい。

悩んだ時には、一緒に考えてあげたい。


彼が、私にしてくれたように。


ふと――この想いが、「大切にする」ということなのかもしれない、と思った。


『自分を大切にできなければ、他人も大切にできない』


夫人の言葉が、胸の奥で静かに蘇る。

もしそうだとしたら、私は今、ほんの少しだけ、自分のことも大切にできているのだろうか。


それは、なんだかくすぐったくて、それでも確かに、温かいものだった。



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