34話
部屋に着くと、アディエルはそっと私をソファに下ろしてくれた。
少しの沈黙のあと、先ほどから胸の内に引っかかっていたことを、私は思い切って口にする。
「……アディエルは、公爵位を継ぎたくなかったの?」
本当は当主になりたくなかったのに、私との婚姻のせいで、その道を選ばざるを得なくなったのなら——
そう思うと、胸の奥がちくりと痛んだ。
問いかけに、アディエルは一瞬困ったように笑う。
それから私の隣に腰を下ろし、深くソファの背に身を預けた。
いつも見上げていた彼の視線が、少し低い位置にある。
それが、なんだか不思議だった。
「……僕が臆病だって話、憶えてる?」
「……うん」
ソラリス伯爵家の庭園で話した日のことを思い出す。
あの日も、アディエルは傷ついた私の傍にいてくれた。
「僕はね、人から嫌われるのが怖いんだ」
「……怖くない人なんて、いないと思うけど」
そう答えると、アディエルは小さく苦笑いを浮かべた。
「父の仕事を手伝うようになってさ。公爵としての父の顔を見ることが多くなったんだ」
目を閉じ、静かに語り始めるアディエルの声に、私は何も言わず耳を傾ける。
「父は、結構優秀でね。離れた領地の経営も、外交府長官としての仕事も、器用にこなす」
そう語るアディエルの表情は、誇らしさの中に、ほのかな苦味を滲ませていた。
「そんな父の姿を見るたびに……自分が同じようにやれるとは、どうしても思えなくて」
言葉を探すように一度息を吐き、アディエルは両手で顔を覆う。
「皆を……がっかりさせてしまうんじゃないかって。そう思うと……怖いんだ」
絞り出すような声に、胸の奥が締め付けられる。
公爵家の一人息子として。
次期当主として。
周囲から寄せられる期待と責任の重さを、彼はずっと一人で背負ってきたのかもしれない。
不安や恐怖を優しい笑顔で、周りの人や自分自身からも、隠していたのかもしれない。
そう思うと、無性に切ない気持ちになり、私はいつもより低い位置にあるアディエルの頭に、そっと手を伸ばした。
撫でると、細く柔らかな髪が掌をくすぐり、妙に落ち着く。
アディエルは一瞬、驚いたように肩を震わせたが、身を委ねるように力を抜いた。
「……怖くても、いいと思う」
アディエルの髪を撫でながら、胸に浮かんだままの言葉を口にする。
――以前、彼が私に伝えてくれたように。
「ありのままを、否定しなくていいんでしょ?」
その言葉に、アディエルははっとしたように顔を上げ、私を見つめた。
私自身、まだ自分を受け入れられているわけじゃない。
それでも、あの日アディエルが教えてくれたから――
ゆっくりでも、自分のありのままを受け入れていきたいと思えるようになった。
そんな想いが伝わるよう、そっと微笑むと、アディエルは一瞬、泣き出しそうな表情を浮かべた。
「フィオナ……」
そう呟いたかと思うと、優しく抱きしめられる。
私は少しだけ戸惑いながらも、恐る恐る腕を回して抱き締め返した。
アディエルがいつも私に与えてくれる安らぎが、彼に伝わるよう願いながら。




