100話
「わぁ……綺麗……」
想いを確かめ合った翌日、私はアディエルと共に、王都の外れにある湖までやってきた。
目の前に広がるコバルトブルーの水面は、陽の光を受けてきらきらと輝いている。
その美しい景色を食い入るように見つめていると、隣に並ぶアディエルが、そっと私の肩を抱いた。
「気に入った?」
「とっても」
見上げれば、優しく微笑むアディエル。
彼の髪もまた陽の光を受けて輝き、いつも以上に格好良く見えて、胸の奥が跳ね上がった。
景色を存分に楽しんだあと、私たちは大きな木の下に敷物を広げ、公爵家の料理人が持たせてくれたバスケットを開く。
クロワッサンのサンドウィッチとサラダ。
それにクッキーとマドレーヌ。
大きなポットには、温かな紅茶が入っていた。
「はい」
アディエルが、サンドウィッチをひとつ手渡してくれる。
中身は生ハムとチーズに葉野菜。
私の好きな組み合わせを、アディエルは知っていたのだろうか。
ちらりと彼の手にしたサンドウィッチを見ると、そこにはクリームチーズに、たっぷりのブルーベリージャムが挟まっている。
――アディエルは甘いものが好き。
私はそれを、こっそりと心に刻んだ。
「フィー、おいで」
食後、紅茶を飲んでいると、隣に座るアディエルが両手を広げた。
何事かと、手にしていたカップを置き、そろそろと近づく。
すると、あっという間にアディエルの腕の中に閉じ込められてしまった。
「アディエル、重くない?」
彼にもたれかかるような体勢に、不安になって声をかける。
けれどアディエルは、なんでもないように首を振った。
「全然」
そして、少し不服そうに眉を寄せて言う。
「それより、名前」
「えっと……」
その視線に耐えきれず、私は思わず目を彷徨わせてしまった。
互いに愛称で呼び合うようにはなったものの、人前で呼ぶのは恥ずかしくて、どうにか「二人きりの時だけ」と納得してもらった。
けれど、その二人きりの時でさえ気恥ずかしくて、なかなか愛称で呼ぶことができない。
「フィー?」
「……エ、エル……」
促され、なんとかそう呟くと、褒めるように頭を撫でられた。
ちらりと顔を見上げれば、アディエルは嬉しそうに微笑んでいる。
その表情を見て、もう少し自然に呼べるように練習しようと、私はこっそり両手を握りしめた。
そんな私を見つめていたアディエルは、くすくすと笑うと、流れるような仕草で額に口付けを落とす。
続いて、そっと顎に手を添えられ、目尻、頬、鼻先へと、彼の唇が移動していく。
思わず口元を覆うと、アディエルは楽しそうに声を上げて笑った。
「ははは! フィーのそういう所も、好き。…ちょっと残念だけどね」
「だって……夢だったんだもん」
口元を押さえたままそう言うと、アディエルは先を促すように首を傾げる。
「……初めての口付けを結婚式でするのが、子供の頃からの夢だったの」
子供っぽい夢が気恥ずかしくて視線を逸らすと、アディエルはもう一度、優しく額に口付けを落とした。
「フィーの夢を叶えられるのが、僕であることが嬉しい」
その言葉に顔を上げると、柔らかく微笑むアディエルがそこにいる。
子供の頃、想像していた“初めての口付け”をする相手の顔。
あの頃は黒いもやがかかっていたけれど、今ははっきりとアディエルの姿に変わっている。
それが嬉しくて、私はそっと身体を伸ばすと、アディエルの頬に軽く口付けた。
アディエルは驚いたように一瞬固まったあと、慌てたように自分の手で顔を覆ってしまう。
指の隙間から見える頬が赤く染まっていて、なんだかくすぐったいような気持ちになった。
一人上機嫌に笑っていると、アディエルはちらりとこちらへ視線を寄越し、囁くように呟く。
「フィー……もう一回」
恥ずかしくて少し迷ったけれど、その声に応えるように、私はもう一度そっと身体を伸ばしたのだった。




