99話
想いが通じ合った余韻が残る中、アディエルと温室を散歩することにした。
このまま、それぞれの部屋に戻ってしまうのが、どうにも名残惜しかったのだ。
繋がれた手に力を込めれば、同じ力で返ってくる。
それだけで口元が緩んでしまう。
一応、花々に視線を向けてはいるけれど、私の意識はほとんど隣を歩くアディエルに向かっていた。
「フィオナ、朝食は済ませた?」
「うん。ローズのところで」
「ふーん……」
手を握ったり、指を絡めたりしながら歩いていると、突然アディエルが足を止めた。
「どうしたの?」
そう尋ねると、ぎゅっと抱きしめらる。
「……名前」
「うん?」
意味が分からず首を傾げると、アディエルは抱きしめる腕に力を込めた。
「僕も、愛称で呼んでほしいんだけど……」
「えっと……」
言い淀むと、アディエルは少しだけ身を離し、顔を覗き込んでくる。
期待に満ちたその眼差しに、顔が熱くなった。
「…………っ」
初めて呼ぶわけではないのに、喉の奥で引っ掛かるように声が出てこない。
けれど、呼ぶまで離さないと言うように、再び抱きしめられて――
意を決して、口を開いた。
「…………エ……ル」
囁くような、小さな声。
それでもアディエルは嬉しそうに頬を擦り寄せてくる。
「フィー」
そう呼ばれた瞬間、胸の奥がきゅっと掴まれたように甘く痺れた。
まるで、心臓ごと抱きしめられているみたいだ。
「……エル」
もう一度呼ぶと、アディエルの吐息が頬を撫でていった。
何度か名前を呼び合い、満足したのか、アディエルは再び歩き出す。
ゆっくりと一周し、温室の出口へ辿り着いた。
アディエルが扉を開き、支えてくれる。
けれど、一歩踏み出そうとして――足が動かなかった。
「どうしたの?」
心配そうに声をかけられても、動き出せない。
なんだか、ここから出るのが怖くなってしまったのだ。
「フィー」
優しい声音に呼ばれ、視線を上げる。
柔らかな微笑みを見た途端、胸が詰まり、思わずアディエルに抱きついてしまった。
何も言わず、そっと髪を撫でてくれる手の温もりに、堪えていた涙が一つ、また一つと零れ落ちる。
「フィー、顔を見せて」
促され、おずおずと見上げると、アディエルは指先で涙を拭ってくれた。
「……なんだか、怖くて」
「うん」
「ここから出たら……夢から覚めちゃう気がして……」
初めて知った、想いが通じ合う喜び。
けれど、その喜びが大きければ大きいほど、胸の奥に同じだけの不安が広がっていくのは――どうしてなのだろう。
胸の奥から溢れてくるその不安を、吐き出すように口にすると、アディエルはそっと目元に口付けた。
ゆっくり目を開くと――次の瞬間、身体がふわりと浮く。
「きゃっ……!」
突然の浮遊感に、思わずしがみつく。
「フィーが安心するまで、離さない」
「え?!」
アディエルは、くるりと回ったり、小さく跳ねたりし始める。
予測できない動きに必死で腕に力を込めていると、いつの間にか温室の外へ出ていた。
「今日は、ずっと一緒にいよう。……明日も、明後日も」
「……お仕事はどうするの?」
忙しいアディエルのことを思い、そう尋ねると、彼は得意げに口元を引き上げる。
「休みを取るために、頑張ってたんだよ」
「本当に?」
「うん」
楽しそうに笑うその顔を見ていると、嬉しさがじわじわと胸に広がっていく。
アディエルに抱えられたまま、何をしようかと笑い合う。
気付けば、涙も、不安も――すっかり引っ込んでいたのだった。




