幕間
「アディ、本当にフィオナと結婚するの?」
王宮の一室。
ソラリス伯爵から“話がある”と伝え聞き、足を運んだ先にいたのは――セレーナひとりだけだった。
「……嘘までついて呼び出して、聞きたいことがそれか」
低く言うと、セレーナは少しも悪びれず肩をすくめた。
フィオナとの結婚は、すでに決定事項だ。
ランフォード公爵家とソラリス伯爵家、双方で正式に話を済ませている。
それに、先日ランフォード公爵邸で開かれた食事会にも、セレーナは同席していたではないか。
それなのに、まるで初めて聞いたかのように問いかけてくる。
その意図が、理解できなかった。
「……だって、私がレオリオと婚約したからでしょう?」
「は?」
思わず喉の奥で、短く息を吐き捨てた。
何を言っている。
その言葉が、胸の内で荒々しく渦を巻く。
彼女が何を言っているのか、本気で分からない。
なぜ、ここでレオリオの名が出てくるのか。
「アディは、私のことが好きだから。レオリオと婚約した私の気を引くために、フィオナと婚約したんでしょう?」
少しの迷いも疑いもない口調。
自分の考えが正しいと、当然のように信じ切った声音だった。
あまりの独善に、言葉を失う。
「ふふ。いつもそうでしょう?アディは、私が他の人のところへ行くと、気を引こうとして私から離れるじゃない」
頬を染め、嬉しそうにくすりと笑うセレーナ。
――その姿を、美しいとは思えなかった。
自分が世界の中心で、誰もが当然のように自分を想っている。
本気でそう信じて疑わない在り方は、なんて傲慢なのだろう。
「……確かに、君に好意を抱いていた時期はある」
静かに、言葉を選んだ。
「だが、それは遠い昔の話だ」
そう言うと、セレーナは不思議そうに首を傾げた。
「でも、いつも私のそばに居たじゃない」
蝶のように男たちの周りを飛ぶセレーナへの想いを手放した時、本当は彼女から距離を取るつもりだった。
規則正しく並べられた花壇の花で居続けようとは、思えなかった。
蝶がどの花を選ぶのかを、ただ黙って待つだけの存在にはなりたくなかった。
それでも僕が引き留められた理由は、ただひとつ。
フィオナが居たからだ。
最初は、自分と同じように選ばれることを願い、健気に想い続けている彼女が不憫だった。
けれど、そばにいるうちに、彼女が抱える傷に気づき、守りたいと思うようになった。
いつの間にか――
僕は、彼女の居場所になりたいと願っていた。
レオリオのために着け続けている、あのリボンの存在が無性に気に障るようになったのは、いつからだっただろう。
そう考えると、僕はずいぶん前から自覚するよりも先に、フィオナに恋心を向けていたのかもしれない。
何も言わずにいると、セレーナはくすくすと笑い出した。
「拗ねなくても大丈夫よ。私はアディのことも好きだから」
――アディの事“も”。
期待していたわけでも、望んでいたわけでもない。
それでも、自分が花壇に並んだ花の一つ。
その他大勢の中の一人でしかなかったという事実に、虚しさが込み上げた。
同時にそんな彼女を想っていた自分自身に、腹立たしさすら覚える。
「ねぇ、だからそんな怖い顔しないで?」
宥めるように微笑みながら、セレーナはそっと僕の頬に触れた。
フィオナとは違う、冷たい指先。
ぞわりと肌が粟立つ。
そして、ゆっくりと近づいてくるセレーナの顔。
本当に、この人は――
彼女の顔が辿り着くより早く、僕はその手を振り払った。
「アディ?」
振り払われた手を押さえ、何が起きたのか分からないという顔で、セレーナがこちらを見る。
「ランフォード小公爵です」
「……え?」
「我々は、愛称で呼び合う関係ではありませんよ。ソラリス伯爵令嬢」
一歩、距離を取る。
そして、笑顔を貼り付けた。
――その他大勢の貴族と相対する時と、同じように。
「アディ、どうしちゃったの?」
驚いたように目を見開くセレーナ。
もう、ここにいること自体が、ひどく馬鹿馬鹿しく思えてしまう。
「申し訳ありません。婚約者が待っていますので、これで失礼します」
そう告げ、踵を返して部屋を出ようとした、その時、背後から強く腕を掴まれた。
「アディ……」
「……離してもらえますか?」
顔も見ずに告げる。
それでも、セレーナは手を離そうとはしなかった。
「本当に、フィオナのことが……好きなの?」
「……」
フィオナにすら伝えていない、この気持ち。
それをセレーナに口にするつもりはなく、僕はただ唇を噤んだ。
沈黙が落ちる。
やがて、セレーナはゆっくりと手を離した。
解放された腕をそのままに、一度も振り返ることなく、部屋を出る。
――今すぐ、フィオナに会いたい。
きっと彼女は、心配しながら待っている。
そう思うだけで、足取りが自然と早くなった。
話したいことが、たくさんある。
聞きたいことも、伝えたいことも。
フィオナのことを思い浮かべただけで、先ほどまで冷え切っていた胸の奥が、じんわりと温もりに包まれていくのを感じた。




