狂った犬と呼ばれて 1/4
―月の神殿の戦いの夜。
―がああああぁぁぁぁぁぁっ!
断末魔の悲鳴を上げ、怪物はその場所に降り立った。
周囲はただ冷えた砂が敷き詰められる、夜の砂漠。
幾つもの砂丘がうねって横たわる。
そんな砂丘の隙間に、怪物は立っていた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
興奮し、息も荒げ、敵対心に満ちた目で周囲を見回す。
目の前で蠢くはずの敵の姿を探した。
……だがどこにも、それらしき存在は無い。
「はぁ、ふぅ、はぁ、ふぅぅ……」
深く息を吸い込みそして荒々しく吐き出す。
血走る眼で周囲を睥睨しながら、怪物は少しずつ冷静さを取り戻し始めた。
満月の下で砂は青白く輝き、そしてあの喧騒が嘘のように静かだ。
この時怪物は、仲間から聞いた話を思い出した。
エリクシール拝命の儀式の終了と共に、魔物は薬神ジスパニオによって遠くの砂漠に放り出されることがある……と。
「……(砂漠に)投げ出されたのか?」
怪物はそう呟くと砂丘を登り始めた。
肌理の細かい砂に足を取られ、細かい波紋が彩られた砂に、自分の足跡が深々と刻まれる。
……空には満月が輝き、その光が砂漠の果ての地平線を映していた。
そして砂丘から月下の砂漠を見下ろすと、別の場所に2匹のリザードマンと、1匹のオークが居た。
「あっ、バルドレの旦那!」
向こうもこちらの姿を見つけ、嬉しそうな声を上げる。
その声を聞くやバルドレと呼ばれた怪物は、急ぎ3匹の魔物の元へと砂丘を駆け下りた。
「お前ら、無事か!」
駆け下りるなりそう声をかけたバルドレに、他の者が口々に答えた。
「無事です!」
「ただ他の奴はまだ見つかっていません」
「旦那、あの光は何だったんですか?」
バルドレは安堵の溜息を吐きながら答えた。
「俺もよく分からん、とりあえず高い所に上ってみたらお前らが居た。
後あの光だが、ジスパニオの力だろうな。
奴は魔物を警戒している。
だが好んで殺害はしねぇから、あの時点で生きている魔物をこの砂漠に放り捨てたんだろ。
奴らしいやり方だ……」
「そうですか……どちらにせよ助かりましたね。
他の連中もこの近くに居るんでしょうか?」
「居るかもしれねぇが分からん。
ただ火を焚けば遊牧民か、それとも騎士団か……どちらにせよロクでもない連中を呼び寄せる。
この近辺で見つけられなければ、居ないものとしてこの砂漠を出た方がいいだろうな」
「宛てはあるので?」
「さっき砂丘から周りを見たら、向こうに光が見えた。
人家の光だろうな、あそこを目指そうと思う。
人家でなかったとしたら、遊牧民のテントだろうしいずれにせよ、そこで装備品を調達しないと此処から生きて帰れねぇ。
なぁーに、襲っちまえば良い話だ。
それに太陽が昇ったら干からびちまう……」
「そうですね、ただ寒いや……
ううっ、ブルブルブル!」
「そうだな、チィッとばかり周りを見回して、仲間がいないかどうか確認したらあそこを目指すか」
そう言ってこの4匹の魔物は再び砂丘を上り、周りを見回した。
結局仲間はどこにもおらず、彼等は捜索を諦め、バルドレが見つけた明かりを目指して歩く事を決める。
……これが月の神殿の戦いがあった日の、夜の出来事である。
◇◇◇◇
―20日後
「……それでは手を出せ」
ルクスディーヌの街に入るための門の前では、門番が街に入市しようとする者の手に、聖甲銀のプレートを載せた。
しばらくこの銀の板を載せて、問題が無かったら、入市を許可するのである。
門番は銀の板を回収すると、次の人にも同じことをする。
「……はぁ、用心深い事で」
一人の爬虫類似の男がその様子を遠くから眺め、そしてしかめたツラを横に何度も振った。
やがて彼はがっかりした顔で、近くに居た一人の屈強な男に向かってこう告げる。
「バルドレの旦那、あれじゃ変化の魔法していても、すぐにバレますぜ。
連中は今すごく警戒してます」
聖甲銀は魔力をただの光に変換する特殊な金属である。
その為魔法で行われたあらゆる事柄を、無効化する。
だから変化の魔法で見た目を人間に変えても、聖甲銀のプレートを握った瞬間、その手は瞬く間に元の姿の手に戻るのだ。
そしてここに居るバルドレと、爬虫類似の男……他にもすぐ傍に2人の男が居る。
彼等は現在この魔法の力を借りて、自分の姿を偽っている最中だ。
つまり今は人間の姿をしているが、全員本来の姿は魔物なので、あのプレートを握ったその瞬間に、正体がばれる。
……これでは正体を偽ったまま、4人(匹)はルクスディーヌの街に入れない。
この様子に、バルドレは頭を抱えた。
「参ったぜ、たぶんエリクシールはあの町の中に居る筈なんだが……」
「旦那、それは確かなんですか?」
「ああ、死にかけていた聖剣士の坊やが、神薬を神から授かって息を吹き返したそうだ。
もういつ死んでもおかしくない状況から生き残ったなんて、そんな事出来るのはエリクサー位だ。
加えてバーニャ侯爵の跡取りも、この前落馬事故で意識不明に陥っていたが、完全に回復した。
……世界のどこかにエリクシールが居て、エリクサーを製造したのは間違いねぇ。
この辺りではもうあの町しか調べてない所はないんだ。
あるとしたらアソコがくせぇ……
あの厳重な警戒も、それを隠す為だとしたら納得もできる」
バルドレが凄まじい目つきで、遠くからあの門番を睨みながらそう言うと、他の3人が泣きそうな目をしながらバルドレに言った。
「旦那、それじゃあどうするんですか?
あの町に入って調べようにも、調べられないですよ……」
「一旦出直しましょうよ?」
そう言ってバルドレ以外の全員が、ここで無為の時間を過ごすのを嫌った。
それを聞きながらバルドレは首を振る。
ここで力づくで暴れて街に入る事もできるが、そんなことをして騎士団によってエリクシールを逃がされたたら目も当てられない。
なので出来るだけ穏便に情報を探りたいと考えるバルドレ。
彼は懸命にその方法を探すが、残念ながら思い浮かぶ事が出来なかった。
やがて彼は(仕方がない……)と諦め、懐の水晶を二つ取り出す。
そして次にこの二つの水晶に魔力を込めた。
水晶は左の一つだけが中に映像を浮かび上がらせる。
これは“遠見の水晶”と呼ばれる水晶で、遠くの人に映像や音声を送る事が出来るものである。
左の水晶が映像を映すもので、右の水晶は映像を取り込み他所の伝送する水晶だ。
やがて左の水晶の片割れを、誰かが持ったらしく、映像が動いた。
そして人の顔が映し出される。
「バルドレか、連絡も寄越さず何をしていた?」
映った顔は、バルドレの知り合いである。
……名はパネム。
エルワンダル公爵家に仕える騎士で、エルワンダル公爵が抱える騎士団のうち、西の騎士館の騎士館長を務めている。
「ああパネムか、実はちょっとした手違いがあってな。
エリクシールが、行方不明になっちまった」
「どう言う事だ?
エリクシールの候補が見つかったんじゃなかったのか?」
「それがそいつが嘘をつきやがったんだ」
バルドレはそこまで確認してはいない、ただ言い訳としてそう言う嘘をついたのである。
……結果としてソレは正しかった。
因みにそれを聞いたパネムは、目つきを険しくしながらバルドレに尋ねた。
「つまりそいつは殺人を犯していたと言う事か?」
「ああ、そうだ……」
「で、エリクシールが行方不明になったっというのはつまり、お前が用意した駒以外の奴がエリクシールになったという事か」
「そう言う事だ……」
バルドレがそう言うと「そう言う事……じゃないだろうが」とパネムが呻き、そしてそんなパネムから水晶を奪うように、別の男が姿を見せた。
「お前、今何をしている?」
急に水晶に映し出された新しい男の登場に、バルドレは動揺した。
次にバルドレは塊のような唾を飲み込むと、意を決して、静かにこの新たに現れた登場人物に語り掛ける。
「ビブリオか……西の騎士館に居たのか」
ビブリオと言うのは、バルドレやパネムと同類の男である……
……つまり本当の姿は人間ではない。
だが彼も又、エルワンダル公爵ヴァーヌマに仕え、そして現在かの公爵領内では伯爵として辣腕を振るう一人である。
そんなビブリオが、鋭い目を時折こちらに向けながら、下を向いてバルドレに詰問した。
「そんなことはどうでもいい。
今お前はどこに居て、何をしているんだ?」
「俺は今、エリクシールの行方を追って、ルクスディーヌの街の前に居る」
「町の前?
なんで町の中に入らないんだ?」
「入ろうにも入れないんだよッ、今警戒が厳しくて、門番共が町に入る奴に聖甲銀のプレートを握らせている」
バルドレがそう言うと、ビブリオは理性の光に満ちた目をこちらに向けた。
そしてしばらく何事かを考えるとバルドレに向け、底冷えする様な声音でこう言った。
「バルドレ……貴様失敗したな」
「!」
それを聞いたバルドレの息が一瞬止まる。
「魔物が化けて街に出入りしているのがバレたから、聖騎士共が警戒しているんだろ?
そうじゃなければ、連中もそこまで警戒はしない筈だ」
「いや、たまたま他のグループの魔物も、街に出入りしていてよ、そいつらがしくじったんだ!」
「だったら何故その事を黙っていたんだッ!」
水晶の向こうのビブリオがブチ切れ、そしてバルドレに叱責をした。
その勢いに押され黙るバルドレ。
ビブリオは「はぁ……」聞えよがしに溜息を吐くと、静かに言った。
「今の状況を教えろ、その様子だと被害が出たんじゃないのか?
増援を送ろうにもエルワンダルから聖地までは、最速で送っても2か月はかかる。
……天候が悪かったらもっとだ。
聖騎士共と交戦はしたのか?」
「……ああ、今仲間は俺を除いて3人しかいない」
それを聞いてビブリオは顔を両手で覆い、そして深く息を吐くと、しばらく考え事をする。
そして、長い沈黙を経た後こう言った。
「もう何も言うな、俺が指示を出す」
「今の状況は……」
「何も言うな!セクレタリスが聞いたら厄介な事になるッ。
……大体の事は想像がついた。
良いかバルドレ、お前はそこにいる誰かを連れて、ポイタシュトに向かえ」
「ポイタシュト?
ポイタシュトって、テュルアク帝国の皇都だよな?」
「当たり前だ、他に何がある?
……いいかよく聞けバルドレ。
ポイタシュトに居るサリワルディーヌ大神殿の大神官、シャイヤーレを訪ねろ。
あの女の力を借りれば、テュルアク帝国から兵を借りる事が出来る」
「力を貸してくれるのか?」
「……頼みたくはないが仕方がない。
他に聖地で頼りになる存在は無い。
シャイヤーレに会ったら“私が変わらぬ思いであなたに会いたいと思っている”と言え」
「へぇ、ビブリオの“女”なのか?」
「……余計な事を言うな。
シャイヤーレは代々の皇帝と“懇ろ”だ。
……私はまだ聖地に帰るつもりもない。
まぁ、そそる女ではあるがな……」
「へぇ……そいつは」
「もうこれ以上は詮索するな。
後、ルクスディーヌのサリワルディーヌ大神殿に対して、私から“渡り”をつける。
明日には中に入れられるようになるだろう。
……あの町の連中は見た目だけが綺麗で、欲望には素直だ。
聖騎士の目が届かない時間なら、賄賂次第でどうにでもなる。
どの時間のどの門が我々にとって都合が良いのかは、大神殿の連中に調べさせる。
バルドレはこのまましばらく待機してくれ。
それで明日ルクスディーヌの街に入れる算段が付いたら連絡する。
そしてお前の部下の内、二匹が街に入ったら、お前はここを離れてポイタシュトに向かえ。
後は予備の遠見の水晶で情報をやり取りするんだ。
とにかくエリクシールが何処の誰なのか探るんだ、良いな?」
「ああ、わかった」
「……わかっていると思うが次失敗した時は、さすがにセクレタリスにこの事を知らせないといけない。
次は“無い”と思えよ……」
ビブリオにそう言われたバルドレは、ゴクリと鉛の様な唾を飲み込みながら「分かった……」と答えた。
やがて遠見の水晶の映像からは、ビブリオが「パネム、お前からも何かあるか?」と尋ねている声が響き、やがて「バルドレ、健闘を祈る」と言う声と共に映像が消える。
『…………』
バルドレとその周りでは、重々しい空気と、沈黙が漂う。
雲が浮かぶ雨季の空の下、彼等は互いに顔を見合せた。
「セクレタリスの旦那は恐ろしいお方ですよね?」
リザードマンがそう言うと、バルドレは「……はぁ」とため息を履いて虚空を見つめた。
やがてバルドレは静かにリザードマンの二匹を指さして言った。
「お前らが街に潜入しろ、俺はコイツとポイタシュトに向かう」
コイツと呼ばれたオークはびっくりして「いや、俺もこっちの街に……」と言ったが、バルドレはその眼を睨みつけながら言った。
「リザードマンは水辺から遠いと死んでしまうだろうが!
この中で砂漠を越えられるのはお前だけじゃねぇかよ!」
「あ、そうか……すみません」
「……まったくヨォ」
◇◇◇◇
こうしてバルドレ達は、翌日には二手に分かれ、それぞれの目標に向けて活動を始めた。
その結果……
バルドレ達はテュルアク帝国の力を借りる事に成功し、2週間後にはエリクシールの事を帝国の力を借りて調べ始める事が出来た。
だが、実は帝国でもその前からエリクシールの事を調べており、ルクスディーヌの街に住むテュルアク人を使って情報を集めていたのである。
『ええ、最近テュルアク帝国の人間が、この町を嗅ぎまわっているそうです』
と、以前アイナが言ったのは、これが原因だったのだ。
こうしてエリクシールの話題を中心に、急速にきな臭くなる聖地、そしてルクスディーヌ。
この、物事が大きく動きそうな気配を察知したビブリオは、この地に向けて新たに増援を送る事を決めた。
……本来の目的を追うのに、現状4人しかいないのは完全に人手不足だと思ったからだ。
……ここで少し脱線するが、セクレタリス達、ヴァーヌマ側の事情を説明する。
彼らの本来の目的とは、居なくなった、エルワンダル大公の妻と、その結婚を執り行った神官、そして立会人となった7人の騎士を探し出すことである。
元々バルドレは、その為に聖地に派遣された。
だからエリクシールを手中に収めるのは、その目的の“ついで”に過ぎない。
しかしそれにしても、エルワンダル戦争終結から5年の月日が流れたにもかかわらず、いまだに彼等の行方を追っている事に驚く方も多いと思う。
しかしこれには理由があった。
……現在のエルワンダル公爵、ダナバンド王国摂政ヴァーヌマは、エルワンダル支配を安定させられていなかったからだ。
実はこの時期のエルワンダルで、こんな噂が流れた。
《いつか本当の大公様が戻ってきて、この苦しい生活を改めて下さる》
つまりあの落城の日、アイナ・ベルヴィーンと大公が正式な結婚をし、そしてアイナのお腹の中に嫡子が宿った事が広まったのだ。
……誰かが広めたのだろう。
その結果、今のエルワンダルの社会に絶望し、また落ちぶれて行った、かつてのエルワンダル大公家の家臣を中心に、反逆者が続出している。
生活が貧しくなった民衆も、積極的にソレに協力した。
……あの低地地方に広がる、広いリズネイ湾や、そこに注ぎ込む大河アウベン沿いの湿地帯。
これらはこの反逆者共に隠れ家を提供した。
水辺に潜んだ反逆者は、時折ダナバンドに仕える騎士の家を襲撃し、騎士家を皆殺しにする。
……こうしてテロリストが闊歩し、治安は悪化した。
支配者にとってエルワンダルと言うのは、統治が難しい領地になったのだ。
このためヴァーヌマ子飼いの新興貴族の中には『エルワンダルの領地を売却し、出来るならダナバンド本国の領地を買い戻したい』と言う者も現れた。
封建領主の減少は、動員兵力の減少だ。
なので、これは看過できない問題である。
と言うのも兵力が減少し、弱いと見るや、エルワンダルを失ったヴァンツェル・オストフィリア国が、間違いなく復讐戦を仕掛けてくる。
……少なくともそう思えるほど、両国関係は緊迫していた。
こう言った理由もあり、この地の暗がりに潜む反逆者の存在は、まるで咽喉に刺さる小骨の様に、ヴァーヌマを苛立たせた。
逆にこうなると判っていたから、ヴァーヌマはエルワンダル大公家の族滅と言う、非情の手段を取っていたとも言える。
なので彼は、改めて消えたエルワンダル人、特に滅亡したエルワンダル大公の妻と、その子供を探していた。
……ヴァーヌマは恐れる。
『この地の正統なる統治者は私だ!』
と言いながら、この子供が、エルワンダルに帰って来る事を……
そうなれば大義名分と旗頭を得た反逆者共が、旧大公家の生き残りの前に集結し、組織だって活動を活発化させる。
……そうなればいよいよ反乱だ。
統治者であるヴァーヌマは、何としてでもそれを避けたかった。
だがあれから5年、彼らの行方は未だ杳として知れない。
なので協力するセクレタリス達は、聖地も含めた広いエリアに魔物を派遣し、とにかく情報を集めた。
以前の様に“聖地に向かった可能性が低い”とは思わなくなったのだ。
逆に今は(これだけ探しても居ないのだから、想像以上に遠くに行ってもおかしくない)と思っている。
……改めて増援が聖地に送られるのはこう言った事情がある。
今回から話を分割し、一話辺りを読みやすい長さに調整してみます。
このことへのご意見等がありましたら感想欄にお願いいたします。
次回投稿は20日7:00から8:00の間です。