056 事件の後
マスターを救出し、一連の事件に片が付いてから1か月が経過した。
今回の件では俺もいろいろと学ぶことがあった。
まず、《挺身》の限界。あれから外出時には必ず俺かオニキスがマスターの傍を離れないことを決めた。最近は風呂も俺と一緒に入るし(スライム風呂は気持ちいいと言っている。俺のスキル《吸収》で汚れなどとれるから間違ってはないのだが、如何ともしがたい)、寝る時は3人一緒のことが多い(俺は基本的に抱かれている)。
あと、挺身の限界はなにも期間だけじゃなかった。俺やオニキスは痛みというものに無頓着だ。というより、魔物全般がそうだろう。状態異常として《怯み》と言うものはあるが、痛いから逃げるとか、そういうことはしない。だから俺もHPさえ守れればいいと思っていた。だが、マスターたち人間は痛みに弱い。最後に残った敵側のリーダー……ベルムンクといったか、あいつも少し痛めつけただけで簡単に壊れた。人間は痛みを与えることは得意でも、与えられるのは苦手らしい。
それなのにマスターは今回の件で「散々に痛めつけられちゃったよー」と俺たちに軽い感じで愚痴った。受けた苦痛はそんな軽いものではなかったことは、俺もオニキスもよくわかっている。
なにせ、7日間もの間ずっとマスターから思念は流れて来ていたのだ。痛みや恐怖が心を苛む様を俺とオニキスは嫌というほど見せつけられた。それなのに、痛みにはもう慣れちゃった、とそう自嘲するマスターの痛々しい笑顔を見た俺は心が締め付けられるようだった。俺とオニキスは、これからはHP以前にマスターを傷つけることすら誰にもさせまいと誓った次第だ。
他には、マスター自身の能力の向上も、マスターの身の安全のためには必要なことだった。以前に考察したようにマスターのスキルレベルの高さや俺の成長速度の速さはマスターのレベルが1であることに起因しているようだったので、将来的にはともかく、すぐにレベルを上げることはためらわれた。代わりに、装備品をもっと良いものに変えようという案が出た。悔しいことにこの案を出したのはオニキスだ。スライムは装備品を付けることができないからその発想はなかったのだ。
ちなみに、マスターの服装備《久遠の輝き》は残念ながら今回の一件でボロボロになってしまい、修復も不可能だった。オニキスはこのことから、新しい装備という発想を得たらしい。
マスターの装備、久遠一式は優秀な装備だったが、それでもまだ、この世界の中ではそれほど上位ではない。装備のランクは通常、特級、唯一級、古代級、伝説級、神話級、幻想級で、久遠シリーズはこの中で唯一級に相当する。ただし、勇者の加護がかかっているので、実際の能力は古代級に足を踏み入れたくらいではある。特に武器の特殊効果は完全に古代級以上はある。もっとも、唯一級の装備は《久遠の彼方》のような高レベルダンジョンの宝箱以外にも、ダンジョンのボスを務める魔物からもドロップするため、それなりに入手手段は多い。マスターには幻想級か、そうでなくても神話級くらいは装備してほしいというのは俺とオニキスの共通見解だ。神話級とはすさまじいようにも思えるが、そもそもオニキスだって《空を統べる者》として伝説に謳われるような存在だ。その主人であるマスターには同等かそれ以上を装備してもらいたいというのはおかしいことではないだろう。
さすがに幻想級が手に入るような超高レベルダンジョンは近くになく、世界をめぐる必要があるかと思われた。だがそこでオニキスは言った。なんとこの付近にも一つだけその超高レベルダンジョンがあるという。さすが、神話級の魔物。こういった情報はただのスライムだった俺が持ちえないものだ。
その場所は始まりの街の地下。ダンジョン名を《始まりにして終わりの地》という。流石に危険に過ぎるので俺たちはマスターには街で待っていてもらおうと思った。しかし、マスターは行くと言ってきかず、結局ついてきてしまった。俺たちが心配だったらしい。結果から言えば正直なところ、マスターがいなければ攻略は不可能だっただろう。オニキスの強さは確かに圧倒的だったが、ダンジョンには各種のトラップやギミックが満載で、マスターのスキルと機転によってなんとか突破できたようなものだ。それでも、内部に現れる魔物は最低でもレベル150、中にはかなり強力な個体もいて、レベル300オーバーすらいる始末。内部の構造も地下とは思えないほどに広く、攻略には丸々20日以上はかかった。ボスはレベル400の《始原王》で、俺もオニキスも全力でボロボロになるまで戦ってなんとか勝利したほどの強敵だった。勿論マスターには指一本触れさせなかったがな!
始原王は恐ろしく強かったがその分収穫も大きかった。魂の隷属状態で俺やオニキスが魔物を倒すと、レベル1のマスターが倒したものと同等の補正で経験値が入る。このダンジョンの魔物のそもそもの入手経験値とその補正の大きさは想像を絶するほどで、俺は通算レベル500を超え、魔粘性生物から超粘性生命体へと進化し、オニキスもレベルが400近くまで上昇した。マスターのスキルレベルも相当に上がったと思う。
そうしてマスターは幻想級の装備を手に入れた。いまはまだ3つだが、いつか全身幻想級でそろえたいものだ。
そうして、学んだこと以外にいくつか疑問に思ったこともある。
たとえば、弟君から聞いたマスターの情報と、俺の知っているマスターとの違い。弟君の話では、マスターは面倒くさがりなところはあるものの、非常に勤勉。食事や睡眠は心配になるほど取らない人だと聞いた。しかし、俺の知っているマスターは勤勉とは言いがたいし、一日の半分以上を寝て過ごすこともあるほどだ。食事だって、あの小さな体のどこに入るのかというほど食べる。この齟齬はなんなのか。
あとは、ベルムンクとやらにマスターが最後に囁いた言葉。分体がマスターに張り付いていた俺しか聞き取れなかったであろう言葉はこんなことを言っていたように思う。
『覚悟というか、別に覚悟するほどのことでもないよ、人殺しなんて。わたしは既に親を3人殺してるし――』
この言葉を、俺は果たして聞いてしまってよかったのか。マスターが既に殺人を犯しているということは別にいい。俺たち魔物はその行為を行うことによって縄張りを守らねば生きていけないのだから。親が3人というのがどういうことなのか気になるが、それもどうでもいい。弟君とは血がつながっていないらしいからその関係だろうとあたりはつく。囁いた刹那、ぞっとするような殺気がマスターから漏れて、ベルムンクを怯えさせたこともどうでもいい。マスターの怖さは俺だって身に染みて知っている。あの殺気を身に着けるためにどれほどの経験をしてきたのか。
俺が思ったのは、俺はマスターのことを何も知らないということだ。辛うじてわかるのは、表層の言動と性格。今現在の好きなこと嫌いなこと。そのくらいだ。彼女の生い立ちを含む、俺と出会う前の過去。心の奥底で何を考えているのか。そういうことを俺は知らない。
マスターに対してそんなことを詮索するなんて無礼にもほどがあるだろう。それでも俺は今回の一件でマスターがとても儚いものに思えてしまって。距離を置けば溶けてなくなってしまいそうな気さえした。マスターは触れば砕けるガラス細工ではない。ならば、俺からももっとスキンシップをとって親密にならねばと、思ったのだ。
まぁ、俺を抱き枕のように抱いて寝るのだけは、ちょっと勘弁してほしいものだが。
次回からほのぼのすると思います。
しかし超粘性生命体ってすごくねっとりしてそう。




