第五話 起こりえないことは起こります
外の嵐とは違い、家の中は暖房代わりの魔石で暖かく、沸かした湯からは湯気が上がっている。
魔石の光が二人を照らしていた。
エリーゼはしみじみと
「しかし、この時期に寒さに震えるなんてことがあるんですね」
「はい。山では暑くて死ぬことはあんまりないですが、寒くて死ぬことは年間通してありえます」
「詳しいのね」
「実家が山の近くでして、毎年何人か山から返ってこない人もいましたしね。そのせいか、親から『山で死なないため』に色々と徹底的に叩き込まれました。最も叩き込まれたのは『凍死』ですね」
エリーゼが首を傾ける。凍死という言葉に疑問を思ったらしい。
「でも凍死って、冬になるもので雪が降ったりしたときになるものではなくて?」
「普通はそう思いますよね。でも、暖かい時期でもなるんですよ。今日みたいな天気だと」
「本当に?」
「はい。雨で全身濡れたところに強い風を受けると、どんどん体温を持っていかれます。僕の地元でも、雨にやられて動けなくなってそのまま、っていうのを何人か見てます。あとは裸でなくなっている人もいましたよ」
「裸?」
エリーゼが顔を赤らめるが
「はい。凍死にはいくつか段階があるんです。まずは手足がかじかみ、判断力が低下します。また口数が減ります。ここで判断ミスをよくやるんです」
「ああ……」
思い当たる節があるらしい。
「そして、次がぼんやりする。ろれつがまわらなくなる。正常な判断ができなくなります。あと一歩踏み込むと震えが収まって、寒くないとか言い出して服を脱ぎ始めるんです」
「え……」
絶句してる。そしておずおずと聞いてきた。
「私はどうだったんですか?」
「はい、エリーゼ様はろれつがまわらなくなってました。おそらくあと半日もたずに」
その先は言わなくてもわかったらしい。少し青くなっている。
「しかし……5月に凍死なんて想像もつかないです」
「まぁ普通はそうです。でも起こりえないことが起こるのが山なんですよ」
エリーゼが、「そうなんですね」と言いながら外を見てる。なにか別のことに思いをはせているようだ。
今の話なら、少しくらいは聞く耳を持ってくれるかもしれない。そう思って、僕は切り込むことにした。
「迷惑ついでに、助言させていただいてもよろしいでしょうか?」
「なんでしょう?」
「エリーゼ様、貴方に変な噂が立ってます」
彼女は首を傾けたが、
「変な噂とは?」
「貴方が外国の方とお話しているということです。それもとっかえひっかえ」
彼女はフっと笑った。彼女の耳にも届いているのだろう。
「それは公務の一環ですよ?」
「わかってます。平民である僕ですらその程度のことはわかります。しかし、その情報にはある矢印がついてます。『王子より外国人を大切にしている』とか、『王家に不満があるんじゃないか』とか。もう一部では、外国へ逃げるつもりだとか、王家に背くつもりだとか、そんな話にまでなってます」
「私がそんなことするわけないでしょ」
彼女は学園で見せた笑顔で答える。
「はい、それはわかります。エリーゼ様がそのようなことをするわけがない。そういうことは全員が知っています。ですが、それはこの際関係ないのですよ」
「私は無実です。といってもですか?」
「はい」
納得いかないよう首を振る。
「僕は、ミリア嬢が王子の正妃の座を狙っているんじゃないかと思ってます」
「まさか」
「僕の考えをきいていただけますかね」
「聞くわ」
彼女が僕に向き直る。
「一般論ですが、貴族の令嬢はなるべく自分より格上の家との婚姻を望みます」
エリーゼがうなずく。
「そこで様々な工作がされていると思います」
「そうね。でも男爵令嬢が王妃の座をねらうなんて大それてなくて?」
「そうなんですがね。市井では『王子が身分の低いものに恋をして結婚して幸せになりました』なんて物語が一杯あるんですよ」
「まぁ、実際はないことよね。ごくまれに平民が貴族の養女になって、別の貴族と結婚しました。なんて話はあるけど、さすがに王族と結婚しましたは聞いたことないわ」
「僕も調べた限りなかったです。問題はミリア嬢の出自でして」
「知ってるわ、たしか商家から男爵家の養女になったのよね」
「はい。彼女は実際にはそんな例がなかったことを知らないです。そして、そういう物語をたくさん読んでます。学園に入りました。目の前に王子がいました」
「まさか」
「はい。平民のお嬢様は夢に見た光景です。意地悪な婚約者から心優しい王子様を守り、そして『真実の愛』に目覚める。とかなんとかというね。だから変な噂を流したって不思議じゃない」
「ミリアが流してるとでも?」
「よくもわるくも平民でしたからね。怖いものなしなんです」
「しかし、王子がそれに乗るようなことはないのでは?」
「まぁこれは男ならよくあるのですが、その、男って『私、貴方を無条件で愛してます』にとっても弱いんですよ」
「あらら、貴方も」
「恥ずかしながら。特に彼女は保護欲をそそられます。そんな娘が上目遣いで来られたら、まぁああなります」
「それはわかったわ。しかし王子がそうなっても周りの人間がとめればよくないの?」
「まぁ普通ならそうなりますが。一つ質問です。レオン王子とエリーゼ様の婚約は万人から祝福されてますかね?」
それは当然、と言いかけて止まる。そして……
「たしかにそうね。そういうことね」
エリーゼはそれきり黙り込んだ。
外では相変わらず雨が降り続いている。
エリーゼが湯を一口飲んで語り掛ける。
「さっき、無条件で愛してくれる人に男は弱い、と言ったわよね」
「言いましたね」
「それって、好きということなの?」
「……どうでしょうね」
エリーゼはしばらく湯気を見つめていた。
「好きって、なんなのでしょうかね?」
「それはわかりませんが、親父達とか他の家族を見て、また貴族の方々を見て思ったことがあるのですが」
エリーゼがうなずく。
「王侯貴族の皆様は好きになった相手との結婚は望めないことは知っています。なればこそ、相手を敬い、大切にし、そして双方ともに好きになろうと愛そうという努力が必要なのでは?」
「それはそうです」
「これは愛し合って結婚した平民の夫婦でも同じです。相手を敬い、大切に思い、好きになろうと愛そうと日々努力する。それを怠ると壊れてしまいます。初めに恋愛がない貴族の皆様は、それこそ大事なんじゃないでしょうか」
「はい」
「しかし、王子はあなたにその努力を今しておられるでしょうか?」
沈黙が流れる。
「僕は貴方の努力を見てます。学園のみんなも見てます。しかし王子が貴方を好きになる努力はしているのでしょうか。申し訳ないのですが、彼は」
「もういいわ」
エリーゼは残っていた湯をぐっと飲み干した。
「たしかに、貴方の言うとおりだわ。少し考えるわ」
「はい、答えはゆっくりと、とまではいきませんが、じっくり考える必要がありますよ」
「そうね」
「ただ、五月の山で凍死するなんて想像もつかなかったでしょう?」
彼女はまた外を見た。
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