第9話 蜜月
あの熱く、甘美な新婚初夜を迎えてから、気がつけば一ヶ月という月日が流れていた。
その間、アリアとイグニスは、新居の敷地から一歩も外に出ることはなかった。それどころか、一日の大半を二階の寝室で過ごし、たまに食べる食事の時や、お風呂に入る時以外は、ずっとベッドの上から動かなかった。
お互いに見られていない場所、触れられていない場所など、もうどこにも残っていない。それほどまでに二人は、飢えた獣のように貪り合い、お互いを求め続けた。
一緒にお風呂に入った際、水に濡れて妖艶さを増したアリアの姿に、イグニスが我慢できるはずもなかったのだ。湯船の中でも、洗い場でも、我を忘れたイグニスに何度も何度も激しく貪られた。
最初のうちは、龍族としての圧倒的な体力と絶倫さを誇るイグニスに対し、アリアはされるがままであった。一日に何度も気絶するように眠りに落ち、その度にイグニスの腕の中で意識を失っていた。
だが、半神としての頑強な肉体を持つアリアの適応力も恐ろしかった。日が経つにつれてその快楽と衝撃に身体が慣れていき、やがてアリア自身からも積極的にイグニスを求めるようになっていった。
自分から仕掛けるようになってからは、気絶することはなくなった。しかし、それは決して楽になったことを意味しない。
「お前が意識を保っているなら、休憩を挟む必要もないな」
と、獰猛に笑うイグニスによって、気絶という名の「休憩」が消滅し、よりいっそう熱狂的な時間がぶっ続けで続くことになったのだ。
なお、アリアが本当に疲れて泥のように眠っている間には、イグニスが甲斐甲斐しくキッチンに立ち、彼女のために簡単な料理を作ってくれたりもした。龍としての疲れを知らない肉体を持つイグニスは、一ヶ月の間、本当に一度も疲れた素振りを見せなかった。
結局、アリアがイグニスに勝つことは最後までできなかった。
アリアの全身には、鎖骨から太もも、足首に至るまで、イグニスのものだと主張するような赤紫色の痕が、ありとあらゆる場所に刻み込まれた。悔しくなったアリアも、イグニスの逞しい首筋や胸元に容赦なく噛みつき、同じように痕をつけ返して抵抗した。
そんな蜜月の中で、ふとアリアの脳裏を過った疑問があった。
これほど毎日、避妊もせずに貪り合っているのだ。もしかしたら、お腹に子供ができるのではないか、と。
ベッドの上でイグニスの胸に抱かれながらその疑問を口にすると、彼はアリアの黒髪を指で弄びながら、淡々と答えた。
「龍族というのは、元々子ができにくい種族だ。強大すぎる魔力を持つ個体同士ほど、生命の調和が難しいからな。それは神も同様だ。お前は半神だから、純粋な神よりはマシかもしれんが、普通の人間のように簡単に宿ることはない」
「そっか……。できにくいの、か……」
アリアは、自分とイグニスの血を引いた子供の姿を想像してみた。
自分と同じ黒髪に、イグニスの真紅の瞳を持った、少し生意気で可愛い子供だろうか。
想像すればするほど、胸の奥が温かくなり、自然と独り言が口から溢れた。
「……なんか、いいな。イグニスとの子供」
その呟きを聞き逃さなかった龍の目が、怪しく光った。
「ほう。我が子を望むか。ならば、確率を上げるためにも、もっと回数を増やさねばならんな」
「えっ、あ、ちょっと、今のはただの独り言で――んぅっ!?」
こうして、強制的に休憩時間が終了し、再びシーツの海へと沈められることになったのだった。
◇
そんなこんなで、嵐のような一ヶ月が過ぎた。
もしアリアが必死にイグニスを止めなければ、このままずっと寝室に引きこもり続けていただろう。
「不満だ。我はお前さえいれば、一生この部屋から出ずとも退屈せん」と、イグニスは酷く不満げな顔をしていたが、アリアはなんとか彼を説得した。
もちろん、これからも毎日、夜の運動をすること自体は変わらない。
ただ、「何日間もぶっ続けで、飲まず食わずでやり続けるのは一旦禁止!」というルールを設けたのだ。せっかく人間の街に来たのだし、やりたいことや行きたい場所もまだまだたくさんあるのだから、と。
一ヶ月ぶりに、二人は朝からきちんとした服を着て、一階のキッチンに立った。
パチパチとバターの弾ける良い音が響く中、アリアは卵と牛乳、砂糖をたっぷりと吸わせた食パンをフライパンでじっくりと焼き上げる。
新居のキッチンで丁寧に作ったのは、黄金色に輝くフレンチトーストだ。仕上げにほんの少し蜂蜜をかけ、ドリップしたての珈琲をカップに注ぐ。
お互いに、珈琲はブラックが好みだ。
カップから立ち上る深いコクと苦味のある香りが、お風呂上がりの身体を心地よく刺激する。
「うん、我ながら上出来!」
「あぁ、良い香りだ」
テーブルに着いたイグニスは、フレンチトーストをナイフで切り、口へと運んだ。その瞬間、彼の赤金の瞳が満足そうに細められる。
「美味い。やはりお前の作るものは、有象無象が作ったものとは比べ物にならん」
「ふふ、お粗末様。たくさんあるから、いっぱい食べてね」
美味しそうに食べるイグニスの姿を見ているだけで、アリアの心は満たされていく。
「さて、と。今日はこれから、『デート』に行く予定だからね、イグニス」
アリアが珈琲を啜りながら言うと、イグニスは「でーと?」と不思議そうに小首を傾げた。
「人間の恋人同士が、一緒に出かけて買い物や食事を楽しむ行事のことだよ」
説明しながら、アリアはふと考え込んでしまう。
(……待って。よくよく考えたら、出会ってすぐに同棲が始まって、一年の同居生活を経て、新居を買って、一ヶ月間夫婦として貪り合って……その後に『初めてのデート』って、順番がめちゃくちゃすぎない?)
普通なら、出会って、デートを重ねて、恋人になって、それから結婚して、夜を共にする……という手順を踏むものだ。自分たちのスタートがあまりにも変則的だったことを今更ながら思い出し、アリアは苦笑した。
(まあ、今さら順番なんてどうでもいいね。私たちは私たちだし)
「さあ、イグニス。お腹いっぱいになったら、出かける準備をしよう!」
「あぁ」
二人は朝食の片付けを済ませると、寝室へと戻り、それぞれお気に入りの外着に着替え始めた。
一ヶ月ぶりに浴びる外の光と風を感じるために、二人は手を繋ぎ、扉を開けて、賑やかな街へと繰り出していくのだった。




