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TS転生したら邪神の花嫁になったけど、龍に助けられて幸せになります  作者: yorukane


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第5話 共同生活

 あの嵐のような夜から、気がつけば一年という歳月が流れていた。


 険しい山脈の頂。人間はおろか、並大抵の魔物ですら近づくことのできないこの孤高の地に、アリアの新しい日常はあった。


「ふぅ……。今日もいい天気」


 朝の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込みながら、アリアは小さなテラスからの景色を眺める。

 現在、アリアが暮らしているのは、一年前のような殺風景な洞窟の中ではない。洞窟の入り口から少し離れた、陽当たりの良い岩棚の上に建てられた、一軒の小さくも頑丈な木造の家だった。


 この家は、同居を始めて間もない頃、イグニスが建ててくれたものだ。

『お前のような脆い生き物が、いつまでも硬い岩の上で寝起きできるか。夜風で体調でも崩されたら、我の玩具としての価値が下がる』

 そんな不遜な言葉を吐きながら、イグニスは近くの原生林から最高級の魔木や建材をひとりで集めてきた。そして、龍族の強大な魔法を使い、文字通り「さくっと」一瞬でこの家を作り上げてしまったのだ。

 魔法で精密に組み上げられた家は、歪みひとつない見事な出来栄えで、断熱性や防風性も完璧。地下施設の石壁しか知らなかったアリアにとって、木の温もりが感じられるその家は、最高の宝物となった。


 ……ただし、ひとつだけ大きな問題があった。


(本当に、見事な出来栄えなんだけどね……。なんで部屋をひとつしか作らなかったのかなぁ、あのドラゴンは)


 そう、この素敵なお家には、私室がひとつしか存在しない。

 当然、そこにある寝室もひとつ。部屋の中央には、人間なら三人、いや四人は同時に寝られるであろう、異様に大きめのベッドがぽつんとひとつだけ鎮座している。

 つまり、アリアとイグニスは、この一年間ずっと同じベッドで夜を共にしてきたのだ。


 最初、アリアは前世が男だったという理屈もあり、いくらなんでも十八歳の女性の身体で、大人の男(の姿をした龍)と同じベッドで寝るのは不味いと考えた。

『私はリビングのソファで寝ますから』とか、『床に毛布を敷いて寝るから大丈夫です』と主張し、実際にリビングの床で寝ようとした夜もあった。


 だが、そんなアリアの抵抗は、圧倒的な力の前に無意味だった。

 夜中、アリアが床で丸くなっていると、必ずと言っていいほど人型のイグニスが音もなく近づいてきて、まるで猫が獲物を拾い上げるかのように、アリアの身体をひょいと抱え上げるのだ。そしてそのままベッドへと連行され、彼の逞しい腕の中に閉じ込められる。

 イグニスにとって、心地よい体温と濃密な魔力を放つアリアの身体は、最高に寝心地の良い「抱き枕」だったらしい。どれだけ暴れても、龍の怪力でがっちりとホールドされてしまえば身動きが取れない。


『動くな、アリア。お前は程よく温かくて、魔力も心地よい。我の眠りを妨げるな』


 最初の数ヶ月こそ、「おいおい、貞操の危機は去ったはずなのに、別の意味で危機じゃねえか」とヒヤヒヤしていたアリアだったが、人間の適応力というのは恐ろしいものだ。

 イグニスが本当にただの抱き枕として自分を扱っていることが分かると、だんだんと緊張感が薄れていった。今ではもうすっかりその状況に慣れっこになり、夜中に彼に抱きすくめられても、特に抵抗もせずそのままスヤスヤと眠れるようになっていた。


 そんな奇妙な同居生活の中で、アリアはイグニスから様々なことを学んだ。

 その最たるものが「魔法」だ。


 アリアが静かに前方に手をかざす。

 次の瞬間、彼女の手前から、目に見えないほどに圧縮された風の刃が数十発、凄まじい速度で放たれた。対面にあった巨大な岩塊が、まるで豆腐でも切るかのように、一瞬で綺麗にサイコロ状にバラバラへと切り刻まれる。


「ふむ。相変わらず、魔力の収束速度だけは一人前だな」


 家の壁に背を預け、腕を組んでその様子を見ていたイグニスが、満足げに目を細めた。


 アリアには、魔法の才能が恐ろしいほどにあった。それが前世のイメージ力によるものなのか、それとも「半神」となった肉体の恩恵なのかは分からない。おそらくその両方だろう。

 イグニスという世界最高峰の教師に手解きを受けた結果、アリアの戦闘能力はこの一年で爆発的に跳ね上がっていた。

 数日前には、イグニスから直々に『今のお前なら、一年前に私が消し飛ばしたあのヘドロの邪神くらい、一人で十分にハチの巣にして倒せる実力がある』と、お墨付きを貰ったほどだ。


 実力がつき、心に余裕ができたことで、イグニスに対する接し方も大分変わっていた。

 最初の頃は「最強の龍への恐怖」と「生存のための媚び」が少なからずあったが、今ではすっかり毒気が抜け、遠慮のない、親しい友人や家族のような感じで会話をするようになっていた。


 アリアは、イグニスに対して大分好印象を持っていた。

 ぶっきらぼうで傲慢、面倒くさがりなところもあるが、理不尽に暴力を振るうことは決してない。それどころか、アリアが「人間用の食事が恋しい」と言えば、遠くの街まで飛んでいって果物や調味料をこっそり調達してきてくれるような、奇妙な優しさを持っている。何より、十年間自分を苦しめてきた「人間の悪意」から、物理的にも精神的にも守ってくれたのがこの龍だった。


 そしてそれは、イグニスにとっても同じだった。

 数百年、数千年の時を孤独に生きてきた龍にとって、自分の領域に怯えることなく踏み込み、対等な口調で語りかけてくるアリアという存在は、いつしか単なる「退屈しのぎの玩具」から、なくてはならない「特別な同居人」へと変化していたのだ。


 ◇


 そんな、穏やかで満ち足りたある日の夕暮れ時。

 夕食の片付けを終え、リビングの丸テーブルで二人でお茶を飲んでいた時のことだ。暖炉の薪がパチパチと爆ぜる心地よい音が響く中、イグニスがふと、琥珀色の紅茶が入ったカップを見つめながら口を開いた。


「おい、アリア」

「ん? 何、イグニス」

「お前、一年前、ここに最初に来た時に言っていたな。『いつかは力をコントロールできるようになって、人里に戻りたい』と」

「あー……うん、言ったね。それがどうかした?」


 アリアは焼き菓子のクッキーを齧りながら、のんびりと返事をする。


「あれから一年が経った。お前の魔力の制御は、すでに並の人間はおろか、高位の魔導師すら凌駕している。戦う力も十分についた。……それで、いつ頃人里に戻る予定なのか、具体的なことくらいはもう考えているのかと思ってな」


 イグニスのその言葉に、アリアはクッキーを口に咥えたまま、ピタリと動きを止めた。


(……あれ?)


 アリアは、自身の金色の瞳を瞬かせた。

 言われてみれば、そうだ。一年前の自分は、人間の街へ行くための「準備期間」として、ここに置いてもらうよう頼んだはずだった。力をつけ、人間の恐怖を克服したら、いつかはここを出ていくのだと、そう思っていたはずだった。


 しかし、胸に手を当てて考えてみる。

 この一年間、自分は一度でも「ここを出ていく日のこと」を考えていただろうか。


(……全然、考えてなかった)


 アリアは、驚くほど自然に、その選択肢を脳裏から排除していたことに気づいた。

 なぜなら、今のここでの暮らしが、あまりにも心地良すぎたからだ。

 毎朝、鳥のさえずりと共に目覚め、隣には圧倒的に頼りになる綺麗な男がいて、昼は魔法の訓練をして、夜は美味しいご飯を食べて、同じベッドでぬくぬくと眠る。十年の地獄を経て手に入れたこの生活は、アリアにとって完璧な理想郷だった。

 人間に対する疑心暗鬼や恐怖心が完全に消えたわけではない。人里は相変わらずちょっと怖い。だが、それ以上に「イグニスと離れたくない」という気持ちが、いつの間にかアリアの心の大半を占めていたのだ。


 アリアは咥えていたクッキーをごくりと飲み込み、少し寂しそうな、探るような視線をイグニスに向けた。


「……考えてなかった。今の暮らしが、すごく楽しくて、幸せだから。……ねえ、イグニス。もし、私が本当にここを出て、人間の街へ行くって言ったら……イグニスはどうするの? やっぱり、ここに一人で残るの?」


 その問いは、アリアにとって少し勇気のいるものだった。

 もしイグニスが『当然だ、私は龍だからな。お前がいなくなれば、また静かな眠りにつくだけだ』なんて冷たく答えたら、どうしよう。そう思うと、胸の奥が少しだけきゅっと痛んだ。


 だが、イグニスはアリアの心配を余所に、心底退屈そうにため息をついた。


「何を馬鹿なことを聞いている。お前が人里に行くというのなら、我も付いて行くに決まっているだろう」

「……え?」


 想定外の答えに、アリアは目を丸くした。


「え、付いて来るって……人間の街に? イグニスが?」

「そうだ。言ったはずだ、お前は我の玩具であり、同居人だと。お前がいない巣など、ただの退屈な岩穴に戻るだけだからな。それに、お前は一見図太いようで、その実、人間という生き物を酷く恐れている。そんなお前を、一人で人間の巣窟へ放り込めるか。また変な連中に目をつけられて、泣きを見るのがオチだ。我が側にいれば、どんな有象無象が来ようとも、一瞬で灰にしてやれるからな」


 イグニスは当然の権利を主張するように、ふんぞり返って言ってみせた。

 その言葉の根底にあるのは、傲慢な独占欲のようでいて、その実はアリアに対する不器用で、この上なく深い「過保護」の精神だった。アリアを一人にはしない。彼女がどこへ行くとしても、自分がその盾となり、隣を歩くのだと、彼は当たり前のように言ってくれたのだ。


 アリアの胸の奥に、じわじわと温かいものが広がっていく。

 それは前世の記憶を含めても、これまでの人生で一度も味わったことのない、絶対的な肯定感だった。


 アリアの唇から、自然と溢れるような笑みが零れ落ちた。美しい金色の瞳が、嬉しそうに細められる。


「……そっか。付いてきてくれるんだ」

「当たり前だ。嫌だと言っても付いていくぞ」

「ううん、嫌なわけないよ。すごく、嬉しい」


 アリアはテーブルに身を乗り出し、イグニスの綺麗な顔をじっと見つめた。


「イグニスが付いてきてくれるなら、もう人里に行くのも怖くないや。……うん、決めた。考えてなかったけど、そろそろ行こうかな、人間の世界へ」

「ほう。今すぐか?」

「ううん、流石に今すぐは無理だから……明日。明日には、ここを出よう。イグニスと一緒に、新しい世界を見に行きたいな」

「明日、か。いいだろう。お前の旅路だ、我が同行してやろう」


 イグニスは満足そうに口元を歪め、紅茶を飲み干した。

 旅立ちの予定は、こうしてあっさりと決まった。一年前の籠の鳥は、最強のパートナーを伴って、ついに外の世界へと羽ばたく決意を固めたのだ。


「よし、じゃあ、明日は朝早いし、準備もあるから……今日はもう寝よう? イグニス」

「そうだな。お前の睡眠時間が減ると、明日動けなくなるからな」


 二人は席を立ち、寝室へと向かった。

 パジャマ代わりの薄手の衣類に着替え、大きなベッドへと滑り込む。


 アリアが横になると、すぐに横から大きな、そして心地よい熱を持った質量が滑り込んできた。

 人型のイグニスが、当然のような顔をして、アリアの背後からその長い手足を絡めてくる。ガッチリとした腕がアリアの細い腰を抱きしめ、引き寄せる。アリアの背中が、イグニスの逞しい胸板にぴったりと密着した。


 この一年間、毎晩繰り返されてきた「抱き枕」の儀式だ。

 一年前なら心臓が破裂しそうなほど緊張していたアリアも、今では「はいはい、おやすみなさい」と、彼の腕の中でリラックスして目を閉じる。


 しかし、今日のイグニスは、いつもより少しだけ、落ち着きがなかった。

 明日、この慣れ親しんだ巣を離れ、アリアと共に人間の世界へ行くという事実に、彼自身も少なからず高揚しているのかもしれない。


「……ん」


 不意に、アリアの首筋に温かいものが触れた。

 イグニスがアリアのうなじに顔を埋め、ふさふさとした赤髪が肌を擽る。それだけならまだしも、彼はアリアの小さくて白い耳たぶを、前歯でこりこりと、悪戯っぽく軽く齧り始めたのだ。


「ひゃっ……ちょっと、イグニス、痒いってば」

 アリアは身を竦めるが、イグニスの拘束は解けない。

 耳の次は、細い首筋へと移動する。イグニスはアリアの柔らかな肌に唇を押し当て、ちゅう、と少し強めに吸い付いた。肌に微かな痛痒さが走り、赤紫色の小さな跡――いわゆる吸い痕が残る。龍族の彼にとっては、自分の所有物であるアリアに対する、ただの「マーキング」のような悪戯なのだろう。


「こら、イグニス。首に跡をつけたら、明日人里に行った時に恥ずかしいでしょ」

 アリアはもうこの手の悪戯には慣れているので、パニックを起こしたり、本気で怒ったりはしない。ただ、困った子供をあやすような、優しい口調で彼を宥める。


「ふん。お前が我のものだと、人間どもに見せつけておくために必要な処置だ。大人しくしていろ」

「はいはい、私の身体はイグニスのものですよー。……でも、もう夜遅いんだから。それ以上やられると、くすぐったくて寝られない。寝られないから、もうやめて? 優しく言ってあげるうちに、ね?」


 アリアが首だけで少し振り返り、至近距離でイグニスの真紅の瞳を見つめながら、柔らかく微笑みかける。

 半神としての美貌が、月の光に照らされて、気が遠くなるほどに神聖で魅惑的に輝いていた。


 そのアリアの態度と美しさに、流石のイグニスも毒気を抜かれたのか、それとも満足したのか、ふっと小さく息を吐いて悪戯を止めた。


「……チッ。お前は本当に、我に対して遠慮がなくなったな」

「イグニスが優しくしてくれるからだよ。おやすみ、イグニス」

「……あぁ、おやすみ、アリア」


 イグニスはアリアを抱きしめる腕の力を少しだけ緩め、しかし完全に離すことはせず、彼女の頭の上に顎を乗せた。

 首筋に残る微かな熱と、背中から伝わる彼の力強い鼓動を感じながら、アリアはゆっくりと意識を深く沈めていく。


 人間の世界への不安は、もうない。

 明日からは、新しい旅が始まる。どんな困難が待ち受けていようとも、この最強の龍が隣にいてくれる限り、自分はどこまでだって自由に行ける。


 小さな家で、二人は寄り添いながら、静かに深い眠りへと落ちていった。

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