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TS転生したら邪神の花嫁になったけど、龍に助けられて幸せになります  作者: yorukane


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第4話 龍の巣

 満月の光を浴びながら、雲海を切り裂いて飛ぶこと数時間。

 周囲の景色は、なだらかな平原から、天を突くような巨岩が連なる峻険な山岳地帯へと移り変わっていた。人間の足では到底辿り着けないであろう、世界の果て。その最も高い山の頂近くに、ぽっかりと口を開けた巨大な洞窟があった。


 赤龍――イグニスはスピードを落とし、翼を大きく広げてその洞窟の前の岩場へと静かに着陸した。


「着いたぞ。ここが我の寝床だ」


 地響きのような声と共に、イグニスが巨躯を低くする。アリアはその強固な鱗から手を離し、しなやかな動きで地面へと飛び降りた。

 十年間、狭く薄暗い地下実験室に閉じ込められていたアリアにとって、外の空気はどこまでも新鮮で、夜の冷気すらも心地よく感じられた。アリアは、これから自分がしばらく身を寄せることになるであろう、最強の生物の「巣」を興味津々で見渡した。


 しかし、一歩足を踏み入れたアリアは、思わずパチクリと金色の目を瞬かせた。


(……あれ? なんか、思ってたのと全然違う)


 そこは、呆気ないほどに「何もない」場所だった。

 広大な洞窟の内部は、ただ削り出されただけの灰色の岩肌が広がっており、奥の方に龍の巨体を横たえるためとおぼしき、少し平らになった大きな寝床があるだけ。

 前世のファンタジー小説やゲームの知識、あるいはこの世界の一般的な伝承からすれば、ドラゴンの巣といえば、財宝の山で溢れかえっているものだと思い込んでいた。金銀財宝、きらびやかな宝石、伝説の武器や防具がうずたかく積まれ、その上で龍が眠る――そんな光景を想像していたアリアにとって、あまりにも殺風景なその空間は、拍子抜けというほかなかった。


 アリアが不思議そうに、あちこちの岩肌や地面をキョロキョロと観察していると、背後から巨大な質量が近づいてくる気配がした。


「どうした、小娘。何もないのが不満か? それとも、我の巣に何か怪しいものでもあるとでも思ったか?」


 イグニスが長い首を下げ、怪訝そうに聞いてきた。その燃え盛るような真紅の双眸がアリアを見つめている。


「あ、いえ、不満とかそういうわけじゃないんです。ただ……ちょっと意外だなと思いまして」

「意外? 何がだ」

「だって、おとぎ話とかだと、ドラゴンってキラキラしたものを集める習性があるってよく言われてるじゃないですか。金貨とか、大きな宝石とか、そういう財宝を山のように積み上げて、その上で寝てるイメージがあったので……。ここは、そういうものが何一つなくて、すごく綺麗に片付いているなと思って」


 アリアが素直に思ったことを告げると、イグニスは一瞬呆気にとられたように目を丸くし、それから低く、喉を鳴らすようにして笑った。


「くくく……、なるほど、人間どものくだらん伝承か。確かに、我ら龍族が輝くものや、魔力を帯びた稀少な物品を好むというのは間違いではない。我も、美しく煌めく宝石や、意匠の凝らされた美術品は嫌いではないからな」

「じゃあ、やっぱり集めてるんですか? でも、ここには何もないですよね」

「当たり前だ。そんな大事なものを、こんな剥き出しの場所に置いておくわけがなかろう。埃を被るし、何より、万が一にも羽虫のような盗賊どもに目をつけられて、留守中に触られるだけでも不愉快極まりない」


 イグニスは当然と言わんばかりに鼻を鳴らす。


「では、どこにあるんですか?」

「ここだ」


 イグニスがそう言った瞬間、彼の目の前の空間が、ぐにゃりと波打つように歪んだ。次の瞬間、その空間の裂け目から、視界が眩むほどの黄金の輝きと、圧倒的な魔力を放つ色とりどりの宝石たちが、一瞬だけチラリと顔をのぞかせた。


「これは『ストレージ』という魔術だ。我の所有物はすべて、この中に保管してある。これならば、どれだけ財宝を集めようが場所を取らんし、いつでも好きな時に取り出せる。寝床にわざわざ硬い金貨を敷き詰めて寝るなど、寝心地が悪くて叶わん。合理的だろう?」

「なるほど……。めちゃくちゃ現代的というか、合理的ですね」


 アリアは深く納得した。確かに、わざわざ巣に宝の山を築いて「ここに財宝がありますよ」とアピールするより、自身の固有空間に仕舞い込んでおく方が安全だし、寝心地も良いに決まっている。最強の龍は、意外にもリアリストだった。


「さて、と……」


 イグニスは一息つくと、大きな首を振った。


「この巨大な姿のままでは、お前のような矮小な人間と話すのは、どうにも視線が遠くて話しづらいな。少し待て」

「え?」


 アリアが声を上げるよりも早く、イグニスの巨躯が、眩い真紅の光に包まれた。

 光はみるみるうちに凝縮され、小さくなっていく。山ほどもあった巨大な龍のシルエットが、一人の人間の形へと縮んでいく。


 やがて光が霧散した時、そこに立っていたのは、一人の「男」だった。


 燃え盛る業火をそのまま形にしたような、鮮やかな赤髪。切れ長の目元に宿る瞳は、金色がかった深く鋭い赤。筋骨逞しく、しかし決して太すぎない、彫刻のように完璧に鍛え上げられた肉体。その立ち姿からは、ただ者ではない圧倒的な覇気と、ありえないほどの男らしい色気が放たれていた。まさに「天上天下唯我独尊」を体現したかのような、苛烈な美青年だ。


 ――ただし、一物の隙もなく、完全に『真っ裸』であった。


「ふぅ、この姿になるのは久方ぶりだな。やはり、お前たちと会話をするなら、この方が――」

「あ、あの! ちょっと待ってください! ストップです、ストップ!」


 アリアは、すかさず自分の両手でパッと目を覆った。指の隙間から見ないように、しっかりと視界を遮る。

 前世が男であったアリアにとって、男の裸体そのものに対する「羞恥心」のようなものは、実はそれほど強くない。男の身体の構造など嫌というほど知っているし、「ふーん、いい筋肉してんなぁ」くらいの感想が先に浮かぶ。

 しかし、現在の自分の肉体は十八歳の妙齢の女性なのだ。いくら相手が人間ではない龍とはいえ、美青年の全裸を平然と凝視し続けるのは、絵面的にも、倫理的にもよろしくない。


「なんだ、小娘。なぜ目を隠す?」

 イグニスは不思議そうに首を傾げた。龍族にとって、衣服などというものはただの飾りに過ぎず、裸であることに何の羞恥も抱いていないらしい。


「なぜって、服を着てください! 人間……あ、いえ、私は人間なんです。大人の男性の裸を、そんな堂々と見せられても困ります! ほら、さっきのストレージから、何か着るものを出してください!」

「チッ、面倒な生き物だな、人間というのは……」


 イグニスは低く舌打ちをしたが、アリアの頑なな態度に折れたのか、再び空間を歪めた。

 衣類が擦れる音が聞こえ、「もういいぞ」というぶっきらぼうな声が響く。


 アリアが恐る恐る手を退けて目を開けると、イグニスは衣服を身に纏っていた。

 それは、どこか異国情緒の漂う、アラビアン風のゆったりとした衣服だった。上質な白い生地に、金の刺繍が施された高価そうな代物。しかし、着方がかなり雑というか、元々そういうデザインなのか、胸元が大きくV字に開いており、彼の逞しい胸筋や腹筋がこれでもかと露出している。ワイルドで、かつ常軌を逸した美貌のせいで、その着崩した姿すらも異常に様になっていた。


「これで文句はあるまい」

「……まあ、さっきよりはマシです。ありがとうございます」


 アリアがホッと息を吐くと、イグニスは岩場に適当に腰掛け、長い足を組んでアリアを鋭い目で見据えた。


「では、本題だ、女。お前が何者なのか、その事情を教えろ。なぜあの地下施設にいた。なぜ、出来損ないとはいえ、神のブレスの余波に耐えられるほどの肉体を持っていた」


 その問いは、静かだが、世界の支配者としての絶対的な威厳に満ちていた。


 アリアは、一呼吸置いて彼を見返した。

「事情をお話しする前に、一ついいですか。……私は『女』ではなく、アリアという名前があります。それから、赤龍さんの、お名前を聞いても?」

「……アリア、か。私の名はイグニスだ」

「イグニスさんですね。分かりました」


 アリアは、己の過去を振り返りながら、ゆっくりと口を開いた。流石に「前世は日本の男でした」という転生者としての秘密だけは伏せることにした。それを話したところで、現状の謎の解決には何も寄与しないし、話がややこしくなるだけだ。


「私の過去は、お世辞にも良いものじゃありません。私は、王都の端にあるうらぶれた孤児院で育ちました。そこで平穏に暮らしていたんですが……十年前、ある日偶然、その孤児院が裏で子供たちを売っていることを知ってしまったんです。売られた子供たちは全員、ある組織の『実験台』にされている、と」


 イグニスは何も言わず、ただアリアの言葉に耳を傾けている。


「私は同室だった、ルインという男の子と一緒に孤児院を脱出しました。でも、追手に追いつかれて……。足を怪我した彼を逃がすために、私が囮になって捕まったんです。それから、あの地下施設に連れて行かれました」


 アリアの金色の瞳が、一瞬だけ鋭さを増す。


「そこでの十年間は、地獄でした。施設では『神の血』と呼ばれる不気味な液体を、注射器で人間の子供の身体に何度も何度も投与する実験が行われていたんです。普通の人間は、一回の投与で肉体が耐えきれず、爆発して死にます。何回も打たれて生き残った人間なんて、過去に一人もいなかった。……でも、私は、なぜか生き残ってしまった」

「……」

「何度も何度も打たれるうちに、だんだん苦痛もなくなり、気づけば私の肉体は、人間を辞めた存在――彼らの言う『半神』になっていました。元の黒かった瞳も、そのせいでこんな金色に変わってしまって。そして今日、私はあの施設の連中が召喚した『邪神の花嫁』として、あの化け物に捧げられそうになっていたんです。身動きが取れなくて、貞操の危機だったところを、イグニスさんが天井をブチ破って助けてくれた……それが、私のすべての事情です」


 アリアが淡々と、しかし生々しい事実を語り終えると、洞窟の中に静寂が訪れた。


 イグニスは組んでいた足を組み替え、ふむ、と顎に手を当てた。


「やはりな。お前がここへ着いた時から、その身に宿る濃密な神気には気づいていた。人間でありながら、限りなく神に近い肉体……人工的に『半神』を作り出すなどという大それた実験が、あの矮小な人間どもの手で成功していたとはな。道理で、我のブレスの熱に耐えられるわけだ」


 イグニスは驚きつつも、どこか感心したようにアリアの美貌を見つめた。

「数千、数万の人間を消費して、ようやく一人成功するかどうかの狂気の沙汰。お前のその強靭な精神と、肉体の適応力には、龍である我でも少しばかり敬意を表したくなるな」

「できれば、そんな不名誉な適応力、欲しくなかったんですけどね……」


 アリアは苦笑交じりに肩をすくめた。

 今度は、アリアの方から質問を投げかける番だった。


「私の話は以上です。今度は、私の質問に答えてもらえますか?」

「いいだろう。何が知りたい」

「まず、ここはどこなんですか?」

「さあな、知らん」

「えっ?」


 アリアは思わず素っ頓狂な声を上げた。自分の巣なのに、ここがどこか知らないとはどういうことだ。


「正確に言えば、人間どもがこの地域を何と呼んでいるかなど、興味がないという意味だ。我にとっては、ただの『寝床』であり。王都とやらからは、お前たちが一生かかっても歩いて辿り着けないほどには離れている、とだけ言っておこう」

「なるほど……、本当に世界の果てなんですね。じゃあ、もう一つ。……さっきの『邪神』って、一体何だったんですか? あんなドロドロのヘドロが神様だなんて、ちょっと信じられないんですけど」


 アリアの疑問に、イグニスはフッと鼻で笑い、知識を授けるように語り始めた。


「神と呼ばれる存在、あるいはそれに準ずる強大な怪異には、大きく分けて二つの種類が存在する。一つは、人間の負の感情や世界の歪みが集まり、純粋なエネルギーの塊として形を成した『概念の神』。さっきのヘドロは、まさにその後者だ」

「後者……」

「あれらは怨嗟や憎悪、淫欲といったドロドロとした感情が煮詰まって生まれた存在だ。ゆえに、姿形も定まらず、知性や理性もほとんどない。言葉すらまともに喋れず、ただ本能のままに欲求を満たそうとする。神と呼ぶにはあまりにも醜く、脆弱な『出来損ない』が多い。……まあ、中には例外的な強さを持つ奴もいるがな」

「じゃあ、もう一つの種類は?」

「『堕落した神』、だ。元々は世界の法則を司る正当な神であり、高い知性と強大な神格を持っていた存在が、何らかの理由で闇に落ちたケースだ。自らの意志で悪に染まった者もいれば、人間からの信仰を失って狂ってしまった者、あるいはより強大な負の力に飲まれてしまった者など、理由は様々だがな」


 イグニスは、真紅の瞳を妖しく光らせた。


「これらは、元が本物の神であるため、どれだけ堕落しようとも、最低限の強さが保証されている。理性があるか否かは個体差があるが、先ほどのヘドロのような有象無象とは比べ物にならんほど、強力であり、厄介な力を持つものが多い。……お前を実験台にしていた組織は、神の力を手に入れて、世界でも転覆させようと企んでいたのだろうな」

「ほえー……。神様にも、色々と派閥というか、生まれの違いがあるんですね」


 アリアは感心したように頷いた。前世の知識にはない、この世界の深淵の一端を垣間見た気がした。


 一通りの説明を終えると、イグニスはアリアを真っ直ぐに見つめ直した。


「質問には答えた。……さて、アリア。事情は分かったが、お前はこれからどうするつもりだ? 隷属の首輪は外れ、実験施設も消滅した。お前は完全に自由の身となったわけだが」


 これから、どうするか。

 アリアは、洞窟の外に広がる夜空を見つめた。


「そう、ですね……。いずれは、人里へ戻りたいなと思っています。普通の街へ行って、普通に暮らしてみたい。……でも、すぐには無理かな、とも思っています」

「なぜだ? その気になれば、我の背に乗せて、近くの街まで送り届けてやってもいいが?」


 イグニスの提案は、アリアにとって渡りに船のはずだった。しかし、アリアは小さく首を振った。


(……人里が、ちょっと怖いんだよね)


 アリアは、心の中で冷たいため息をついた。

 十年間、人間の醜悪な欲望と、狂気的な残酷さを嫌というほど見せつけられてきたのだ。孤児を金で買い、笑いながら実験台にして使い捨てる大人たち。アリアの美貌を見て、下劣な視線で組み敷こうと妄想していた研究員たち。

 今の自分にとって、「人間」という生き物は、あのドロドロとした邪神のヘドロよりも、ある意味で恐ろしく、信用できない存在になっていた。


 さらに言えば、今の自分は「黒髪に金色の目」を持つ、人間を辞めた半神の身体だ。この規格外の美貌と、制御しきれていない強大な魔力を抱えたまま人間の街へ行けば、間違いなく再びトラブルに巻き込まれる。別の貴族や研究者に目をつけられ、また捕まるかもしれない。そんなリスクを冒してまで、今すぐ人間の世界に戻る気にはなれなかった。


「人間の街へ行くのは、もう少し、自分の力をちゃんとコントロールできるようになってからにしたいんです。今の状態じゃ、目立ちすぎますし……何より、ちょっと、人間のことが信用できなくて」

 アリアは苦笑いを浮かべ、それから、少し上目遣いでイグニスを見つめた。


「だから……イグニスさん。もし迷惑でなければ、しばらくの間、ここに私を置いてくれませんか? あなたと一緒に、この巣で過ごさせてほしいんです」


 それは、甘えではなく、生き残るための合理的な交渉だった。最強の龍の庇護下にいれば、これ以上安全な場所はない。


 イグニスは、アリアの言葉を聞き、意外そうに眉を上げた。人間は龍を恐れ、避けるのが普通だ。それなのに、この娘は人間よりも、目の前にいる自分を選んだ。


「ハハハ! 面白い! 我よりも人間どもを恐れるとはな!」

 イグニスは豪快に笑った。その笑い声には、アリアへの明確な好意――ペットや面白い玩具を見つけた時のような、愉快な感情が含まれていた。


「いいだろう、アリア。お前がここにいることを許す。我の退屈を紛らわせる玩具としては、お前は上等すぎるからな。気が済むまで、我の傍にいるがいい」

「本当ですか!? ありがとうございます!」


 アリアはパッと顔を輝かせた。

 こうして、人間を辞めた黒髪金眼の半神の少女と、気まぐれで圧倒的な強さを持つ真紅の龍との、奇妙な共同生活が幕を開けた。

 人間の世界に対する疑心暗鬼を抱えながらも、アリアは十数年ぶりに得た、本当の意味での「安心できる居場所」に、そっと胸を撫で下ろすのだった。

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