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赤い糸、切ったり結んだりしております。  作者: 臥亜


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【第4話】厄病神の黒いハサミと、見えない空中戦

「私は『やく』。人間たちの脆い縁を断ち切り、絶望のどん底へ突き落とすのが趣味でしてね。……お遊びはここまでです、代行者さん」

 非常階段の薄暗い踊り場。

 真っ黒なスリーピーススーツに身を包んだ男が、銀縁眼鏡の奥で冷たい光を放ちながら、禍々しい『黒いハサミ』をチャキッと鳴らした。

(ねえクズ神、こいつ何!? なんか厨二病みたいなヤツ出てきたんだけど!)

『バカ、声に出すな! あいつは厄病神だ。俺たち縁結びの神とは対極の存在で、人間の運命の糸を切り刻んで不幸をばら撒く厄介な野郎だよ』

 脳内の縁様が、かつてないほど焦った声を出している。

「厄」と名乗った男は、私の反応を楽しむように薄く笑った。

「縁の神も、ついに人間に仕事を丸投げですか。落ちぶれたものですね。……まあいい。私がここに来たのは、最高に『美味しそう』な獲物を見つけたからです」

「獲物?」

「ええ。愛し合っているのに、すれ違い、疑心暗鬼に陥っているカップル。あの太い赤い糸が、私のハサミでプツリと切断され、愛が憎悪に変わる瞬間……たまらなく甘美なんですよ」

 厄病神が、長い指でトン、と非常階段の窓ガラスを叩いた。

 その視線の先にあるのは、ブライダル・アースの打ち合わせサロン。そこには、先ほど入店してきたばかりの新しいカップルの姿があった。

「嘘でしょ……」

 新郎の翔平しょうへいさんと、新婦の美香みかさん。

 二人の間には、本来ならとても太くて立派なはずの『赤い糸』が繋がっていた。しかし今、その糸はなぜかドス黒く濁り、ギリギリと悲鳴を上げるように引っ張られている。

「どうしていつも打ち合わせ中に寝るの!? 一生に一度の結婚式なのに、私ばっかり準備して……もう嫌! 翔平は私と結婚したくないんでしょ!?」

「違うよ、美香。ただ最近、仕事が忙しくて……ごめん」

 窓越しに、美香さんの怒声と、力なく俯く翔平さんの姿が見えた。

「ああ、素晴らしい。あと少しで心が折れる」

 厄病神が恍惚とした表情を浮かべ、サロンへ向かって歩き出した。

「ちょっと待ちなさいよ!」

 私は非常階段を駆け下り、サロンへと飛び込んだ。

 * * *

「葛城くん! 遅いよ、お客様がお待ちだ!」

 サロンに入るなり、宮本部長が飛んできた。今日も安定して顔色が土気色である。

「申し訳ありません、すぐ対応します!」

 私は翔平さんと美香さんのテーブルへ向かった。

 しかし、すでに彼らの背後には、あの黒スーツの厄病神が立っていた。(どうやら他の人間の目には、ただのイケメンな同僚か何かに見えているらしい)

 厄病神は、美香さんの小指から伸びる濁った赤い糸を指で摘むと、黒いハサミの刃をゆっくりと当てた。

『結衣! あいつのハサミに切られたら、テープじゃ二度と修復できねえぞ! 完全に縁が消滅する!』

(そんなの、させるもんですか!)

「お客様ぁっ! 失礼いたしますっ!」

 私はテーブルにスライディングするような勢いで滑り込み、厄病神と美香さんの間に強引に割り込んだ。

 そして、厄病神がハサミを入れる寸前、見えない赤い糸を両手でガシッと掴み、力任せに上に引っ張り上げたのだ。

 チャキンッ!

 厄病神の黒いハサミが、空を切る。

「……ほう。野蛮な真似を」

「ふふっ。当式場では、お客様の背後の霊的セキュリティも万全でございます」

「葛城さん? 何を一人でバタバタしてるんですか?」

 美香さんが、空中で謎のポーズを取る私を見て怪訝な顔をした。

「い、いえ! 最近、ブユが飛んでおりまして! ……ああっ、そっちにも!」

 私は美香さんの周囲をうろつく厄病神の前に立ち塞がり、見えない黒いハサミを弾き飛ばすために、空中に向かって猛烈なシャドーボクシングを開始した。

 シュッ! シュッシュッ! フック! からのアッパー!

「葛城くん!? 君、ついにストレスで幻覚が見えるようになったのか!?」

 少し離れた場所で、宮本部長が太田胃散の缶を落として崩れ落ちた。後で絶対始末書だ、これ。

 厄病神が冷たい声で囁く。

「無駄なことを。物理的に守っても、彼らの心のすれ違いが直らない限り、糸は黒く腐り落ちる。……ほら、新婦の顔を見てみなさい」

 ハッとして美香さんを見ると、彼女は泣き出しそうな顔で指輪を外そうとしていた。

「もういい。翔平がそんなに嫌なら、結婚なんてやめよう」

「美香、待ってくれ……っ!」

 翔平さんが手を伸ばすが、美香さんはそれを振り払う。

 二人の赤い糸から、バチバチと黒い火花が散り始めた。限界だ。

(どうすればいいの!? テープで貼る隙もない!)

『結衣! 黒い濁りを晴らすには、光を当てるしかねえ! 「真実」という名の光だ!』

(真実……?)

 私は、俯く翔平さんの手元を凝視した。

 彼のワイシャツの袖口。そして、無造作に置かれたカバンから少しだけはみ出している、見覚えのあるロゴの封筒。

 ウェディングプランナーとしての私の『観察眼(バグ分析脳)』が、瞬時に一つの仮説を導き出した。

「翔平さん」

 私はシャドーボクシングをピタリと止め、まっすぐに新郎の目を見た。

「深夜の物流センターでのアルバイト、週に何回入っているんですか?」

「えっ……」

 翔平さんが、ビクッと肩を震わせた。

「な、なんでそれを……」

「物流センター?」

 美香さんが涙を止めて、キョトンとする。

「翔平さんの手の甲や指先に、新しいダンボールの切り傷がいくつもあります。それに、先ほどから首を回す仕草。あれは重い荷物を運び続けた時の特有の疲労です」

「翔平……あなた、本業の営業の他に、バイトしてるの? どうして?」

 私は、翔平さんのカバンからはみ出している封筒を指差した。

「あれ、海外の高級ドレスブランドのカタログと、見積書ですよね。……美香さんが以前、『一度でいいから着てみたい』と仰っていた、五十万円の特注ドレスの」

 美香さんが、ハッと息を呑んだ。

「おっしゃる通りです……」

 翔平さんは観念したように、カバンから見積書を取り出した。

「美香の夢だったドレス、僕の今の給料じゃ厳しくて。でも、一生に一度の式だから、絶対に諦めさせたくなかった。だから内緒で夜勤のバイトを……」

「馬鹿っ!」

 美香さんが、翔平さんの胸をポカポカと叩いた。

「私がドレス着たいって言ったから!? それで倒れちゃったら、結婚式どころじゃないじゃない! ドレスなんかより、翔平が元気で隣にいてくれる方が、ずっとずっと大事なのに……っ!」

「ごめん。僕も、美香に心配かけたくなくて……本当にごめん」

 翔平さんが美香さんをきつく抱きしめる。美香さんも、翔平さんの背中に腕を回して大声で泣き出した。

 その瞬間だった。

 二人の間を繋いでいたドス黒い赤い糸が、内側からカッと黄金の光を放った。

 濁っていた黒い染みが、太陽の光を浴びた朝露のようにジュワッと蒸発し、本来の鮮やかで太い、絶対に切れない『赤い糸』へと生まれ変わったのだ。

「チッ……」

 厄病神が、眩しそうに顔を顰めた。

 彼が握っていた黒いハサミの刃が、黄金の光に当てられてボロボロと崩れ落ちる。

「愛の自己犠牲と、相互理解ですか。……胸焼けのする光だ」

 厄病神はスーツの埃を払うと、忌々しそうに私を睨みつけた。

「葛城結衣。プランナーのくせに、ただテープを貼るだけでなく、言葉で縁を結び直すとは。……覚えておきましょう。次にお会いする時は、あなた自身の縁を切り刻んで差し上げますよ」

 黒い男は、くるりと背を向けると、幻のように自動ドアの向こうへと消えていった。

 * * *

「葛城さぁん……ありがとうございますぅぅ……」

「僕たち、もっとちゃんと話し合います。葛城さんのおかげです!」

 完全に仲直りし、ペアルックのようにお揃いの笑顔を浮かべる二人を見送りながら、私はドッと押し寄せる疲労に壁に寄りかかった。

「……終わったぁ……」

『へへっ。やるじゃねえか結衣。シャドーボクシングはダサかったけどな』

(うるさいクズ神。厄病神なんかがいるなら、最初から教えといてよ!)

 ハアハアと肩で息をしていると、背後からスッと、冷たい水の入ったペットボトルが差し出された。

「……葛城くん」

「あ、部長。お見苦しいところを」

 宮本部長が、完全に悟りを開いたような遠い目で私を見ていた。

「君が、式場を守るために見えない不審者と戦う武闘派プランナーに転職したことは理解した。……だが頼むから、せめてお客様のいない裏口でやってくれないか。私の胃が、もう粉末を消化できないんだ」

「善処します」

 私はペットボトルの水を飲み干しながら、自分の小指をそっと見た。

 他人の糸は見えても、自分の小指からは、何の糸も伸びていない。

(私自身の縁を切り刻む、ね)

 愛なんて脳内のバグだ。そう思っていたはずなのに、厄病神から守り抜いた二人の黄金の糸は、悔しいけれど、とても綺麗だった。

「……さて。ノルマ達成まで、あと98組」

 崖っぷちウェディングプランナーとニート神の、ブラックすぎる縁結び代行業務は、まだ始まったばかりである。

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