【第3話】ケーキに恋した花嫁と、剥がれるセロハンテープ
ブライダル・アースの自動ドアが開き、一組のカップルが足を踏み入れた。
爽やかな好青年の新郎・健太さんと、ふんわりとした可愛らしい雰囲気の新婦・さやかさん。一見すると、どこにでもいる幸せ絶頂のカップルだ。
しかし、私の「神の眼(強制インストール済)」は、残酷な真実を映し出していた。
(……ちょっと待って。嘘でしょ?)
新郎の健太さんの小指から伸びる赤い糸は、隣を歩くさやかさんへと、まっすぐに伸びている。ここまではいい。普通だ。
問題は、新婦のさやかさんだ。
彼女の小指から伸びる赤い糸は、健太さんを完全にスルーし、サロンの廊下を這い、カフェスペースのショーケースの中にある『試食用の高級ガトーショコラ』に、ぐるぐると何重にも巻き付いていたのだ。
『ぶはっ! あいつ、男よりケーキと結婚する気満々じゃねえか!』
(笑い事じゃないわよクズ神! どうすんのよこれ!)
脳内で腹を抱えて笑うアロハ神を無視し、私は引きつった笑顔で二人を席へ案内した。
「本日はご来館ありがとうございます。プランナーの葛城です。さっそくですが、どのようなお式をご希望でしょうか?」
「あ、ええと……僕は彼女が主役になれるような、温かい式がいいなと……」
「葛城さん!」
健太さんの言葉を遮るように、さやかさんが身を乗り出してきた。その瞳は血走っている。
「ここの式場、フレンチのフルコースにオプションで『デザートビュッフェ食べ放題』がつけられるって本当ですか!? 全種類制覇するには何分の歓談時間が必要ですかね!?」
「さ、さやかちゃん……まずは日取りとか、ドレスの話を……」
「ドレスはお腹を締め付けないエンパイアライン一択だよ! コルセット締めたらケーキが5個しか入らなくなるでしょ!?」
健太さんの顔に、見る見るうちに哀愁が漂い始めた。
彼の小指の赤い糸が、ピクピクと悲しげに痙攣している。このままでは、「僕とケーキ、どっちが大事なんだ!」という古典的な修羅場に発展し、またしても宮本部長の胃に穴が開いてしまう。
(よし、やるしかない)
私は「少々資料をお持ちしますね」と席を立ち、ショーケースのガトーショコラの前まで移動した。
そして、周囲に誰もいないことを確認し、虚空に向かって神具のハサミを構える。
チョキン!
ケーキに巻き付いていたさやかさんの赤い糸を切断。そのまま糸の端を引っ張って席に戻り、落ち込んでいる健太さんの小指の糸に、神具のセロハンテープでペタッと貼り付けた。
(ふふっ、ちょろいもんね。これで彼女も、ケーキより健太さんに夢中に──)
ベリッ。
ボヨンッ!!
嫌な音がした直後。
貼り付けたはずのセロハンテープが、さやかさんの『食欲』という強大なエネルギーに耐えきれず、あっさりと剥がれ落ちた。
そして、ゴムパッチンのような勢いで弾け飛んだ赤い糸は、私の顔面をベチィッ! とビンタして、再びショーケースのガトーショコラへと巻き付いていった。
「……っっっっっつ!!」
『だーっはっはっは!! だから言ったろ! テープは「剥がれる」んだよ! 相手に対する気持ちが1ミリも向いてないのに、物理的にくっつけたってすぐ元通りだ!』
見えない糸のビンタは、地味に痛かった。私は涙目で頬を押さえる。
(じゃあどうすればいいのよ! このままじゃケーキと結婚式を挙げることになるわよ!)
『お前、プランナーだろ。テープの粘着力を高めるにはな、下地が必要なんだよ。つまり、「彼女の気持ちを彼に向かせるための一押し」だ』
一押し。
私は深呼吸をして、席に戻った。さやかさんはまだ、パンフレットの料理メニューを舐め回すように見つめている。
「さやかさん、当館の料理を気に入っていただけて光栄です」
「はい! もう絶対ここがいいです!」
「ところで、健太さん。少しお伺いしたいのですが」
私は、あえて新郎に話を振った。
「健太さんは、なぜさやかさんとご結婚を? ……その、彼女は少し、食のほうに情熱が偏っていらっしゃるようですが」
「葛城さん!」とさやかさんがムッとした顔をする。しかし、健太さんは照れくさそうに頭を掻き、ふっと優しい笑顔を浮かべた。
「……僕、さやかが美味しそうにご飯を食べてる顔が、世界で一番好きなんです」
「えっ」
さやかさんの動きが止まった。
「仕事で疲れて帰ってきた時も、さやかが『これ美味しいね!』って満面の笑みでご飯を食べてるのを見ると、全部吹き飛ぶというか。……結婚式でも、あんな風に笑ってほしくて。だから、さやかが一番美味しいって思える料理が出せる式場を探してたんです」
健太さんの言葉には、一片の嘘もなかった。彼の小指から伸びる赤い糸が、温かい光を放ち始める。
「健太……くん……」
さやかさんの瞳が揺れた。パンフレットから顔を上げ、じっと健太さんを見つめる。
ケーキに向かっていた彼女の赤い糸が、スルスルと解け、空中で迷うように揺れ動き始めた。
(今だ!)
私はすかさず、空中に浮いたさやかさんの糸の端を掴み、健太さんの糸に重ね合わせた。そして、神具のセロハンテープを、今度は念入りに、指の腹でギュッギュッと押し付けるように貼り付ける。
ピカーッ!
二人の糸が繋がり、眩しい光と共に、綺麗な一本の赤い糸になった。テープは……剥がれない。しっかりと結びついている!
「……健太くん、ありがとう」
さやかさんが、少し恥ずかしそうに健太さんの手を取った。
「私、ケーキの前に、ちゃんと健太くんのためにウェディングドレスのダイエットするね。……でも、デザートビュッフェは絶対につけたいな」
「あはは、もちろん。二人で全種類制覇しよう」
幸せそうに笑い合う二人を見て、私は心の中でガッツポーズを決めた。
「それではお二人とも、ケーキ入刀の代わりに、特大のお肉にナイフを入れる『ローストビーフ入刀』はいかがですか? ファーストバイトも盛り上がりますよ」
「それ最高です!!」
こうして、食いしん坊花嫁の案件も、無事に成約となった。
* * *
数時間後。
どっと疲れた私は、オフィスの裏にある非常階段で、缶コーヒーを片手にへたり込んでいた。
「はあ……。テープが剥がれるなんて聞いてない。プランナーの仕事と神様の代行を同時にやるなんて、ブラック企業も真っ青よ」
『ま、初回にしちゃ上出来だろ。人間の感情の機微を読んで、糸を誘導する。それが分かれば、100組なんてあっという間だ』
脳内のアロハ神が、偉そうに講評を垂れる。
(ふん。愛なんてバグだと思ってたけど、たまには……まあ、悪くないわね)
少しだけ温かい気持ちになっていた、その時だった。
『……結衣。気をつけろ』
突然、縁様の声が、今まで聞いたことがないほど低く、鋭いものに変わった。
(え? 何?)
コツ、コツ、コツ……。
非常階段の下から、ゆっくりとした足音が聞こえてきた。
現れたのは、一人の男。
隙のない、真っ黒なスリーピーススーツ。髪をオールバックに撫でつけ、銀縁の眼鏡の奥の瞳は、氷のように冷たい。まるで有能な弁護士か、あるいは……。
「……君が、縁の新しい代行者ですか」
男は私を見上げ、薄く笑った。
その瞬間、私は息を呑んだ。
男の右手には、私が持っている神具のハサミとよく似た、しかし禍々しい『真っ黒なハサミ』が握られていたのだ。
「誰、あなた」
「私は『厄』。人間たちの脆い縁を断ち切り、絶望のどん底へ突き落とすのが趣味でしてね。……お遊びはここまでです、代行者さん」
厄と名乗った男が、黒いハサミをチャキッと鳴らす。
『最悪だ……。厄病神の野郎、もう嗅ぎつけてきやがったか!』
脳内で縁様が舌打ちをする。
ただでさえ激務のウェディングプランナーの前に現れた、愛を引き裂く厄病神。
私の胃も、そろそろ太田胃散を必要とし始めていた。




