純銀の雨と、跪く魔狼
「……はぁ。次は『属性耐性』の実習? じっと座っているだけの座学よりはマシだけど、動くのはやっぱり面倒だわ」
特級学園の演習場。私はノヴァに背中を支えられながら、重い足取りで自分の立ち位置についた。
今日の授業は、様々な術式に対する耐性を確認する実習だ。演習場には、種族ごとの弱点に合わせた疑似的な攻撃術式が設置されている。
「マスター。バイタルに微細な乱れを確認。マナの消費を抑えるため、私の肩に体重を預けることを推奨します」
「……ありがと。少しだけ、お願いするわ」
ノヴァの華奢でマネキンのように完璧な造形の肩に、私はスレンダーな身体をそっと預ける。彼女からは相変わらず不快な熱も血の匂いもせず、ただ清潔なオイルの香りと静謐なマナだけが漂っていて心地いい。
そんな私を、離れた場所からギラついた目で見つめる男がいた。純血吸血鬼のルシアンだ。
彼は、取り巻きたちに囲まれながら、何やら禍々しい輝きを放つ『純銀のナイフ』を、仰々しい遠隔操作の術式で恐る恐る扱っていた。
「……ヒッ、あまり近づけるな。純血の俺たちにとっても、純銀は魂を削る毒だ。扱いを間違えれば、この俺とて無事では済まん」
ルシアンは顔を引きつらせ、額に嫌な汗を浮かべている。吸血鬼にとって、純銀は触れるだけで肉体を焼き、治癒不能の呪いをもたらす天敵だ。彼はそのナイフを、遠隔操作の術式で私の背後にセットしようとしていた。
「おい、忌み子。お前のような出来損ないには、特別に『吸血鬼の嗜み』を教えてやる。……食らえ、『純銀の雨』と『疑似太陽光』の複合術式だ!」
ルシアンが叫ぶと同時に、演習場の天井に設置された術式が起動した。
私の頭上から、吸血鬼を塵に変える強烈な『疑似太陽光』が降り注ぎ、同時に十数本の『純銀のナイフ』が、私の細い身体を狙って全方位から飛来する。
「シャルル!! 危ないっ!!」
遠くでそれを見ていたシエルが、悲鳴のような声を上げる。
(……あ。光が強くて、目がチカチカするわ)
私は逃げる体力すら勿体なくて、ただ目を細めて立ち尽くしていた。
けれど、その瞬間。私の中に眠る神族の『天力』が、外部からの光と聖なる属性に反応し、無意識のうちに体表を薄い膜で覆った。
キィィィィィン……!!
純銀のナイフが私の肌に触れた瞬間、それは突き刺さるどころか、まるでバターのように熱で溶け、私の体温を心地よく上げるための『熱源』へと変換された。
「……ん。……あ、これ……ちょっと温かくて心地いいわね。」
「…………は?」
ルシアンの口から、魂が抜けたような声が漏れる。
吸血鬼なら苦悶の声を上げてのたうち回るはずの地獄の光景。だというのに、私はあろうことか頬を微かに赤らめ、うっとりと目を細めて、降り注ぐ光と銀の雨を全身で受け止めていたのだ。
「馬鹿な……!! 純銀だぞ!? 太陽光だぞ!? なぜ……なぜ焼かれない!? なぜ溶けないんだぁぁぁっ!!」
ルシアンが頭を抱えて叫ぶが、私には彼の絶望など知ったことではない。むしろ、冷え切っていた身体が内側からポカポカと温まり、少しだけマナの循環が良くなった気がして、今日初めて小さな微笑みをこぼした。
* * *
実習の後半は、『使い魔召喚』の授業に移った。
「光マッサージ」で少しだけ体力を回復させた私は、相変わらずノヴァに付き添われ、演習場の隅でぼんやりと座っていた。
「見ろ、これが純血の証……我が一族に代々仕える最高位の眷属だ! 出でよ、『血塗られた魔狼』!」
ルシアンが派手な魔法陣を展開すると、そこから三メートルはあろうかという、どす黒いマナを纏った巨大な狼が現れた。
その鋭い牙からは毒気が滴り、赤い瞳には狂暴な殺意が宿っている。
「ヒハハハッ! この魔狼は、格下のマナを嗅ぎ取ると食い殺さずにはいられない性質でな。おい、行け! あの忌み子を少し教育してやれ!」
ルシアンの命令を受け、魔狼は低い唸り声を上げながら、地を蹴って私の方へと突進してきた。
周囲の生徒たちが「あいつ、死ぬぞ!」「教師は何をしてるんだ!」と騒ぎ出す。
「マスター。排除しますか?」
ノヴァが静かに戦闘態勢に入ろうとしたが、私はそれを手で制した。
(……あぁ。また騒がしくなる。……静かにして、って言ってるのに)
私は近づいてくる巨大な狼を、ただ気怠げな瞳で見据えた。
その瞬間――私の血の奥底に眠る、ひどく古くて巨大な『何か』。すべての種族を平伏させるような、底知れない捕食者としてのプレッシャーが、ほんの、ほんの一滴だけ、漏れ出してしまった。
「――っ!?」
空中で牙を剥き、私に飛びかかろうとしていた魔狼の動きが、不自然なほどピタリと止まった。
その赤い瞳に宿っていた狂気は一瞬で消え去り、代わりに絶望的なまでの『恐怖』がその全身を支配する。
着地と同時に、魔狼は私の足元で崩れ落ちた。
「……キャンッ! クゥゥゥゥン……」
さっきまでの威厳はどこへ行ったのか。巨大な狼は、震える脚を投げ出して仰向けになり、急所である腹を晒して「私に従います」と言わんばかりにシッポを激しく振り始めた。
「……よしよし。静かにしなさい。……埃が、舞うじゃない」
私が屈んで、その大きな頭を軽く撫でてやると、魔狼はうっとりと目を細め、私の指先を子犬のようにペロペロと舐め始めた。
「な……な……なななななっ……!?!?!?!?」
ルシアンの絶叫が演習場に響き渡る。
「俺の、俺の最高位の眷属が……!? なぜだ! なぜあんな忌み子に懐いている!? 立て! 立つんだブラッドウルフ! 噛み殺せと言っているだろうがぁぁぁっ!!」
ルシアンが狂ったように命令を飛ばすが、魔狼は彼の声など聞こえていないかのように、私の足元で「クゥーン」と甘えた声を出し続け、私の影から一歩も動こうとしない。
「……ルシアンさん。あなたのワンちゃん、少し教育が足りないんじゃないかしら。……ほら、向こうで飼い主が呼んでるわよ。行きなさい」
私がそう言って軽く背中を叩くと、魔狼は名残惜しそうに一度だけ私を振り返った後、ルシアンの方へ戻っていった……が、その顔は「あんな化け物に喧嘩売るんじゃねぇよ」とでも言いたげな、ひどく冷めたものだった。
「……はぁ。今日も疲れたわ。ノヴァ、あとは任せるわね」
「了解しました、マスター。これより寮までの最適ルートで帰還します」
呆然と立ち尽くすルシアンと、彼を憐れむような目で見つめる全校生徒を置き去りにして、私はノヴァに支えられながら、静かに、そして誰よりも速やかに演習場を後にした。
背後でリゼが「……純銀を吸収し、最高位の魔狼を一瞬で支配下に……。シャルル……やはりあなたは……!」と、猛烈な勢いでノートに書き殴っている気配がしたが、私はそれすらも、心地よい疲れの中へと放り出すのだった。




