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妖狐の調律と、明かされる異常な渇き

「……はぁ。今日は一段と、体が鉛みたいに重いわ……」


放課後の寮の自室。私は制服のままベッドに倒れ込み、冷たいシーツをきつく握りしめながら荒い息を吐いていた。

今日はやけに、体内のマナの反発が激しい。私という華奢で小さな器の中で、魔族の『闇』、天族の『光』、そして妖族の『気』という三つの相反する力が、まるで主導権を争う獰猛な獣のようにせめぎ合っている。

ただ息をして横たわっているだけなのに、内臓をヤスリで削られているような激しい疲労感と熱が全身を駆け巡っていた。頭の奥がガンガンと痛む。


「相変わらず、限界ギリギリの極悪な燃費じゃな、シャルル」


ふわりと、閉め切ったはずの窓際から、甘く退廃的なお香の匂いが漂ってきた。

重い視線を向けると、いつの間にか部屋に上がり込んでいた妖狐のシラヌイが、ベッドの傍らで呆れたように私を見下ろしている。その背後では、艶やかな九つの尾がゆらゆらと揺れていた。


「……勝手に入らないでって、いつも言ってるじゃない」

「そう睨むな。お主のひどいマナの乱れを遠くからでも感じてな。優しい優しい妾が、わざわざ様子を見に来てやったんじゃぞ。感謝してほしいくらいじゃ」


シラヌイはベッドの端に優雅に腰掛けると、自慢の尾のうちの一本を伸ばし、私の汗ばんだ額を優しく撫でた。モフモフとした毛並みが触れると同時に、ひんやりとした心地よい気配が伝わってくる。


「お主、三つの力を無意識に力技だけで抑え込もうとしておるじゃろ。それじゃあ体力が保つわけがない。いいか、少しだけ妾の『妖力』の波長に合わせるんじゃ。……魔と天の間を取り持つ緩衝材として、妖の気を巡らせろ。少しだけ、妾が手伝ってやる」


シラヌイの言葉に従い、私は抵抗するのをやめ、彼女の尻尾から伝わる甘く重いマナに自分の波長を少しだけ預けてみた。

すると、どうだろう。体内でバチバチと火花を散らして反発していた白と黒の力の間に、シラヌイの『妖力』がクッションのように滑り込んでいく。軋みを上げていた歯車に極上のオイルが注がれたように、体内のマナの循環がふっと軽くなった。


「……あ。少しだけ、呼吸が楽になったわ」

「ふふっ、じゃろ? 妖狐秘伝のマナ調律法じゃ。妾の気はお主の体内の妖力と親和性が高いからな。……とはいえ、これはあくまで一時的な応急処置。お主の根本的な燃費の悪さが解消されたわけではないぞ」


シラヌイは胸元から豪奢な扇子を取り出し、ピシャリと閉じて私の鼻先を軽く叩いた。

先ほどまでのからかうような態度は消え、その切れ長の瞳が少しだけ真剣な色を帯びる。


「一番手っ取り早くて、そして確実な方法は一つだけ。お主自身が『血』を飲むことじゃ」


「……」


「吸血鬼にとって血とは、単なる胃袋を満たす食料ではない。それは体内で暴れる強大な闇のマナを制御し、自身の肉体に定着させ、限界を突破させるための必須の『触媒』なんじゃよ。いわば、お主という規格外のエンジンを冷やすための、極上の冷却液じゃ」


シラヌイは顔を近づけ、私の目を真っ直ぐに覗き込んだ。


「本来、吸血鬼が血を飲まずに生きていくことなど不可能なんじゃ。血という触媒を絶てば、マナの制御が効かなくなり、普段の十分の一も力が出せなくなる。常に極度の貧血状態に陥り、やがては立つことすらできなくなって日常生活にも支障をきたす。最悪の場合、理性を失って獣のように血を求めるだけの屍鬼グールに成り下がる者もいるほどじゃ」


彼女の甘い吐息が私の頬を撫でる。


「お主のその極端な気怠さや、すぐに眠りたくなる極悪な燃費も、マナの衝突だけが原因ではない。吸血鬼としての本能が引き起こす、慢性的な『血の飢え』が身体の機能を強制的に制限しているはずじゃぞ。……さぁ、意地を張らずに妾の血を吸え。純度の高い妾の血をほんの少し口に含むだけで、その重たい身体も嘘のように――」


「人の血なんて、吸ったことないわ」


私がぽつりとこぼしたその言葉に、シラヌイの言葉がピタリと止まった。


「……は?」

「今まで生きてきて、人の血を飲んだことなんて一度もないって言ってるの。……あの、鼻をつくようなむせ返る匂い。生温かい温度。想像しただけで気分が下がるし、吐き気がするわ」


私はシーツから顔を背け、忌まわしい過去の記憶を思い出しながら小さくため息をついた。


「どうしても飢えに耐えきれなくて、本当に、あと数秒で干からびて死ぬって思った時に……森の奥で、獣の血を啜ったことが過去に三回だけあるわ。ひどく泥臭くて、錆びた鉄を舐めているみたいで……すぐに全部吐き戻したけれど。それ以外は、普通の食事と睡眠だけでやり過ごしてきたの。だから、これからも絶対に吸わないわ」


「…………」


部屋の中に、奇妙な沈黙が落ちた。

いつもなら「強がるでない」と余裕の笑みでからかってくるはずのシラヌイから、一切の反応がない。

不思議に思って振り返ると――シラヌイは持っていた扇子を床にカランと取り落とし、目を限界まで見開いて、信じられないものを見るような顔で私を凝視していた。


「な……んじゃと……?」


彼女の艶やかな九つの尾が、かつてないほどの動揺でバサバサと逆立っている。


「人の血を、一度も……? 獣の血を、生涯でたった三回……!? じゃ、じゃあお主……今のお主のそのデタラメなマナの総量と出力は、完全な『飢餓状態』で出しておるのか……!?」


「うるさいわね。だからいつも眠いって言ってるじゃない。……埃が舞うから、尻尾をバタバタさせないでちょうだい」


「常軌を逸しておる……っ!」

シラヌイは震える手で口元を覆い、後ずさった。

「血を飲まずに……本来の十分の一以下の力しか出せない絶食状態で、入学式の古代魔石を粉砕し、ルシアンの必殺の術式を無意識の天力で消し飛ばしたというのか!? 獣の血だけで、これほどのマナを抑え込んでいると……っ」


彼女の顔に浮かんでいるのは、明らかな『戦慄』だった。

天狗族すら手玉に取り、この学園でも最強格であるはずの大妖怪の彼女が、底知れぬ恐怖と、それ以上の強烈な好奇心に当てられて身震いしている。


(……もし、この子が。これほどの規格外の化け物が……妾の純度の高い『本物の血』を口にしてしまったら。一体、どれほどの力が目を覚ますのじゃ……!? この世界が、一瞬で消し飛ぶのではないか……?)


シラヌイの熱と畏怖を帯びた視線が、私を射抜くように見つめている。

そんな彼女の複雑な心境など知る由もなく、私は少しだけマナの循環が楽になった華奢な身体を丸め、今日何度目かの深大なため息と共に再び浅い眠りへと落ちていくのだった。

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