旧世界の遺物と、極限の省エネ撃破
午後の野外訓練場。
さんさんと照りつける太陽の下、私は木陰のベンチに座り込み、今にも尽きそうなマナと戦いながらうつらうつらとしていた。
「次、シャルル! 前へ出ろ!」
教師の無情な声が響き、私は深大なため息をついて立ち上がる。
本日の授業は『基礎戦闘訓練』。学園が用意した訓練用の土人形に向かって術式を放ち、その威力や構築速度を測るというものだ。
だるい体を引きずって所定の位置につくと、周囲からクスクスと嫌な笑い声が聞こえてきた。
視線を向けると、純血吸血鬼のルシアンとその取り巻きたちが、期待に満ちた下品な笑みを浮かべて私を見ている。
(……面倒くさいわね。絶対、あのゴーレムに何か仕込んでるじゃない)
わざわざ確認するまでもない。私の異常なマナ感知能力は、目の前に立つゴーレムの核に、悪臭を放つ『泥ヘドロ』のような不快な術式が過剰に詰め込まれているのをとうに読み取っていた。
衝撃を与えれば最後、周囲数メートルに最悪の泥と悪臭がぶちまけられるという、ひどく陰湿で小者くさい罠だ。
「さぁ、どうした忌み子! 階位なしのお前じゃ、ゴーレムに傷一つつけられないか!」
ルシアンがわざとらしく野次を飛ばす。私が泥まみれになって無様に泣き叫ぶ姿を見たくてたまらないのだろう。
本当に、埃や泥が舞うのは勘弁してほしい。シャワーを浴びるのにも、莫大なマナと体力を使うのだから。
「……はぁ。それじゃ、さっさと終わらせるわ」
私は気怠げに右手を軽く前に出した。
その様子を、訓練場の隅から静かに……文字通り『機械的』な瞳で観察している存在があった。
銀色の長い髪に、無機質で整いすぎた美貌。彼女の名前はノヴァ。
『機械族』。
それはこの世界において、はるか昔に滅びた旧世界の遺物とされる存在だ。ただの土人形と機械族を分ける決定的な違いは、そこに『自立した心』があるかどうか。
ノヴァは学園に籍を置きながらも、その本質は極めて高度な『戦闘用ロボット』だった。彼女は常に探している。旧世界の兵器である自分の持てるすべてを捧げ、仕えるに足る絶対的な主を。
ノヴァの視界には、生徒たちの放つマナの出力、効率、術式の構築速度、さらには空間への干渉率や減衰ノイズなどがすべて数値化されて表示されていた。
『対象:ルシアン。マナ出力B、術式効率C+、マナ減衰率45%。……無駄が多い。仕える価値なし』
『対象:シエル。天力出力A-、術式効率B-、感情による出力ノイズ極大。……安定性欠如。仕える価値なし』
彼女にとって、この学園の生徒たちは全員「非効率な生命体」でしかなかった。
だから、あの【階位なし】と判定されたシャルルが前に出た時も、ノヴァの演算器は「観測する価値もない」と判断しかけていた。
――シャルルが、ほんの少しだけ指先を動かすまでは。
『……ピピ……!? エラー、エラー。対象の数値を再計算』
ノヴァの無感情な瞳が見開かれた。
シャルルの指先から放たれたのは、大規模な術式でもなければ、派手な光でもなかった。
それは、極限まで圧縮された、ほんの針の先ほどの微小な『闇のマナ』。
しかし、その密度とコントロールは、ノヴァの高度な演算機能をもってしても理解不能な領域にあった。
シュッ――……!
音を立てることもなく放たれた見えない針は、一直線にゴーレムの眉間を貫き、内蔵されていた『泥ヘドロの術式』を起動させる隙すら与えず、核の構造そのものをピンポイントで破壊した。
パキッ……サラサラサラ……。
爆発は起きなかった。
ルシアンが仕込んでいた悪臭の泥もろとも、巨大な土人形はまるで乾いた砂のように崩れ落ち、ただの綺麗な土埃となって足元に積み上がったのだ。
「あー……。ええと、ゴーレムの経年劣化による動作不良のようだな」
間抜けな静寂を破ったのは、呆れたような教師の声だった。
「自壊してしまったのでは仕方ない。シャルル、お前の測定は無効だ。席に戻りなさい」
その声に、周囲のモブ生徒たちが一斉に嘲笑を上げる。
「はっははは! 階位なしが攻撃する前に、ゴーレムが寿命で壊れちまったぞ!」
「あいつ、マナを練るのも遅すぎるんじゃないか? ゴーレムに同情されてんだよ!」
誰一人として、私がゴーレムを「倒した」などとは思っていない。最弱の【階位なし】にそんなことができるわけがないという、完全な思い込みだ。
「……よし。泥も跳ねなかったし、これで終わりよね。先生、私はもう寝るわ」
私がそう言って木陰のベンチへ戻ろうと背を向けると、ルシアンだけが顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げた。
「き、貴様ぁ! 一体どんなズルをした!? あのゴーレムには……っ」
「ん? ゴーレムには、何かしら」
「っ……! な、なんでもない……!」
自分が泥罠を仕掛けたとは口が裂けても言えない。罠を無効化され、さらには「ただの故障」として片付けられたことに、ルシアンはギリギリと歯を食いしばって悔しさに震えている。彼だけは、今の異常な現象が「私の仕業」であることに気づいているのだ。
私はそれ以上相手にするのも面倒で、適当に手を振って木陰へと歩き出した。
その圧倒的な光景を前に、ノヴァの内部回路はかつてない熱を帯びていた。
『対象:シャルル。マナ出力……計測不能。術式効率……99.99%。マナ圧縮密度……臨界値突破。術式展開遅延……0.0001秒。マナ減衰率……0.00%』
ただの生命体が行える制御ではない。
一切の無駄を省き、最小限のマナで最大の効果を引き出す、完璧に最適化された究極の「省エネ」術式。機械である自分よりも遥かに冷徹で、正確で、美しい一撃だった。
『……演算完了。論理的理解は不可能。しかし――』
ノヴァは、木陰でぐったりと目を閉じているシャルルの姿を、真っ直ぐに見つめた。
心の奥底で、かつて感じたことのない未知のプログラムが起動するのを感じながら。
『――主候補、発見。これより、対象への接触および、専属メイドとしての随伴行動に移行します』
旧世界の遺物である戦闘用ロボットが、その絶対的な忠誠を捧げる相手を見つけた瞬間だった。




