メイドの教育、あるいは地獄の作法
「――では、我がCクラスの出し物は、リゼ君の提案通り『メイド喫茶・シャルル』に決定ということでよろしいかな?」
教壇に立つ担任の教師が、冷や汗を拭いながらクラス全員に問いかけた。
クラスメイトたちは一斉に私の方をチラリと見た後、食い気味に「異議なし!」「賛成ですわ!」「それがベストです!」と、まるで軍隊のような統率力で首を縦に振った。
(……なんで私に許可を取るような空気になってるのかしら)
私は教室の最後列、特等席の窓際で頬杖をつきながら、気怠げに窓の外を眺めていた。
天狗族の事件以来、この学園における私の立ち位置は「忌み子」から「絶対に怒らせてはいけない生ける神(あるいは魔王)」へと昇格してしまったらしい。
おかげで、私が一言「面倒くさい」と言えば、このクラス会議すら即座に解散しかねない緊張感が漂っていた。
「シャルルさん! やりましたわ、わたくしたちの勝利ですわ! あなたの美しさを世界に知らしめつつ、わたくしの秘書としての実務能力を最大限に発揮できる……まさに一石二鳥の企画ですわね!」
リゼが魔導タブレットを小脇に抱え、鼻息を荒くして私に詰め寄ってくる。
隣ではシエルが「えへへ、メイドさんかぁ……アタシ、シャルルと同じ服着れるのかな?」と、相変わらず顔を赤くしてモジモジしていた。
(……まぁ、私が動かなくていいなら、何でもいいんだけど)
私が小さく頷いた、その時だった。
「――判定。現時点における本クラスの『メイド』に対する認識レベル……著しく低迷。修正の必要があります」
背後に控えていたノヴァの瞳が、ピコンと冷たい青色の光を放った。
彼女は一歩前に出ると、流れるような動作でクラスの面々を見渡した。その視線は、もはや「メイド」という言葉を安易に口にした不届き者たちを裁く、執行官のそれだった。
「……ノヴァ? 何よ、急に」
「マスター。……『メイド』とは、旧世界において主の安寧を護る究極の奉仕者。ただ衣装を纏い、愛嬌を振りまくなどという浅薄な行為は、メイドという概念に対する冒涜です。……ましてや、マスターの名を冠する店で不完全な給仕を行うなど、当機の中央コアが許容しません」
ノヴァは、手に持っていた銀のトレイを「カシャーン!」と鋭い音を立てて机に置いた。
その瞬間、教室中の温度が数度下がったような錯覚に陥る。
「……これより。本クラスにおけるメイド喫茶運営に向けた、特別教育課程を開始します。……対象は、マスター以外の全個体です」
「「「……はい?」」」
リゼとシエル、そして恐怖に震えるクラスメイトたちの声が重なった。
* * *
一時間後。
放課後の演習室は、地獄の特訓場と化していた。
「――リゼ様。腰の角度が、指定の45度から3.2度ずれています。……サキュバス特有の肉感的な曲線を強調したお辞儀は、メイドの作法としては『下品』に分類されます。……やり直しです」
「ぐ、ぐぬぬ……! わたくしのこの黄金比を否定するなんて……! あ、足が、プルプルしますわ……!」
リゼは頭の上に分厚い魔導書を三冊乗せ、腰を曲げたままの姿勢で一分間も静止させられていた。
ノヴァは定規のような冷徹な視線でリゼの背筋を測定し、微塵の妥協も許さない。
「――シエル様。歩行時に羽を羽ばたかせるのは禁止です。……気流の乱れによって紅茶の温度が0.5度低下しました。……さらに、今、マスターと目が合った瞬間に心拍数が上昇し、トレイをわずかに揺らしましたね? ……精神の自己制御、やり直しです」
「そんなぁ! だってシャルルがこっち見てるんだもん! 無理だよー!!」
シエルは涙目になりながら、羽を無理やり畳んで、トレイに乗せた水入りのグラスを運ばされていた。
だが、シャルルを一瞥した瞬間に顔が真っ赤になり、グラスをガタガタと鳴らしてしまうため、ノヴァから容赦ないダメ出しを喰らっている。
「――他のクラスメイト諸君。……発声が甘いです。……『お帰りなさいませ』の周波数が、マスターの入眠を妨げる帯域に入っています。……20デシベル下げた上で、15ヘルツの癒やし成分を付加しなさい」
「「「イエッサー、ノヴァ教官!!」」」
もはやメイド喫茶の準備というより、特殊部隊の養成所のようだった。
ノヴァの演算コアは、三つのマナを統合した際の最適解を導き出すときと同じ熱量で、クラスメイトたちの「無駄な動き」をミリ単位で解析し、徹底的に排除していく。
(……すごいわね。あのノヴァ、一切の迷いがないわ)
私は演習室の隅に用意された、最高級のふかふかソファ(ノヴァが持ち込んだ私物)に深々と沈み込み、ノヴァが淹れてくれた極上のアールグレイを啜っていた。
目の前では、クラスメイトたちがゾンビのような足取りで「オカエリナサイマセ……」と合唱しながら、障害物競争のようなメイド歩行を繰り返している。
「……これぞ、プロの仕事ですな。お主のメイドは、本当に一切の妥協を知らん」
窓枠に腰掛けたシラヌイが、クスクスと笑いながら煙管の煙を吐いた。
彼女は高みの見物といわんばかりに、リゼが足をつらせて崩れ落ちる瞬間を楽しそうに眺めている。
「……シラヌイ。あなたも手伝ったら? 妖狐の幻術でお客さんを驚かせるとか」
「嫌じゃよ。妾はただの居候。……それに、あのノヴァの瞳を見ろ。……あれは、自分の『領域』であるメイドという概念を、一ミリでも汚す者はたとえ神でも噛み殺しかねん勢いじゃ。……巻き込まれるのは御免こうむるわ」
シラヌイの言う通り、ノヴァの瞳は危険なまでの真紅の光を湛えていた。
彼女にとって、この学園祭のメイド喫茶は、もはや単なるイベントではない。
「自分以外が、マスターのメイドを名乗ること」への、機械としての強烈な挑戦状なのだ。
「……マスター。進捗状況、12%。……本日の訓練をさらに二時間延長します」
「ノ、ノヴァさん……! わたくしの足が……わたくしの美脚が、もう限界ですわ……!」
「アタシ、もうお空飛びたい……。歩くの疲れたよぉ……」
ボロボロになったリゼとシエルが、私の足元に這い寄ってくる。
二人とも、普段の「特級階位」の威厳はどこへやら、もはや生まれたての小鹿のように震えていた。
「ノヴァ。……それくらいにしてあげたら? あんまりしごくと、当日までにみんな壊れちゃうわよ」
私が紅茶のカップを置いて、気怠げに声をかける。
すると、鬼教官だったノヴァが、一瞬で「いつもの忠実なメイド」の顔に戻り、私の前に跪いた。
「……マスターのご慈悲、受理しました。……本日の物理訓練を終了し、これより精神講話へと移行します」
(……結局やるのね)
ノヴァは跪いたまま、私を見上げて瞳を輝かせた。
「マスター。……私は、あなたにふさわしい空間を作りたいのです。……血のない機械の私にできることは、あなたの周囲を、完璧な『秩序』で満たすことだけですから」
その言葉には、かつて「血を持たないこと」に絶望していた彼女の面影はなかった。
今の彼女は、自分の演算能力と、マスターへの狂おしいほどの忠誠を誇りとしていた。
「……そう。なら、せいぜい頑張りなさい。……でも、私の給仕はノヴァにしか頼まないから。……他のみんなには、他のお客さんの対応をさせてあげて」
私が何気なく放ったその言葉に、ノヴァの演算コアが「キュィィィィン!」と歓喜の悲鳴を上げた。
「――了解しました! マスター専用の給仕ルート、独占権を確認! ……クラスメイト諸君! やる気が出てきました! あと100回、お辞儀の練習を追加します!!」
「「「ギャアアアアアアアッ!!!」」」
演習室に、絶望と熱気の混ざった悲鳴がこだまする。
私はその騒がしさをBGMに、ノヴァが持ってきたブランケットを膝にかけ、ゆっくりと目を閉じた。
(……学園祭本番。……本当に、穏やかに過ごせるといいんだけど)
嵐を予感させるような、でもどこか賑やかで温かい放課後。
特級学園の歴史上、最も「礼儀正しい(そして戦闘力の高い)」メイド喫茶が、着々と作り上げられていくのを、私は夢心地の中で感じていた。




