カオスなお見舞いと、天使の甘い夢
特級学園を襲った天狗族による『腐血の結界』事件。
あの未曾有のテロリズムによって多数の負傷者と施設への被害が出たため、学園は当面の間、完全休校という措置が取られていた。
「……まぁ、私としてはずっと寝ていられるから好都合なんだけど」
復旧作業で騒がしい学園を離れ、私は学園都市の高級商業エリアを歩いていた。
今日は、いまだに特別医療棟で眠り続けているシエルのために、『お見舞いの品』を買いに街へ降りてきたのだ。
「マスター。本日の移動ルートおよび、各店舗の在庫状況のデータリンクは完璧です」
「わたくしにお任せくださいな! シエルさんが一日も早く回復するような、最高の品を見繕ってみせますわ!」
「ふふっ。久々の下界での買い物じゃ。たまには息抜きも悪くないのう」
私の背後には、完璧なメイド服姿のノヴァ、魔導タブレットを構えて鼻息を荒くするリゼ、そして着物流しで優雅に煙管を揺らすシラヌイが付き従っている。
この美少女三人(しかも規格外の力を持つバケモノ級)を引き連れて歩いているせいで、すれ違う街の人々がモーセの十戒のように道を空けていくのが少し面倒だった。
「それじゃあ、各自でシエルが喜びそうなものを探してきて。一時間後に、あの噴水前で集合よ」
「了解しました」
各自がバラバラに商業エリアへと散っていく。
私は「お見舞いといえば、やっぱり睡眠の質を高めるものよね」という完全に自分基準の思考で、高級寝具店へと足を向けた。
* * *
一時間後。
待ち合わせの噴水前に戻ってきた私たちは、それぞれが選んできた『お見舞いの品』を見せ合っていた。
「……リゼ。それは何?」
私が呆れたように指差したのは、リゼの背後にうず高く積まれた、軽く100冊は超えるであろう分厚い魔導書の山だった。
「ふふん! 題して『天族と魔族の歴史・完全網羅セット』ですわ! 目覚めた直後のシエルさんの脳に知的刺激を与え、魔導の深淵へと誘う最高のプレゼント……それに加えて!」
リゼはドヤ顔で、妖しいピンク色の液体が入った瓶を取り出した。
「サキュバス族秘伝の『特濃・精力増強ローヤルゼリー』ですわ! これを飲めば、どんな衰弱した患者も一晩でハッスル間違いなしです!」
「……却下よ。シエルに歴史書なんて読ませたら知恵熱を出して余計に寝込むわ。それにその怪しいゼリー、どう見ても成分がピンクすぎるから没収」
「そ、そんなぁ!」
肩を落とすリゼを横目に、次はノヴァが一歩前に出た。
「マスター。私が選定した最適解はこちらです」
ノヴァが空間収納から取り出したのは、無数の鋭い刃とアームがついた、どう見ても旧世界の殺戮兵器にしか見えない巨大な機械だった。
「……ノヴァ、何それ。拷問器具?」
「否定します。これは『全自動・超高速羽毛グルーミングマシン』です。毎分一万回転の特殊ブレードが、シエル様の傷ついた羽を細胞レベルでブラッシングし、完璧な空気抵抗ゼロの翼へと物理的に再構築します。……少々の流血は伴いますが、効率は最高です」
「シエルがミンチになるから絶対にやめなさい。粗大ゴミに出しておくわよ」
「……演算外のエラーです。却下されました」
私は深くため息をついた。
知っていたけれど、この子たちの『常識』はやっぱりどこかズレている。
「ふふっ。お主ら、本当にセンスがないのう。シエルに必要なのは、もっと魂に直接訴えかけるような『癒し』じゃよ」
シラヌイが余裕の笑みを浮かべ、懐から豪華な木箱を取り出した。
中に入っていたのは、妖しく紫色に光るお香だった。
「妖狐一族に伝わる『九尾の夜伽香』じゃ。これを焚けば、血の巡りが爆発的に活性化し、理性を吹き飛ばして本能のままに愛を貪りたくなる……まさに生命力の根源を呼び覚ます至高の逸品じゃぞ。シャルルも一緒に嗅いでみるか?」
「……一番タチが悪いわね。それ、ただの惚れ薬か何かでしょ。没収よ」
「あいたっ!」
私はシラヌイの狐耳を軽く引っ張り、木箱を取り上げた。
「……はぁ。やっぱり、私が選んだものが一番無難みたいね」
私が空間収納から取り出したのは、淡いブルーの『超低反発・無重力クラウドピロー(枕)』だった。
「天族の羽毛の柔らかさにも負けない最高級の枕よ。これなら、ベッドで寝ている間も首が疲れないし、何より私が一緒に寝る時に便利だから」
「結局、シャルルさんが自分が寝たいだけではありませんの……!」
「マスターの効率的な睡眠欲求、全面的に支持します」
すったもんだの末、結局私のお見舞い品(と、リゼたちが買った無難なお菓子)だけを持って、私たちは特別医療棟へと戻ることにした。
* * *
静寂に包まれた病室。
夕暮れの光が差し込む中、シエルはまだ規則正しい寝息を立てていた。
「シエル、お見舞い買ってきたわよ」
私はベッドの脇のテーブルに買ってきた品を置き、椅子に腰掛けて彼女の寝顔を見つめた。
呪いの黒い染みは完全に消え、本来の純白で神聖な羽が、シーツの上に美しく広がっている。
(……それにしても、よく寝るわね。私の睡眠時間を超える気かしら)
私がシエルの白い前髪をそっと払いのけようと、指先を伸ばした時だった。
「……ん、ぅ……」
微かに、シエルの唇が動いた。
「シエル?」
長いまつ毛が震え、ゆっくりと、本当にゆっくりと、彼女のまぶたが開かれる。
深い海のような青い瞳が、焦点を探すように宙を彷徨い、やがて……私を真っ直ぐに捉えた。
「……シャ、ルル……?」
「! 気づいたのね、シエル。気分はどう?」
「シエルさん! よかったですわ!」
「マスター、シエル様のバイタルが正常値へと急激に回復しています」
私たちが一斉にベッドを覗き込むと、シエルはぼんやりとした顔で私たちを交互に見つめた。
そして、自分が生きていること、皆が側にいてくれることを理解したのか、その大きな瞳からポロポロと大粒の涙をこぼし始めた。
「……あ、あぁ……アタシ、生きてる……! シャルル、シャルルぅぅっ!」
シエルは跳ね起きるなり、私に力強く抱きついてきた。
純白の羽が私をすっぽりと包み込む。
「……バカね。あんなカラスの呪いごときで、死なせたりしないわよ」
私は彼女の背中を優しく撫でた。
シラヌイたちも、ホッとしたような、温かい笑顔を浮かべている。
だが。
「……ねぇ、シャルル」
泣き止んだシエルが、私の胸の中からそっと顔を上げた。
彼女の顔は、なぜか耳の先まで真っ赤に茹で上がっている。高熱でも出たのかと思うほど、尋常ではない赤面だった。
「……アタシね、ずっと、すっごく長くて不思議な夢を見てたの」
「夢?」
「うん。……なんだか、シャルルがすっごく悲しそうに泣いてて……。だからアタシ、シャルルを元気づけようとして……」
シエルはモジモジと自分の人差し指同士を合わせながら、上目遣いで私を見た。
そして、とんでもないことを口走った。
「……夢の中で、アタシ……シャルルのお口に、チュー、しちゃったの……」
「…………はい?」
病室の空気が、ピタリと凍りついた。
「……なんですって?」
背後から、リゼの眼鏡がピキッと音を立てる。
「……マスターへの粘膜接触。……シエル様、それは夢ではなく、事後報告ですか?」
ノヴァの演算コアが、危険な赤色に明滅し始める。
「ほぅ……? なかなか抜け駆けが上手い鳥じゃのう」
シラヌイが、煙管を握りつぶさんばかりの笑顔を浮かべている。
「ち、違うよ!? 本当に夢の中で、すっごく温かくて、でも血の味がして……!! シャルルに『私たちの力ごと食べて』って……!」
必死に弁解するシエル。
だが、その言葉を聞いて、私の中で『ある記憶』が鮮烈にフラッシュバックした。
(……血の味。『私たちの力ごと食べて』……?)
それは、私が迷宮の底でノヴァたちの温もりを失い、シラヌイの血を吸って倒れた後に見た、あの『赤と白の夢』の内容と完全に一致していた。
(どうしてシエルが、私と同じ夢を……? それに、キス、って……)
「えっと……シャルル? どうして固まってるの……? もしかして、現実でもしちゃった、とか……?」
真っ赤な顔で顔を覗き込んでくるシエルの唇を見つめながら、私はかつてないほどの激しい動揺と、新しい謎の気配に、ただただ立ち尽くすことしかできなかった。




