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腐食の聖域と、堕ちる九尾

「……ふん。口の減らぬ小娘だ。その傲慢さごと、腐り落ちるがいい!!」


大天狗が錫杖を大きく振り下ろした瞬間、浮遊神殿の空気が『泥』のように重く変質した。

学園を覆っていた紫の霧とは比べ物にならない。ここは結界の中心であり、呪いの発生源そのもの。大気中のマナがすべて、生物の血を沸騰させ、内側から腐らせる致死の猛毒へと置き換わっていた。


「……っ、ぐぅ……!」


私は思わず顔をしかめ、喉元を押さえた。

ノヴァのコアと繋がり、常に呪いを無効化する処理を行ってもらっているというのに、それでも肌を刺すような熱と痛みが容赦なく侵食してくる。息をするだけで、肺の中にガラスの破片を吸い込んでいるような激痛が走った。


「マスター! 結界の濃度が事前の計算を大幅に上回っています。私の背後から離れないでください!」


ノヴァが両腕の機装刃ブレードを交差させ、私とシラヌイの前に立ちはだかる。

直後、大天狗の錫杖から放たれた『呪詛の不可視の刃』が、暴風となって私たちを襲った。


ガキィィィィンッ!!


激しい金属音が神殿に響き渡る。

ノヴァは寸分の狂いもない軌道で飛来する呪いの刃を弾き落としていく。

しかし、敵の攻撃は単なる物理攻撃ではない。刃の周囲に纏わりつく濃密な腐血の呪いが、防いだ端からノヴァの漆黒の刃を侵食し、彼女の美しい人工皮膚を容赦なく削り取っていく。


「チィッ……! 老いぼれの分際で、えげつない手数を撃ち込んでくるのう!」

シラヌイが九つの尾を広げ、青白い妖狐の炎の壁を展開して呪いの刃を相殺しようとする。

だが、環境があまりにも悪すぎた。ここは天狗族の神殿。大気中のマナがすべて敵の呪いに染まっているため、妖力で炎を維持するだけでも尋常ではない消耗を強いられる。


「シラヌイ、無理しないで! ノヴァ、左からデカいのが来るわ!」

「……演算済みです。迎撃します」


ノヴァが左腕を突き出し、強引に呪いの塊を弾き飛ばす。

メシャッ! という嫌な音とともに、彼女の腕の装甲が大きく抉れ、青い冷却液が宙を舞った。


「ノヴァッ!」

「問題ありません。機体損傷率、わずか12%。……戦闘継続に支障なし」


ノヴァは表情一つ変えず、ただ冷徹に私とシラヌイを庇うための『盾』として立ち回り続けた。

彼女自身には血がないため、呪い自体は効かない。だが、大天狗の放つ圧倒的な暴力の質量と、私とシラヌイという『二人分の弱点』を庇いながらの防衛戦は、完璧な機械メイドの身体を少しずつ、しかし確実に削り落としていた。


(……このままじゃ、ジリ貧だわ)


私は奥歯を噛み締め、大天狗の隙を突いて指先から黒い魔力弾を放った。

空気を切り裂き、大天狗の眉間へと迫る一撃。

しかし――。


「愚かな。我が聖域において、その程度の魔術が届くと思ったか」


大天狗が錫杖を軽く鳴らすと、空間に圧縮されていた紫の呪詛が意志を持つように蠢き、私の魔力弾を分厚い壁となって飲み込み、霧散させてしまった。

絶対的な呪いの密度が、最強の盾として大天狗を守っているのだ。


決定打がない。

ノヴァが致命傷を避けて攻撃を弾き、私が隙を突いて魔術を放ち、シラヌイが炎で支援する。

大天狗もまた、ノヴァの鉄壁の防御をすぐには崩せず、決定的な一撃を決めあぐねていた。

一見すれば、ギリギリの『均衡状態』。


だが、大天狗は余裕の笑みを崩さなかった。


「……いつまで持つかな? 血を持たぬ人形はともかく、貴様ら生物にとって、この神殿で呼吸をすること自体が『死へのカウントダウン』だということを忘れるな」


その言葉通りだった。

ノヴァの演算サポートがあっても、私とシラヌイの身体には少しずつ呪いが蓄積し始めている。

特にシラヌイは、ノヴァのコア移植の際にも膨大な妖力を消費していた。それに加えて、今は私を庇うように前面に立ち、妖狐の炎で呪いを相殺し続けているのだ。


「……ほざくな、カラスもどきが。妾を誰だと思っておる」


シラヌイは口元に浮かんだ血を親指で乱暴に拭い去り、不敵に笑った。

「妾は妖狐のシラヌイ。こんなカビ臭い呪いなど、何百年と生きた妾の身体には――」


言葉の途中で。

シラヌイの身体が、ビクン、と大きく跳ねた。


「……え?」


「……ゴハッ……!!」


突如として、シラヌイの口から大量の『黒い血』が吐き出された。

それは、彼女の体内で限界まで抑え込まれていた腐血の呪いが、ついに彼女の強靭な妖力を突破し、血管そのものを破壊し始めた証だった。


「……あ、れ……? 力、が……」


シラヌイの瞳から焦点が失われる。

誇り高く広げられていた九つの尾が、力なく床へと落ちた。


「シラヌイッ!?」


私が悲鳴を上げて手を伸ばすよりも早く。

大妖怪の身体は糸が切れた操り人形のように、冷たい神殿の石畳へと、ドサリと崩れ落ちたのだった。

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