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血なき刃と、天狗の長

学園の屋上に続く重厚な扉を蹴り開けると、そこはすでに『異界』と化していた。


「……ひどい空ね。埃どころか、景色全体がカビてるみたい」


私は気怠げに空を見上げた。

本来なら美しい夕焼けが広がっているはずの空は、どす黒い赤色と紫の霧に完全に塗り潰されている。

上空には、カラスのような漆黒の翼を生やし、山伏の装束に身を包んだ天狗たちが、数百という群れをなして学園を取り囲んでいた。彼らの手にする錫杖から、生物の血を腐らせる猛毒の呪いが絶え間なく降り注いでいる。


『――見つけたぞ! あの忌み子だ! 世界の理を乱す化け物を、ここで浄化せよ!』


天狗の一人が私を指差して叫ぶと、上空の群れが一斉に錫杖を向け、濃密な紫の霧――『腐血の呪詛』を圧縮した巨大な弾丸を雨霰と撃ち下ろしてきた。

触れれば一瞬で全身の血管が爆発する、必殺の呪い。


だが。


「……マスター。上空のゴミが、視界を遮っています」


私の前にスッと出た銀色の背中が、その呪いの雨を真正面から受け止めた。

紫の霧がノヴァの身体を包み込み、天狗たちが『やった!』と嘲笑を浮かべた、その直後。


「――エラー。対象の呪詛に『血の腐敗』を検知。……当機には血液が存在しないため、無効化します」


霧を切り裂いて現れたノヴァの身体には、傷一つ、サビ一つ付いていなかった。

天狗たちの顔が驚愕に引きつる。


「な、なんだと!? 我らの呪いが効かぬだと!?」

「あやつ、生き物ではないのか!?」


「……マスターの睡眠を妨害する対象を、すべて排除します」


ノヴァの無機質な瞳が、真紅のロックオンサイトへと変わる。

私のマナを吸い上げる胸の『統括演算コア』が甲高い駆動音を鳴らした瞬間――ノヴァの姿が、音を置き去りにして空中にブレた。


「な――ッ!?」


シュパァァァァァンッ!!

天狗たちが瞬きをするよりも早く、ノヴァは群れのど真ん中に到達していた。

両腕に展開された漆黒の機装刃ブレードが、一切の無駄がない完璧な幾何学模様を描いて虚空を切り裂く。

悲鳴を上げる暇すらない。防御の結界ごと、数十人の天狗が文字通り『バラバラのパーツ』へと分解され、空からボトボトと墜落していく。


「ヒッ……! 距離を取れ! 呪いではなく物理で――」


「……遅いです」


ノヴァは背中のスラスターを蒼白に発光させ、空中で鋭角に軌道を変えた。

重力や慣性を完全に無視した、機械にしか不可能な三次元機動。

右の刃で錫杖を叩き斬り、左の刃で翼を切り落とし、すれ違いざまに踵のブースターで蹴り飛ばす。

彼女にとって、この戦闘は『命のやり取り』ですらない。ただの『ゴミ掃除』だ。マスターである私のマナという無限の動力を得た彼女の計算領域に、もはや一切の処理落ちは存在しない。


「化け、物……っ! 人形ふぜいがァァッ!」

パニックに陥った天狗の一部が、ノヴァの迎撃を諦め、屋上にいる私とシラヌイに向かって急降下してきた。

「術者を殺せば人形も止まる! 忌み子を狙え!!」


数十人の天狗が、刃のついた錫杖を構えて私たちに迫る。


「……ふふっ。ノヴァにばかりいい格好はさせられんのう。なぁ、シャルル」

「ええ。サクッと終わらせましょう。リゼたちを待たせてるし」


私に寄り添うシラヌイが、艶やかに扇子を広げた。


「よそ見とは、舐められたものじゃ。……妾の故郷の鳥頭ども、少し焼かれて頭を冷やすがいい」


シラヌイの九つの尾が大きく広がり、そこから青白い『妖狐の炎』が竜巻のように立ち昇った。

それはただの炎ではない。天狗たちの視界を幻惑し、方向感覚を完全に狂わせる幻術の炎だ。

「なっ、なんだこれは!? 上下も左右も分からん!」「同士討ちするぞ、術を止めろ!」

炎に包まれた天狗たちは、空中でパニックに陥り、身動きが取れなくなる。


「シャルル。的は止めておいてやったぞ」

「ありがとう、シラヌイ。……それじゃあ、落ちなさい」


私は気怠げにため息をつきながら、指先を空に向けた。

チッ、チッ、チッ……。

指先から放たれたのは、ビー玉ほどの小さな黒い魔力の弾丸。

だが、その一発一発が、極限まで圧縮された質量兵器だ。

シラヌイの炎で身動きが取れない天狗たちの眉間、翼の付け根、錫杖の柄。最も効率的に無力化できる急所だけを、私の放った弾丸が百発百中の精度で撃ち抜いていく。


「ぎゃあああああっ!」

「うおぉぉっ!?」


ドカドカと、音を立てて天狗たちが屋上や中庭へと墜落していく。

ノヴァの無慈悲な近接殲滅と、シラヌイの幻術拘束、そして私の精密狙撃。

圧倒的な連携の前に、数百いた天狗の群れは、わずか数分で完全に制圧されてしまった。


「……マスター。周辺空域の雑魚の排除を完了しました」


返り血……ならぬ、敵の羽毛一つ付けずに、ノヴァがフワリと私の前に着地した。

空を覆っていた紫の霧が少しずつ晴れ、赤い空の奥に、巨大な影が浮かび上がってくるのが見える。


「……まだ、結界の元凶が残っておるな」

シラヌイが目を細めた。


上空数千メートル。雲の上に浮かんでいたのは、巨大な岩でできた浮遊神殿だった。

学園を覆う『腐血の結界』は、間違いなくあの場所から発せられている。


「ノヴァ、飛べる?」

「はい。マスターとお一人なら、十分な速度で運搬可能です」

「なら、私をあそこに連れて行って。……シラヌイはどうする?」

「愚問じゃな。可愛いお姫様を一人でジジイの元へ行かせるわけがなかろう? 妾も飛んでいくぞ」


ノヴァに再び「お姫様抱っこ」をされ、私はシラヌイと共に空を蹴った。

音の壁を突き破り、一気に上空の浮遊神殿へとカチ込む。


* * *


ドスンッ!

重厚な神殿の石畳に、私たちが降り立つ。

結界の中心であるこの場所は、息をするのも苦しいほど呪いの濃度が高かった。

神殿の最奥。巨大な玉座にふんぞり返るようにして座っていたのは、他の天狗たちとは比べ物にならないほど巨大な漆黒の翼を持ち、長い白髭を蓄えた大天狗だった。


天狗族の長。

彼から放たれるマナは、強烈な威圧感を持って空間を歪ませている。


「……まさか、我が一族の精鋭たちを退け、この結界の『核』まで辿り着くとはな。……血を持たぬからくり人形に、同族の誇りを捨て寝返った妖狐の娘。……そして」


大天狗の鋭い眼光が、ノヴァの腕の中にいる私を射抜いた。


「世界の理を狂わせる、忌まわしき『原初の血』を引く小娘。……貴様のその悍ましいマナ、ここで完全に浄化してくれる」


大天狗が錫杖をドンッと床に突き立てると、神殿全体が激しく揺れ、今までの比ではない致死量の『腐血の呪い』が私たちに牙を剥いた。


「……マスター。対象の危険度、特Sクラス。これより殲滅戦に移行します」

ノヴァが冷たい瞳で機装刃を構える。

シラヌイも、九つの尾を逆立てて臨戦態勢に入った。


けれど、私はノヴァの腕からゆっくりと降り、気怠げにため息をついてから、玉座の上の大天狗を真っ直ぐに見据えた。


「……ねぇ、おじいさん。浄化するって言うけど」


私は、首をコキッと鳴らしながら、これでもかというほど冷めた声で言い放った。


「私の友達に毒を飲ませておいて、自分だけ無傷で帰れるとでも、本気で思ってるの?」


私の内側で、巨大な三色のマナが、大天狗の威圧をあっさりと喰い破って膨れ上がっていく。

天狗の長と、覚醒した吸血鬼。

雲の上の神殿で、本当の理不尽がどちらなのかを教えるための戦いが、今始まろうとしていた。

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