共鳴する鼓動、そして腐食する空
放課後の静まり返った演習場の一室。
そこには、今まさに崩壊の危機に瀕している一人の少女と、彼女を救おうとする仲間たちの熱気が充満していた。
「……ぁ、う……っ、ア、アラート……自我領域の、浸食が……っ」
ノヴァが苦しげに身をよじらせる。
彼女の胸に強引に埋め込まれた『超高負荷用・統括演算コア』は、あまりにも強大なマナを処理し続けた代償として、彼女の繊細な回路を内側から焼き焦がし、その黄金比の肌に痛々しい亀裂を広げていた。
「ノヴァさん、しっかりなさい! 今、術式を書き換えますわ!」
リゼが、宙に展開した何十枚もの魔導ウィンドウを猛烈な勢いで操作する。
彼女はサキュバスに伝わる秘術と、学園の禁書から引き出した旧世界の魔導工学を瞬時に照らし合わせ、暴走するコアの「制御コード」を解析していた。
「シエルさん、今のうちに! コアの拒絶反応を抑えるための聖域を!」
「分かったわ! ……天の加護よ、すべてを包み込む光の檻となれ!」
シエルが純白の羽を大きく広げ、部屋全体を神聖な『天力の結界』で満たした。
彼女の放つ癒しの光は、ノヴァの傷口から漏れ出す有害な火花を抑え、崩れかけた機体のフレームを優しく繋ぎ止めていく。
「……ふん、お膳立ては整ったようじゃな。よし、妾がその荒ぶるマナの手綱を引いてやろう」
シラヌイが九つの尾を扇のように広げ、ノヴァの背後に回った。
彼女は自身の強大な『妖力』を指先に集め、ノヴァの機体各所にあるマナの接合点へと送り込む。
リゼが解析した数式に基づき、シラヌイが力技でマナの奔流を整える――。
だが、それでも。
ノヴァの胸のコアは、まるで心臓のようにドクドクと禍々しい紫の光を放ち、外部からの助けを拒絶するように激しく脈打っていた。
「……ダメですわ。核となる演算命令が、マスター……シャルルさん以外をすべて『外敵』として認識しています! このままではノヴァさんの精神そのものが、コアの防衛システムに飲み込まれて消滅してしまいますわ……っ!」
リゼの悲鳴のような声。
私は、歯を食いしばってノヴァの前に立った。
(……私にしか、できないこと。……私のために壊れようとした彼女を、今度は私が繋ぎ止めるの)
「マスター、……離れて、ください……。私は、もう……」
「いいえ、離さないわ」
私は、痛々しい火花が散るノヴァの身体を、真正面から強く、抱きしめた。
「……っ!?」
私のスレンダーな胸元に、ノヴァの冷たくて硬い、けれど激しく震える機体が押し付けられる。
コアが発する紫の熱が私の肌を焼き、鼻をつくオイルの匂いとショートした焦げ臭さが立ち込める。
(熱い……。でも、逃げないわ。……ノヴァ、私を見て。あなたの『脳』を、私に預けなさい)
私は目を閉じ、自分の中に眠る三つの力――魔、天、妖のマナを同時に、けれどかつてないほど穏やかに引き出した。
今までは制御できずに暴走し、頭痛を引き起こしていたその「数式」を。
今、私の胸の中で必死に計算を続けようとしているノヴァの『コア』へと、直接流し込んでいく。
「――同調しなさい、ノヴァ」
ドクンッ……!!
私の心臓と、彼女のコアが、物理的に最も近い距離で重なり合う。
私の脈動に合わせるように、三色のマナが彼女の機体へと流れ込み、複雑怪奇だったコアの演算処理を、私の意志そのものが優しく包み込んでいく。
リゼの魔導工学が『地図』となり。
シエルの癒しが『器』となり。
シラヌイの調律が『流れ』を整え。
そして私の心臓が、ノヴァの『魂』に直に触れた。
「……あ、ぁ……マ、スター……」
ノヴァの赤い瞳から、不気味な光が消えていく。
代わりに、深く、澄み渡るような本来の青い輝きが戻り、私のマナと完全に共鳴して静かに明滅を始めた。
メシ、メシリ……。
ノヴァの身体に走っていた醜い亀裂が、光に包まれて塞がっていく。
強引にこじ開けられた胸の装甲も、溢れ出していた冷却液も、まるで最初から何もなかったかのように。
旧世界の禁忌だったはずのコアは、私のマナを完璧に制御するための「第二の心臓」として、彼女の身体に完全に適合し、美しく、そして強靭に生まれ変わった。
「……適合、完了。……全てのシステム、正常。演算領域の負荷……ゼロ」
ノヴァは私の腕の中で、ふぅ、と静かに息を吐いた。
その肌は以前よりも白く輝き、彼女の黄金比のプロポーションは、神々しさすら感じさせるほどの完成度へと至っていた。
「……マスター。……お掃除、完了しました。お怪我は、ありませんか?」
「……バカね。心配なのは、あなたの方よ」
私は安堵のあまり、彼女の胸に顔を埋めた。
もう火花は散っていない。そこにあるのは、私のマナと溶け合い、穏やかに時を刻む、機械メイドの新しい鼓動だけだった。
* * *
「……ふふっ、これでお主ら、本当の意味で『一心同体』じゃな」
シラヌイが汗を拭いながら、満足げに笑う。
シエルとリゼも、疲れ果てて床に座り込みながらも、奇跡のような光景に顔を綻ばせていた。
だが。その平穏は、突如として切り裂かれた。
『――緊急警報。学園結界、第一種損壊を確認。侵入者あり』
校内放送が悲鳴のように響き渡る。
同時に、窓の外の景色が、一瞬にして『どす黒い赤』に染まった。
「な、何ですの……!? 空の色が、腐った血のような色に……!」
リゼが窓に駆け寄り、絶句する。
学園を覆う巨大なドーム状の結界。その外側から、無数の黒い影が急降下してきていた。
背中に大きな翼を持ち、手には異形の錫杖を握った種族――天狗族だ。
「……妾の故郷の連中か。……いや、様子がおかしいぞ」
シラヌイが鋭い目で空を睨む。
天狗たちが一斉に不気味な経典を唱え始めると、学園全体を覆うように、禍々しい紫の霧が発生した。
「う、……っ、身体が……!」
シエルが突然、自分の腕を押さえて膝をついた。
見れば、彼女の透き通るような白い肌の浮き出た血管が、どす黒く変色し始めている。
「これ……生物の血を腐らせる、天狗族の禁忌術式『腐血の結界』ですわ!立っているだけで命を削り取る毒……っ!」
リゼも顔を青くしてよろめく。
魔族、天族、妖族――。血の通う生き物にとって、この空間は文字通り『猛毒の檻』だった。
特に、シラヌイの血を吸い、その命を体内に宿している私にとっても、血管を焼かれるような激痛が走り始める。
「……シラヌイ、みんな……っ!」
「……マスター。下がってください」
その絶望的な状況の中。
唯一、微塵の影響も受けずに立ち上がったのは、銀色の髪をなびかせたノヴァだった。
彼女の瞳は、解析モードの鋭い光を放っている。
完璧な適合を果たした胸のコアが、私のマナを吸い上げ、彼女の全身へと防衛バリアを展開していた。
「私には、血がありません。……ゆえに、この結界は私には無力です」
ノヴァは静かに、けれど圧倒的な闘志を込めて、空を埋め尽くす天狗たちを見据えた。
「マスターを、私の家族を傷つける者は……何人たりとも、許しません。……演算開始。これより、全敵対個体の排除に移行します」
かつてないほどに力強く、そして澄み渡ったノヴァの声。
血管を持つ者が戦えないこの毒の空間で、血を持たない機械の守護者が、ついにその真価を発揮する時が来たのだ。




