赤い瞳の守護者と、壊れかけの忠誠
「――次は実戦形式の演習ですわ。シャルルさん、わたくしが後方から支援しますわね」
魔術演習場のフィールド。リゼが自信たっぷりに魔導書を開き、私の隣に立った。
あれから数日。私のマナは依然として溢れんばかりに満ちているけれど、三つの力を同時に使う時に起きるあの「頭痛」への恐怖は拭えていなかった。
(……今日も、三つの力を混ぜる練習をしないと。でも、またあの痛みが来たら……)
私が不安を抱えたまま、演習用の巨大な土ゴーレムに向き合った、その時だった。
「マスター。演算の補助を、これより開始します」
背後から聞こえてきたのは、冷たく、けれどどこか重い響きを持つノヴァの声だった。
振り返ると、そこには以前と変わらぬ完璧なメイド服姿の彼女が立っていた。けれど、その瞳の奥には――以前の澄んだ青ではなく、不気味に、そして力強く明滅する『真紅』の光が宿っている。
「ノヴァ……? その目、どうしたの?」
「……最新の演算処理による副次的な現象です。問題ありません。マスター、標的に向けて魔力を集中してください」
彼女が私の背中にそっと手を置く。
その瞬間、私の脳内に、これまでにないほどクリアで膨大な情報が流れ込んできた。
三つのマナをどう組み合わせ、どの角度で放てばいいのか。まるで世界そのものが数式に分解されたかのように、すべてが「最適解」として視覚化されていく。
(……すごい。痛くない……どころか、マナが勝手に整っていく……!)
私は迷いなく、三つの属性を極限まで圧縮した光弾を放った。
空気を切り裂く轟音。標的のゴーレムは、防御を固める隙すら与えられず、一瞬で分子レベルまで分解されて霧散した。
「な……っ!? 今日のシャルルさんの術式、精密さが昨日までとは段違いですわ!」
リゼが驚愕の声を上げる。
「アタシ、何も見えなかった! シャルル、すごすぎるよ!」
上空のシエルも目を丸くして着地してくる。
私は自分の手を見つめた。
頭痛は一切ない。むしろ、ノヴァが演算を肩代わりしてくれているおかげで、かつてないほどの万能感に包まれていた。
「……マスター。心拍数、脳波ともに正常。これなら、更なる高出力も可能です」
ノヴァは無表情に告げた。けれど、私は気づいてしまった。
私の背中に置かれた彼女の指先が、わずかに、けれど確実に震えていることに。
そして、彼女の耳の奥から、かすかに「ジジッ……」という電子的な悲鳴が漏れ聞こえていることに。
* * *
演習が終わった後の夕暮れの保健室。
「お疲れ様、ノヴァ。今日はおかげで助かったわ」
私はベッドに座り、お茶を淹れてくれたノヴァに笑いかけた。
「お役に立てて光栄です、マスター」
ノヴァは完璧な一礼をする。けれど、その赤い瞳の光は、夕闇の中でも異常なほど強く明滅していた。
「……ノヴァ。その体、本当になんでもないの?」
「肯定します。システムは正常に稼働して――」
「嘘おっしゃい」
保健室の扉が開き、シラヌイが静かに歩み寄ってきた。
彼女の切れ長の瞳は、鋭くノヴァの胸元を射抜いている。
「……お主の体、さっきから不自然なマナの匂いが充満しておるぞ。……それも、この時代のものではない、ひどく古くて悍ましい『禁忌』の匂いじゃ」
シラヌイの言葉に、ノヴァの肩がピクリと跳ねた。
リゼとシエルも、不安そうな表情でノヴァを囲む。
「ノヴァさん……あなたの演算能力、以前のスペックを遥かに超えていますわ。サキュバスの分析眼をごまかせると思わないで。……あなた、何をしたのですか?」
「……私は、ただ、アップデートを……」
「見せなさい、ノヴァ」
私は立ち上がり、ノヴァの正面に立った。
彼女は視線を逸らそうとするけれど、私は彼女の冷たい両手をしっかりと握りしめる。
「……嫌よ。私のために、あなたが壊れていくのを見るなんて。……前に言ったでしょ? 『道具なんて、言わないの』って。……ねぇ、見せて。隠し事はなしよ」
「…………」
沈黙が流れる。
やがて、ノヴァは諦めたように、ゆっくりと自身の胸元のリボンを解いた。
「……っ!!」
シエルが思わず息を呑む。
ノヴァの白い人工皮膚を強引にこじ開けたような亀裂。そこには、禍々しい紫色の光を放つ巨大な『演算コア』が、彼女の機体に不釣り合いなほど強引に埋め込まれていた。
火花が散り、青い冷却液が滲んでいる。それは「アップデート」なんて綺麗な言葉では片付けられない、あまりにも痛々しい、命を削るような自己改造の跡だった。
「これ……旧世界の禁忌のコアじゃない……! 精神領域を焼き切るって言われている代物ですわよ!?」
リゼが顔を青くして叫ぶ。
「……マスター。シラヌイ様は、血を与えました」
ノヴァの声が、初めて震えた。
赤い瞳から、ポタ、と青い液体が零れ落ちる。
「私には、血がありません。マスターを救う熱も、命も、ありません。……だから、脳を、演算を捧げるしかなかったのです。……マスターの側に居続けるためには、これしか……」
「……バカね」
私は、無理やりコアを詰め込まれた彼女の胸を、そっと掌で覆った。
熱い。機械の熱とは思えないほど、彼女の献身と執念が熱を帯びている。
「そんなものなくても、あなたは私の特別なメイドよ。……あなたが壊れてしまったら、誰が私の面倒を見てくれるの? 誰が、私の『鮭蕎麦』を最高の効率で用意してくれるのよ」
「マスター……」
「シラヌイに負けたくないなら、もっと別の方法があるでしょ。……自分を壊すのがあなたの『忠誠』なら、そんなもの私はいらないわ」
私は彼女を強く、抱きしめた。
「……一緒に考えましょう。あなたの演算能力と、私のマナと、みんなの知識があれば……こんな禁忌に頼らなくても、きっと解決策は見つかるわ」
「……う、ぁ……っ、マ、スター……」
ノヴァの赤い瞳の光が、少しずつ落ち着いた青色へと戻っていく。
彼女の背中を、シラヌイが呆れたように、けれど優しく叩いた。
「妾の血に対抗しようだなんて、百年早いのじゃ。……ほら、妾も手を貸してやる。妖力の波長で、そのコアの暴走を一時的に抑えてやるから」
「アタシも! 天力の癒しで、傷ついた機体を綺麗にしてあげる!」
「わたくしも、旧世界の魔導工学を解析して、安全な適合術式を編み出してみせますわ」
みんなの温もりに包まれて、ノヴァの目から、今度は止まることなく涙が溢れ出した。
「……了解、しました……。マスターの、……私の家族の皆さんの……指示に、従います……」
沈みゆく夕日の中。
一歩間違えれば闇に落ちていたはずの機械メイドは、仲間の温もりに救われ、再び静かな、けれど以前よりもずっと確かな『心』を灯したのだった。




