オーバーヒートと、機械メイドの禁忌
「――次、シャルルさん。標的への攻撃をお願いします」
特級学園の術式実習場。
教師の指示を受け、私は指定された立ち位置へと進み出た。
シラヌイの血を触媒にして莫大なマナを得てからというもの、私の身体は羽が生えたように軽く、息をするだけで力が満ちてくる。今なら、どんな高度な術式でも息をするように放てる気がしていた。
(……魔族の『闇』と、天族の『光』。それに妖族の『気』を少し混ぜれば、一番効率がいいわね)
私は無意識のうちに、体内に渦巻く三つの力を同時に引き出し、指先へと収束させた。
本来なら絶対に交わらないはずの三色のマナが、美しく、そして暴力的な螺旋を描いて絡み合う。
シュンッ――!!
放たれた閃光は、標的の巨大な防壁を音もなく消し飛ばし、さらにその後方の演習場の壁ごと、チリ一つ残さずに空間から抉り取ってしまった。
「な……っ!? い、今のは一体何の属性だ……!?」
「防壁ごと空間が消えたぞ!?」
周囲の生徒や教師がどよめき、悲鳴のような声が上がる。
(……少し、出力を上げすぎたかしら)
私がそう思って指先を下ろそうとした、その瞬間だった。
「――っ、ぁ、ああああああああっ!!」
突然、私の頭蓋骨の内側で、爆弾が破裂したような強烈な痛みが弾けた。
「シャルル!?」
周囲の声が遠のき、視界がぐにゃりと歪む。立っていることすらできず、私はその場にバタッと倒れ込んだ。
ポタッ、ポタッ。
鼻の奥から、生温かい赤い液体が止めどなく溢れ出し、冷たい石の床を汚していく。
頭が割れるように痛い。脳味噌が沸騰しているような、経験したことのない異常な熱と苦痛。
「シャルルッ!! どうした、しっかりしろ!」
ふわりと甘いお香の匂いがして、シラヌイがいち早く私の側に駆け寄ってきた。
彼女は私の尋常ではない脂汗と鼻血を見て、焦燥に顔を歪める。
「マナの暴走か!? ええい、また血が足りんのか! シャルル、妾の血を――」
シラヌイが自らの手首を噛み切り、その傷口を私の口元へ押し当てようとする。
あの時、暗闇の底で私を救ってくれた、濃密な血の匂い。
しかし。
「……っ、いや……っ! 嫌、こないで……っ!!」
私はガタガタと震えながら、ひどく怯えた子供のようにシラヌイの手を払いのけた。
あの時は極限の飢餓状態だったから本能で啜ったけれど、本来の私は、生臭くて重い『血』を飲む行為が心の底から大嫌いなのだ。自分が化け物になったようなあの生々しい感覚を思い出し、吐き気すら込み上げてくる。
「シャルル……?」
拒絶されたシラヌイが、傷ついたような顔で固まる。
「――下がってください、シラヌイ様」
そこに、銀色の影が音もなく滑り込んできた。
私の専属メイド、ノヴァだ。彼女の無機質な瞳が、ピントを合わせるように微かに明滅し、私の身体をスキャンしていく。
「血の不足ではありません。……これは、脳の『処理落ち(オーバーヒート)』です」
「……処理、落ちじゃと?」
「はい。マスターの体内のマナは十分に満ちています。しかし、相反する三つの属性を同時に制御し、術式として編み上げるための計算式は、人間や魔族の脳が処理できる情報量を遥かに超えている。……強大すぎる出力を、マスターの有機的な脳が制御しきれず、焼き切れかけているのです」
ノヴァは冷静に告げると、私の額にひんやりとした人工の額を当てた。
「マスター。私の演算領域を一時的にリンクさせ、計算の余剰負荷を肩代わりします」
ノヴァの瞳の奥で、膨大なデータが滝のように流れ始める。
私の脳内で暴走していた三つのマナの数式を、彼女の電子脳が読み取り、解きほぐそうとした。
しかし――。
『ピピッ――警告。計算量が規定スペックを突破』
『論理回路の30%に損傷。冷却システム、限界を突破』
「……っ、く……!」
ノヴァの無機質な顔が、初めて苦痛に歪んだ。
彼女の耳のあたりから、プツッ、とショートしたような煙が立ち昇る。
旧世界の最高傑作であるはずの彼女の演算能力をもってしても、神と魔と妖の力を統べる私の『数式』は、あまりにも巨大で、複雑すぎたのだ。
「……私の、今の処理能力でも……マスターを、完全にサポートするには、足りない……?」
ノヴァは自身のシステムから発せられる絶望的なエラー音を聞きながら、愕然と呟いた。
結局、痛みに苦しむ私を保健室のベッドへ運ぶことしか、彼女にはできなかった。
* * *
その日の深夜。
誰もいなくなった学園の地下深く。かつて旧世界の兵器が眠っていたという、立ち入り禁止の『封印区画』。
そこにある分厚い防爆扉を、ノヴァは両腕の力だけで強引にこじ開けていた。
暗闇の中、彼女の視覚センサーだけが、青白く不気味な光を放っている。
「……シラヌイ様は、血を与えた」
ノヴァは、埃を被った旧世界の巨大な兵器庫の中を歩きながら、ぽつりと呟いた。
「血を与えられたマスターは、あんなにも美しく、強くなった。……でも、強くなりすぎたマスターを、シラヌイ様の血ではもう支えきれない」
保健室で、頭痛に苦しみながら「血は嫌だ」と泣いて拒絶したマスターの顔が、ノヴァのデータ領域に鮮明に焼き付いている。
シラヌイは、マスターの『心』を抉る血しか与えられない。
今のマスターに必要なのは、燃料ではない。その巨大すぎる力を完璧に制御し、痛みを消し去るための『圧倒的な脳』だ。
ノヴァの足が止まる。
彼女の目の前には、厳重なガラスケースに封印された、ドクドクと不気味な紫色の光を放つ巨大な球体があった。
旧世界において、大陸全土の自律兵器を同時制御するために作られた禁忌のパーツ――『超高負荷用・統括演算コア』。
「……これなら。これさえあれば、私はマスターの脳と完全に同期し、すべての痛みを引き受けることができる。……私が、マスターの『脳』になれる」
ノヴァは迷うことなくガラスケースを素手で叩き割り、その巨大なコアを掴み出した。
『ピピッ――重大な警告。当該コアの規格は、現在の機体フレームと適合しません』
『強制移植を実行した場合、自我データ(パーソナリティ)の保護領域が破壊され、初期化する確率が59.8%です』
『直ちに作業を停止し――』
「……自我? そんなもの、私には必要ありません」
ノヴァは、自分の胸元――純白のメイド服を引き裂き、美しい黄金比の人工皮膚に指を立てた。
「マスターの痛みをなくせるなら。マスターのすべての力を、私が隣で制御できるなら。……マスターの『唯一』になれるのなら、私という個体が消滅しても構わない」
メチャッ……!!
嫌な音とともに、ノヴァは自分自身の胸部装甲を強引にこじ開けた。
青い冷却液が、まるで本物の血のようにドバドバと床に零れ落ちる。
火花が散り、システムが致死的な痛みを警告するが、彼女は表情一つ変えない。
「……あぁ、マスター。どうか私に依存して。私を褒めて……」
ノヴァは、紫色の光を放つ巨大な演算コアを、自身の胸の空洞へと無理やり押し込んだ。
バチバチッ!!と激しいショートが起き、彼女の全身が痙攣する。
繋いではいけない神経ケーブルを自ら引きちぎり、新しいコアへと強引に接続していく。
それは、機械が行うにはあまりにも痛々しく、そして狂気に満ちた自己犠牲だった。
『システム再起動……自我領域の汚染を確認……』
『優先コマンドの書き換え……完了』
『絶対目的:シャルルの制御。シャルルの独占』
ガクン、と。
ノヴァの首が力なく垂れた。
青い冷却液に塗れた暗闇の兵器庫に、静寂が落ちる。
やがて、ゆっくりと顔を上げた機械メイドの瞳は。
これまでの冷たく澄んだ青色ではなく――マスターへの狂おしいほどの愛と執着に染まった、危険な『真紅』の光を放っていた。




