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妖狐の補習授業と、重すぎる三つの理

「……ふぁ」


午後の日差しが降り注ぐ教室の窓際。私は机に突っ伏したまま、今日何度目か分からない欠伸をこぼした。

黒板の前では、初老の教師が何やら熱心に『マナの運用』について語っているけれど、私の頭には一文字も入ってこない。ただひたすらに、眠くて、だるい。まぶたが鉛のように重かった。


昨日の入学式での騒動――測定器を粉砕し、純血吸血鬼のルシアンが放った『黒死の槍』を無意識の天力で消し飛ばしてしまった一件から一夜明け、私の学園での扱いは奇妙なものになっていた。


『おい、あいつだろ。階位なしの……』

『吸血鬼のくせに天力を使ったってマジなのか? どんなトリックを使ったんだ?』


ヒソヒソと向けられる遠巻きの視線と囁き声。畏怖というよりは、気味の悪いバグを見るような目だ。

でも、そんなこと本当にどうでもいい。

今の私にとっての最大の敵は、周りの評価でも純血エリートでもなく、自分自身の体内に巣食う『極悪な燃費』だった。


キーンコーンカーンコーン……。


やがて終了の鐘が鳴り、教師が教室から出ていく。生徒たちも三々五々に散っていく中、私はようやく重い頭を上げて帰る準備をしようとした。


「ほれ、起きるのじゃ。随分と気持ちよさそうに爆睡しておったのう」


ふわり、と。

甘く、どこか退廃的なお香の匂いが鼻先を掠めた。

気だるげに視線を上げると、私の前の席に、いつの間にか一人の女子生徒が逆向きに座っていた。


艶やかな着物を着崩し、豊満な胸元を惜しげもなく晒した妖艶な美女。そして何より目を引くのは、彼女の頭に生えたピンと立った狐の耳と、背後でゆらゆらと揺れる九つのモフモフとした尾だ。


「……誰かしら。私、あなたみたいな派手な妖狐の知り合いはいないのだけど」

「冷たいことを言うでない。わらわはシラヌイ。お主と同じ、この退屈な学園に通うしがない生徒の一人じゃよ」


シラヌイと名乗った妖狐は、持っていた豪奢な扇子でパチンと自分の肩を叩き、妖しく微笑んだ。


「昨日の入学式、特等席で見させてもらったぞ。純血の吸血鬼相手に、見事な『天力』のカウンターじゃった。おかげでこの学園も少しは面白くなりそうじゃと思ってな。……で、今日は全く授業を聞いておらんかったお主のために、優しい優しい妾が『補習』をしてやろうと来てやったわけじゃ」


「……はぁ。結構よ。私は早く帰って寝たいの」


立ち上がろうとした私の肩を、シラヌイが扇子の先端でトン、と押し留めた。力は全く入っていないのに、なぜか逆らえないような不思議な圧がある。


「そう急ぐな。……お主、なぜ自分がそんなにも眠いのか、分かっておるのか?」


その言葉に、私はピタリと動きを止めた。

シラヌイは満足げに目を細めると、扇子を広げて口元を隠し、クスクスと笑う。


「この世界の力の基本は『三竦み』じゃ。魔族が使う闇の『魔力』は、妾たちのような妖怪が使う『妖力』を圧倒する。そして妾たちの『妖力』は、神や天使が使う聖なる『天力』を容易く侵食する。……最後に、その『天力』は、魔族の『魔力』を浄化し打ち払う」


魔は妖に強く、妖は天に強く、天は魔に強い。

それはこの世界に生きる者なら誰もが知っている絶対の理だ。だからこそ、混血である私が、相反する二つの力を持っている時点で『あり得ないバグ』なのだ。


「じゃが、お主はもちっとだけ異常じゃ」


シラヌイが、ふわりと顔を近づけてくる。彼女の甘い吐息が私の頬を撫でた。


「お主の体の中にはな、魔と天……だけではない。妾たちと同じ『妖力』まで、三つの相反する力が全て同居しておる。それも、規格外の密度でな」


「……っ」


「本来なら、混ざり合った瞬間に反発して自爆してもおかしくない矛盾じゃ。それを、お主は無意識のうちに『ただ生きているだけで』綱引きのように抑え込み、均衡を保っておる。……だから常にマナを激しく消耗し、立っているだけでも気絶しそうなほど眠くてだるいんじゃろ?」


図星だった。

誰にも言わず、自分でも見て見ぬふりをしてきた私の身体の真実を、この初対面の妖狐はあっさりと見抜いてみせたのだ。


「……それが分かったから何だって言うの。勝手な分析は終わりかしら」

「強がるでない。そんな状態では、いずれマナが枯渇して干からびてしまうぞ? お主は吸血鬼の血を引いておるのじゃから、手っ取り早く『他者の血』を吸ってマナを補給すればいいものを」


シラヌイはスッと自分の着物の襟元をくつろげ、白く滑らかな首筋を私の目の前に曝け出した。

ドクン、ドクンと、彼女の脈打つ血の音が、嫌でも私の耳に届く。


「……どうじゃ? 妾の血でよければ、いくらでも吸わせてやるぞ? 特上の妖力を分けてやろう」


誘惑するような、甘くねっとりとした声。

普通なら理性を飛ばして飛びついてしまうようなその色香と血の匂いに――私は、心の底から冷めきったため息をついた。


「……下品ね」


「ほう?」


「血を吸うなんて野蛮な真似、死んでもごめんだわ。想像しただけで気分が下がる。……あなたも、あまり安売りしないことね。それじゃ、私は帰るから」


私はシラヌイの誘いを一瞥もせずに切り捨てると、カバンを持って教室を後にした。


背後から追ってくる気配はない。

ただ、廊下を歩く私の背中に、シラヌイの楽しそうな、本当に嬉しそうな笑い声だけが響いていた。


「……ふふっ、あはははっ! 血を嫌う吸血鬼、か! いやはや、本当に面白い子じゃ! ますます気に入ったぞ、シャルル!」


どうやら、ひどく面倒な妖狐に目をつけられてしまったらしい。

私は重い足を引きずりながら、また一つ、深大なため息をこぼした。

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