純血の失墜と、機械メイドの未知なるエラー
「――以上が、迷宮探索演習においてルシアン・ヴァンピールが引き起こした『光喰いの結界石』使用に関する調査報告ですわ」
特級学園の厳粛な大講堂。
全校生徒と教師陣がざわめく中、壇上で冷徹に報告書を読み上げたのはサキュバスのエリート、リゼだった。
彼女の手には、迷宮の底から回収された結界石の破片と、闇商人との取引を裏付ける魔導記録が握られている。
「嘘だッ……! 罠だ、全部あいつらが仕組んだでっち上げだ!!」
講堂の中央に引き出されたルシアンは、手枷をはめられながらも血走った目で喚き散らしていた。
かつての取り巻きたちはすでに彼を見限り、遠巻きに冷たい視線を送っている。純血のプライドを笠に着ていた男の、あまりにも無様な姿だった。
「俺は純血の吸血鬼だぞ!? あんな【階位なし】のゴミ一匹のために、この俺を退学にする気か!? 教師ども、目を覚ませ! あいつは迷宮の底で何か卑怯な真似をして生き延びただけの、薄汚い忌み子だ!!」
ルシアンの叫びが講堂に響き渡る。
その時だった。
「……朝から、騒がしいわね」
大講堂の重厚な扉が開き、一人の少女がゆっくりと足を踏み入れた。
シャルルだ。
彼女が姿を現した瞬間――講堂内の空気が、物理的な重さを持って一変した。
「な、なんだ……この異常なマナは……っ!?」
「息が、苦しい……! 階位なしじゃなかったのかよ!?」
生徒たちが次々と青ざめ、後ずさる。
それもそのはずだ。今のシャルルの体内には、シラヌイの極上の血を触媒として完全に融合した『十倍以上』の莫大なマナが満ち溢れている。
意図的に威圧しているわけではない。ただ呼吸をし、歩いているだけで、彼女から漏れ出す隠しきれないエネルギーの余波が、周囲の空気をビリビリと震わせていたのだ。
「ルシアンさん。……あなたは本当に、学習能力がないのね」
シャルルが気怠げな瞳でルシアンを見下ろす。
その絶対的な強者のプレッシャーの前に、ルシアンは両膝から崩れ落ち、ガチガチと歯を鳴らして震えることしかできなかった。
「ひっ……、あ、ぁ……っ」
「処罰は学園の決定に従うわ。二度と、私の視界に入らないでちょうだい。……埃が舞うから」
冷たく言い放ち、背を向けるシャルル。
その圧倒的な力と、未踏階層の古代魔獣を単独で討伐したという事実。全校生徒が彼女を見る目は、これまでの「見下すような嘲笑」から、「底知れぬ化け物への畏怖と敬意」へと完全に変わっていた。
ルシアンはそのまま教師たちに引きずられ、学園から永久に追放されるのだった。
* * *
「うーん、今日もすっごく空気が美味しいわね!」
放課後の中庭。
シャルルは両腕を大きく上に伸ばし、思い切り背伸びをした。
今までの彼女からは考えられないほど、その動作は軽やかで、生命力に満ちていた。
「シャルル、なんか最近めっちゃ元気じゃん! 歩くペースも速いし!」
隣を歩くシエルが、パタパタと羽を揺らしながら嬉しそうに笑う。
「ええ。自分でも驚いてるの。今までのあの泥沼を歩くような気怠さや倦怠感が、嘘みたいに消え去ったわ。息をするだけでマナが満ちていくのが分かるのよ」
シャルルは自分の手を握ったり開いたりしながら、不思議そうに微笑んだ。
十倍以上に跳ね上がったマナの恩恵で、彼女は「超省エネ生活」から完全に解放されていた。もう、ノヴァに抱き抱えられて移動する必要もない。
「ふふっ。それもこれも、妾の『極上の血』のおかげじゃろ?」
木陰からふわりと現れた妖狐のシラヌイが、得意げに笑いながらシャルルの背中に抱きついた。
その首元には、まだシャルルが噛み付いた生々しい牙の痕が残っている。
「ちょっと、シラヌイ。くっつかないでってば」
「つれないのう。あんなに熱烈に妾の血を欲しがったくせに。……今や妾とお主は、血で結ばれた運命の共同体じゃからな」
シラヌイは自分の首の傷を指先でなぞりながら、色っぽく目を細める。
「血というものは特別じゃ。命そのものを分け合い、魂の奥底で繋がる。……お主を救えたのが、他でもない妾の血で、本当に良かったわ」
「……もう、大袈裟なんだから」
シャルルは呆れたように息を吐きながらも、その顔はどこか柔らかく、シラヌイに対する深い信頼が滲み出ていた。
そんな和やかな彼女たちのやり取りを。
少し離れた場所から、静かに見つめている無機質な瞳があった。
銀髪の機械メイド、ノヴァだ。
(……血で結ばれた、運命の共同体。……命を分け合い、魂で繋がる)
ノヴァの視覚センサーが、シラヌイの首の傷と、シャルルの健康的な笑顔を捉え、その情報を中央コアへと転送する。
『マスターの健康状態:極めて良好』
『マナ出力:以前の1200%以上』
『行動阻害要因:ゼロ』
メイドとして、これほど喜ばしいデータはない。
マスターが救われ、苦痛から解放された。論理的に考えれば、任務は完璧に達成され、喜ぶべき状況だ。
ノヴァは、自分の真っ白で完璧な人工皮膚に覆われた両手を見つめた。
黄金比で造られた美しい指先。いかなる衝撃にも耐える強靭なフレーム。
しかし。この美しい肌の下に流れているのは、熱い命の鼓動ではない。無機質で冷たい、ただの青い冷却液と駆動オイルだ。
(……私には、血がありません)
もしあの時。
シラヌイではなく、私だけがマスターの側にいたとしたら。
私は、絶対の飢餓に苦しむマスターを、救うことができただろうか。
――否。
私は機械だ。マスターを癒す熱も、マナを繋ぐ血も、何も持っていない。
ただ敵を排除し、物理的に運ぶことしかできない『旧世界の道具』。
マスターが最も苦しんでいたあの暗闇の底で、私は何の役にも立てなかった。そしてこれからも、マスターの魂に触れるような救いを与えることは、絶対にできない。
「……マスターは、もう私に運ばれる必要がない」
ポツリと、ノヴァの口から感情のない声がこぼれ落ちた。
『ピピッ――警告。中央コアに未知の負荷を検知。エラーコード:不明』
ノヴァは、自分の豊満な胸の中心……人工心臓があるあたりを、ギュッと強く握りしめた。
物理的な損傷はない。システムに異常もない。
だというのに、胸の奥が、ひどく熱く、そして焼けるように痛いのだ。
「……なぜ、でしょう」
ノヴァは一人、誰にも聞こえない声で呟いた。
マスターが他の誰かと笑い合っているのを見るのが。
シラヌイが「自分の血で救った」と誇らしげに語るのを聞くのが。
そして何より、自分の中にマスターに捧げる『血』が存在しないという絶対的な事実が。
「……胸が、痛い。……私には、血も、心も、ないはずなのに……」
夕暮れの赤い陽差しが、彼女の銀髪を寂しげに染め上げる。
絶対の忠誠を誓う機械メイドの内に芽生えた、初めての『嫉妬』と『自己否定』の痛み。
それが、新たな波乱の幕開けとなることを、今はまだ誰も知らなかった。




