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沈む光、そして絶対の暗闇

「……ひ、ひぃ、もう無理だ……! マナが……身体が動かない……!」

「リタイアだ! 救護班を呼んでくれ……っ!」


迷宮の第四階層。

そこは、迷宮特有の『マナの枯渇現象』が顕著に現れる過酷なエリアだった。空気は重く、じっと立っているだけで体内のマナを外部の空間に吸い取られていくような、不快な感覚が全身を包み込む。

一歩進むごとに気力が削られ、若きエリート候補生たちは一人、また一人と膝をつき、脱落していった。


その横を、私たちはいつものように通り過ぎる。


「マスター。空間のマナ濃度低下を検知。マスターの体表に『高効率循環膜』を展開しました。不快感はゼロに固定されています」

「……ん。助かるわ」


私は、ノヴァの華奢な腕の中に収まったまま、ぼんやりと周囲の惨状を眺めていた。

ノヴァが展開する不可視の結界は、外部の干渉を完璧にシャットアウトしている。私を運ぶ彼女自身のエネルギーも、旧世界の高性能バッテリーによって最適化されているため、この程度の環境変化は何の障害にもならない。


「シャルルさーん! さっきの魔物のドロップアイテム、リゼに言われた通り全部回収しておきましたよー!」


上空から、シエルが巨大な純白の羽を優雅に羽ばたかせながら降りてきた。天使の天力ひかりは、このどんよりとした迷宮の中でも決して衰えることはない。むしろ、周囲が暗いほどその神聖な輝きは増し、私たちの進路を太陽のように明るく照らしていた。


「素晴らしい働きですわ、シエルさん。……これで今回の演習の『素材ノルマ』は、全生徒の中でわたくしたちがダントツの1位。あとは悠々と最深部を目指すだけですわね」


最後尾を歩くリゼが、手元の魔導タブレットを軽やかに操作しながら微笑む。

彼女はサキュバス特有の鋭い感性で、迷宮内に隠された最短ルートと魔物の配置を完全に把握していた。他の生徒たちが必死に魔物と戦い、泥沼の消耗戦を強いられている中、わたくしたちだけが『最も効率的で、最も安全な』道を選び抜いて歩いているのだ。


「……はぁ。でも、やっぱり迷宮は空気が悪くて嫌ね。……ノヴァ、もう少し揺れを抑えて。少し酔いそうだわ」

「了解しました、マスター。サスペンション機能をさらに向上させます」


泥まみれになり、涙を流しながら離脱していく同級生たちの視線が、私の背中に突き刺さる。

「ふざけるな……」「なんであいつらだけ汗一つかいてないんだ……」「あの階位なし、ずっと寝てるだけじゃないか……」

そんな怨嗟の声も、ノヴァの防音機能の前ではただの雑音に過ぎない。


だが、そんな私たちの「完璧な攻略」を、物陰から血走った目で見つめている男がいた。

ルシアンだ。

彼は、プライドを捨てて闇商人から買い取った強力な魔法薬をドーピングし、何とかこの階層まで辿り着いていた。泥と汗で汚れ、見る影もなくなった彼の瞳には、もはや常識では計り知れないほどの狂気と執着が宿っていた。


「……笑っていられるのも、今だけだ。……あの忌み子さえ消えれば、あいつらも俺に従うはずなんだ……!」


ルシアンは震える手で、懐の『光喰いの結界石』を握りしめた。

それは、本来この階級の生徒が扱っていい代物ではない。使用者の命すら削りかねない、本物の呪具だ。


「……お待ちなさい」


不意に、リゼが足を止めた。

彼女の鋭い視線が、前方の曲がり角の先――迷宮の構造が不自然に歪んでいる箇所に向けられる。


「どうしたのリゼ? また魔物?」

「いいえ、シエルさん。……あそこ、古代の転移罠トラップがありますわね。迷宮の自己修復機能による一時的なバグかしら。本来なら第五階層にあるはずのギミックですけれど」


リゼは冷静に、タブレット上に表示された術式の構成図を分析する。


「……ふん、他愛ありませんわね。わたくしの計算によれば、この罠の干渉範囲は半径5メートル。発動条件は『物理的な接触』ですわ。ノヴァさん、その左側にある石板を避けて通れば、問題ありません」


リゼは自信満々に、眼鏡をクイッと押し上げた。

彼女の計算能力は間違いなく本物だ。学園の教師ですら彼女の分析には一目置いている。


「了解しました。……マスター、少しだけ移動角度を変更します」


ノヴァが私の身体を抱え直し、リゼの指示通りに罠の感知範囲を大きく避けて通ろうとした。

――その、瞬間だった。


「……ヒハハッ! 計算通り、だと!? 笑わせるな、エリート風情がぁぁぁっ!!」


物陰からルシアンが飛び出し、手に持った『光喰いの結界石』を全力で地面に叩きつけた。


パリンッ!! と、この世のものとは思えない不快な音が迷宮に響き渡る。

石が砕けた瞬間、中から溢れ出したのは『光』ではない。それは、周囲のすべてのマナと光を強引に貪り食う、ドス黒い『絶無の闇』だった。


「なっ……!? リゼさんの計算が、弾かれた……!?」

シエルが驚愕の声を上げる。


「あり得ませんわ……! 罠の術式が、外部からの魔力干渉で書き換えられて……っ! 嘘、この結界石、迷宮のギミックそのものを『暴走』させていますわ!!」


リゼのタブレットが火花を散らして爆発し、彼女の整った顔が恐怖に染まる。

そう、ルシアンが仕掛けたのは、単なる目くらましではない。

リゼが「罠だ」と認識していた空間そのものをコアにして、闇商人の呪具が迷宮の防衛システムを無理やりジャックし、巨大な『空間の穴』を現出させたのだ。


「しまっ……! マスター、私に捕まって――!!」


ノヴァが咄嗟に私を強く抱きしめ、防御フィールドを最大出力で展開した。

しかし、そのフィールドすら、溢れ出した漆黒の触手が霧のように食い破っていく。


「シャルル!!」

シエルが手を伸ばすが、彼女の天力すら、この異常な闇の中では一瞬で飲み込まれて消えていく。


「ひ……ヒハハハハ! 消えろ! 消えて無くなれぇぇぇ!!」


ルシアンの狂った笑い声が遠ざかっていく。

私の視界から、リゼの叫び顔が、シエルの白い羽が、そして私を必死に守ろうとしていたノヴァの無機質な瞳が、一気に遠ざかっていく。


ズウゥゥゥゥゥゥン……!!


強烈な重力と、意識を断ち切るようなマナの欠乏感。

「光喰いの結界石」の真の力が発動し、迷宮の空間がねじ曲がる。


(……あ、暗いわね。……それに、すごく、寒い……)


最後に私が感じたのは、抱きしめてくれていたはずのノヴァの温もりが消え、自分一人が底なしの穴へと真っ逆さまに落ちていく、あの「死」に似た孤独な感覚だった。


* * *


深い、深い、闇の底。

演習のどのルートにも記載されていない、迷宮の「未踏階層」。


「……っ、ぁ、……」


私が目覚めた時、そこには一筋の光すら存在しなかった。

ノヴァも、リゼも、シエルもいない。

三つの力を抑え込むためのマナすら供給されない、絶対の暗闇と静寂。


そして――。


「……ぅ、……は、ぁ、っ……」


喉の奥が、焼けるように熱い。

今までに感じたことのない、暴力的なまでの『乾き』が、私の小さな身体を内側から突き破ろうとしていた。


血を吸わずに、極限の空腹状態で閉じ込められた吸血鬼の末路。

シラヌイが危惧していた、あの「最悪の事態」が、ついに始まろうとしていた。

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