迷宮探索演習と、鉄壁の過保護パーティ
「……はぁ。なんで特級学園になんて入学しちゃったのかしら、私」
『迷宮探索演習』の当日の朝。
寮の自室で、私は指定された動きやすい実技用の制服に袖を通しながら、今日何度目か分からない深大なため息をついていた。
ただでさえ普段の生活すらマナの消費を抑えるのに必死だというのに、魔物が跋扈する迷宮を歩き回るなど、正気の沙汰ではない。想像しただけでカロリーが奪われていく気がして、私はベッドの端にぐったりと座り込んだ。
「相変わらず、出陣前だというのに覇気のない顔じゃな」
ふわりと、甘いお香の匂いが鼻をくすぐる。
顔を上げると、妖狐のシラヌイがいつの間にか部屋の窓枠に腰掛けていた。艶やかな九つの尾をゆっくりと揺らしながら、彼女は軽やかな動作で私の目の前へと降り立つ。
「……シラヌイ。あなた、演習には参加しないの?」
「上級生の妾が、新入生のひよっこ共のお遊戯に付き合うわけがなかろう? 今日は学園で優雅にお茶でも飲んでおくさ」
シラヌイはそう言ってクスクスと笑うと、私の前に屈み込み、乱れていた襟元を細くて白い指先で直してくれた。
いつもならここで「妾の血を吸っていくか?」とからかってくるはずの彼女だが、今日のその切れ長の瞳には、いつもより少しだけ真剣な、保護者のような色が混じっていた。
「……シャルル。お主、今日はいつも以上にマナの消費を抑えろよ。お主のその極限の『飢え』た身体で、無理に力を引き出せば……最悪、器が持たんぞ」
「分かってるわ。そもそも、私から動く気なんて一切ないもの」
私が気怠げに返すと、シラヌイはふっと息を吐き、私の頭を優しく撫でた。
「それと……学園中から、ひどく薄汚くて泥臭い、不穏な『悪意』の匂いがする。直接的な攻撃の類ではないが、陰湿で絡みつくような匂いじゃ。……足元を掬われないようにな」
「……」
シラヌイの忠告に、私は小さく頷いた。
「気をつけるわ。……死ぬのって、すごく体力を使いそうだから」
「あははっ! お主らしい理由じゃ!」
シラヌイの笑い声に背中を押されるようにして、私は重い足を引きずりながら集合場所へと向かった。
* * *
演習の舞台となるのは、学園の敷地外れにある『大迷宮』の入り口前広場だった。
すでに数百人の新入生たちが集まり、教師の指示に従ってザワザワと騒いでいる。
「いいか! 今日の演習は『4人1組のパーティー』で行う! 迷宮内は学園の結界の外だ。命を落とす危険もあるから、互いに背中を預けられる仲間を見つけること! では、編成開始!」
教師の合図とともに、生徒たちは一斉に声を掛け合い始めた。
私はといえば、広場の隅の木陰に移動し、早々にしゃがみ込んでいた。
(……面倒くさいわ。仲間を探すために声をかけるカロリーすら惜しい)
誰も私を誘わなければ、教師の判断で「見学」か「欠席」扱いになるのではないか。そんな淡い期待を抱きながら目を閉じていると、少し離れた場所から、わざとらしい嘲笑が聞こえてきた。
「ヒハハッ! 見ろよ、あの忌み子。誰からも声をかけられず、ポツンと一人で震えているぜ」
純血吸血鬼のルシアンだ。彼は取り巻きを引き連れ、勝ち誇ったような顔で私を見下ろしている。
(……なるほどね。あの薄汚い匂いの正体はこれかしら)
ルシアンは裏で手を回し、他の生徒たちに「あの【階位なし】と組んだ奴は、俺たち純血一族の敵とみなす」と脅しをかけていたのだ。案の定、私と目が合った生徒たちは、そそくさと気まずそうに目を逸らしていく。
ルシアンの狙いは、私を孤立させ、精神的に追い詰めることなのだろう。
だが、彼には決定的に欠けている視点があった。
「……マスター。心拍数の低下を確認。これより、私がマスターの『足』となります」
「え?」
ルシアンが間抜けな声を上げた直後。
私の背後に音もなく現れたのは、銀髪の機械メイド・ノヴァだった。彼女は黄金比のマネキンのような完璧なプロポーションを屈めると、私の脇にスッと腕を差し入れ、あっという間に私を『お姫様抱っこ』の状態で持ち上げた。
「ちょ、ノヴァ……目立つからやめなさいって……」
「マスターの体力を温存することが最優先事項です。パーティーの登録手続きは、すでに『彼女』が完了させています」
「ええ、その通りですわ」
コツ、コツ、とヒールの音を響かせて現れたのは、知的な眼鏡を輝かせたサキュバスのエリート、リゼだった。
彼女の手には、完璧に記入されたパーティー登録の書類が握られている。タイトなブラウスから溢れんばかりの双丘を反らし、リゼはルシアンに向かって不敵な笑みを浮かべた。
「わたくしはシャルルさんの専属秘書ですの。彼女の足を引っ張るような有象無象を近づけるわけにはいきませんわ。当然、このわたくしが頭脳としてサポートいたします」
「な、リゼ!? 学年トップのサキュバスが、なぜそんなゴミと……!?」
ルシアンがワナワナと震えていると、さらに上空から強烈な風圧が降り注いだ。
「あーーーーっ!! アタシを置いてパーティー組むなんてズルい!!」
ドバンッ!と凄まじい音を立てて広場のど真ん中に着地したのは、純白の羽を大きく広げた天使族のシエルだった。
彼女は健康的な太ももを露わにしてズンズンとこちらに歩み寄ると、私の頬を両手でむにむにと挟み込んできた。
「アタシが上空からの索敵と爆撃をやるから! これで4人パーティー完成だね! シャルル、迷宮でもアタシがいっぱーい守ってあげるからね!」
「……声が大きいわよ、シエル。あと、羽の埃が舞うから離れてちょうだい」
かくして。
学園が誇る最強の頭脳、完璧な防御と機動力を持つ旧世界の盾、そして超火力の航空戦力という、バランスがおかしいドリームチームがあっという間に結成されてしまったのだ。
しかも、全員が学園でもトップクラスの美少女。彼女たちに囲まれ、お姫様抱っこされながらぐったりとしているスレンダーな私の姿に、周囲の男子生徒たちは血の涙を流してギリィィ!とハンカチを噛んでいる。
「き、貴様ら……正気か!? そいつはただの【階位なし】の忌み子だぞ!?」
ルシアンが信じられないものを見るような目で喚き散らす。
「……ルシアンさん」
リゼが冷ややかな目で、ルシアンを射抜いた。
「あなたが裏でどのような小細工をしたかは存じませんが……わたくしたちの『主』の休息を邪魔するなら、容赦はいたしませんわよ」
「……っ!!」
圧倒的な三人のプレッシャーに気圧され、ルシアンは顔を真っ赤にして後ずさった。
「……マスター。敵対的障害物の排除が完了しました。迷宮への侵入を開始します」
「……ん。揺らさないでね、酔うから」
私はノヴァの腕の中で目を閉じ、完全にマナの消費をゼロにする『睡眠モード』へと移行した。
ルシアンの小賢しい孤立作戦は、私の『究極の省エネ生活』を支える仲間たちの過保護さの前に、いともたやすく粉砕されたのだ。
だが。
「……クソがっ。クソッ!!」
広場に取り残されたルシアンは、ポケットの中にある禍々しい『結界石』を握りしめ、血走った目で私たちの背中を睨みつけていた。
「いいさ、今はせいぜいお友達と仲良くするんだな。……暗闇の底に落ちるのは、お前一人だ、シャルル……!」
陽光の降り注ぐ広場から、薄暗い迷宮の入り口へ。
見えない悪意が忍び寄っていることなど露知らず、私はノヴァの腕の中で、心地よい微睡みに身を委ねていた。




