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ありがとう

 ティルとそっくりの容姿でありながら、ティアラと名乗る彼女は確かに女の子だった。

 ふわふわの長い髪をツーテールで結い、赤い石がはめ込まれた一対の髪留めで飾っている。足首まで隠す淡い黄色のロングドレスはふんだんにフリルとリボンで飾られていて、エステルをお姫様かと尋ねる彼女の方がよほどお姫様のようだった。


「歌姫?」

「ええ、初めましてお姫様」


 お姫様、という言葉にエステルは首をかしげた。自分はお姫様などではない、スターレット家の人間でなくなった今、彼女はただのエステルというなりそこないだ。


「私にとっては王子様だけど」

「おうじさま……」

「囚われの身でありながら、私を救ってくれたのは貴方でしょう?」


 そういって、ティアラはぎゅっとエステルの手を握りしめた。ほんのり朱に染まった頬と、こちらを見るきらきらした眼差しは本当にティルとそっくりで、彼が女の子の格好をして自分をからかっているのかと錯覚してしまいそうになる。

 だけど、彼女はティルの双子の妹。

 歌姫のティアラなのだろう。


「私を知っているのか?」


 率直に疑問を口にする。ティルには自分のことを口外できないよう、誓約の魔術をかけられていたはず。家族の記憶が封印された今、その誓約も無効になっているらしいが、それはつい先ほどのことだ。


「ティルが話して聞かせてくれたの。私を助けてくれたのは、夢みたいに綺麗なお姫様。月の光で出来ているような絹の如き髪を揺らす、窓の無い塔に捕らわれた笑わないお姫様。聡明なのに何も知らない、優しいのにどこか物憂げで、自由を夢見るお姫様」


 歌うように話ながら、ティアラはエステルの手を引く。エステルは引かれるままにティアラについて歩いた。

 それははたして自分のことなのだろうか。話を聞きながら不思議に思う。

 自分が捕らわれていたのは、窓の無い塔ではなく地下牢だし、自分はどうあってもお姫様ではない。

 それに、彼女を実際に助けに行ったのは、ティルと一座の人たちじゃないんだろうか。


「お姫様には魔法が使えないけれど、その代わり世界を見通す力があるの。囚われの歌うたいを見つけ出し、そっと幼い騎士に教えてくれた」


 エステルはぎゅっと自分の胸元を握りしめた。

 確かに、ティルの語ったというその物語の中に描かれるお姫様は、自分のことなのだ。


「ティルはどうしてか、貴方の名前も居場所も教えてくれなかった。何度も何度もお願いしたのに、絶対に教えてくれなかったの」


 それは教えてくれなかったんじゃない。話せなかったんだ。話せなかったけれど、それでも自分の存在を彼女に伝えようとしてくれたのだ。

 彼はどんな気持ちで彼女にその物語を話して聞かせたんだろう。


「貴方はお姫様?」

「……ああ」


 お姫様と呼ばれるのは気恥ずかしかったが、エステルは素直に頷いた。少女は輝くような笑みを浮かべて、繋いだままのエステルの手に頬を寄せた。

 そんな笑顔まで彼とそっくりだ。


「お姫様はどうしてここに?」

「私はエステルという」

「エステル! 可愛い名前! 幼い騎士が成長して迎えに行く前に、お姫様から来てくれるなんて、どんな物語にもなかったわ」

「そうだな……しいて言うなら私は魔法使いに助けて貰ったんだ」

「魔法使い? どこにいるの?」


 賑やかなティアラの話し声に、舞台の準備をしていたらしい仲間達が視線を向けてくる。このままついて行っていいのかと少し不安にも思ったが、思いの外しっかりと繋がれた手を、あえて外そうとも思えなかった。

 導かれるままに大きなテントの脇にいくつか備え付けられた、小さなテントの一つをくぐる。


「魔法使いはここにはいない。いないけれど、傍で私を見守ってくれてるんだ」

「お姫様は魔法使いが好きなの?」

「ああ」


 頷いた途端、テントの奥で荷崩れが起き、うわぁ! と盛大な悲鳴があがった。聞き覚えのある声に、ドキリと胸が高鳴る。

 土埃のあがるなだれた資材の奥で、ティアラと同じ若草色の癖毛がひょっこりと見え隠れしていた。


「なんだこれ! なんだこれ!」


 埃まみれになりながら立ち上がった少年は、両手で耳を塞ぎながらキョロキョロと周囲を見渡し、それからテントの入り口を見て固まった。

 開けたままの口に埃が入ってしまわないか少しだけ心配になる。

 どうして耳を押さえてるのか不思議に思って、すぐに理由に思い当たった。マニの姿を探すと、エステルのすぐ後ろでどこかばつの悪そうな顔をしながらそっぽを向いている。

 マナの振動音というのは、どうやらマニがなにかをすると発生するらしい。

 ティルはその音に驚いて荷物を崩してしまったのだろう。口には出さずに咎めるような視線を向けると、マニはしゅんと項垂れてしまった。


「……お嬢様」

「うん」

「な、なん、なんで、な」

「お嬢様? お姫様でしょう?」

「なんでここに!?」

「魔法使いに塔から救い出して貰ったんですって」

「ま、魔法使い? え? え? なんで……」


 混乱しているティルをよそに、ティアラは先に座長の所に行くとだけ告げると、名残惜しそうにエステルから手を離してテントを出て行ってしまった。

 残されたエステルはティルになんと声をかけたものか迷ったが、魔法をかけられているわけでもないのに、何を言おうとしても喉がつっかえてしまったように声が出ない。


「ティル」


 辛うじて、名前を呼ぶ。


「……はい」


 呆然とした面持ちのまま、ティルは呼びかけに応じて、ふらふらと歩み寄ってきた。伸ばされた手がエステルに触れる前にぴたりと止まってしまったので、そっとその手を取ってみる。


「エステル様」


 名前を呼ばれて、エステルは静かに首を横に振った。


「私はもう、スターレット家のエステルじゃない。お嬢様でもない」

「えっと」

「スターレット家に、エステルという娘は存在しないんだ」


 なにがなんだか分からない、といった様子のティルに、エステルはおずおずと言葉を紡ぐ。


「だから……この世界で私を知っている人間は、ティルだけになってしまったから」

「…………え?」

「他に、どこへ行けばいいのかも分からなくて」


 迷惑、だっただろうか。

 そんな不安が首をもたげたが、ぎゅっと強い力で手を握りしめられて顔をあげると、頬を真っ赤に染めてじっとこちらを見つめるティルの顔が間近にあった。

 見開かれた大きな目から、ぽろぽろと透明の雫がこぼれ落ちる。


「ど、どうしたティル、どこか痛いのか?」


 さっきの荷崩れで怪我でもしたのだろうかと慌てるエステルに、ティルは答えないままぶんぶんと首を横に振る。


「もう……会えないかど、おぼっで」


 震える声で、しゃくりあげるのを必死に堪えながらティルは俯いた。ぽたぽたと乾いた土が濡れていく。


「……ティルに、どうしても会いたくなって」

「おれも、あいだがったでス」

「そうか」


 ぐずぐずと鼻をすすりながら顔をあげたティルは、目尻を真っ赤にしながら、少し恥ずかしそうに笑った。


「ありがとう、エステル様。本当にありがとう」

「様はいらない……それに、礼を言うのはこちらの方だ」


 きょとりと目を瞬かせるティルの手を、両手で包みこむ。それから、祈るように目を閉じた。


「ありがとう、ティル」


 あの日、笑いかけてくれたこと。

 沢山話を聞かせてくれたこと。

 自分の言葉を信じてくれたこと。


 こうして、外に出る勇気をくれたこと。


 それを彼に伝えることが出来ただけでも、エステルにとっては全てを捨ててあの牢獄から飛び出すだけの価値があった。

 今、口にして改めてそう思う。


「ありがとう」


 細い肩に額を寄せると、ぎこちなく肩を抱きしめられる。支えてくれる小さな手が温かくて、胸の奥がじわりと熱を持った。

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