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雪が溶けたら

 間もなくウィザンドラの冬が終わる。

 今頃ティル達は旅立ちに向けて準備しているのだろうか。そんなことを思いながら、エステルは冷めたスープをすすった。


 ティルの用意してくれた温かいスープが少し恋しかったが、前に一度だけマニに温められないかとお願いしてみたら、スープが蒸発してしまったことは記憶に新しい。マニはひたすら申し訳なさそうにしていた。

 あれから少しずつ色んなお願いをしてみるようになったが、一つだけ分かったことがある。


 案外マニは不器用だ。


 パンをふわふわに出来ないかとお願いしたときは、水分がないのだろうと言ってべちょべちょにしてしまったし、毛布を綺麗にしたいとお願いしたときは、汚れを吹き飛ばせばいいと突風を起こして、あまりのほこりっぽさにむせ返ることになった。

 マニの落ち込みっぷりに慰め以外何も言えなかったが、マニのどんな望みも叶える、というのはあくまでマニの意気込みなのだと知った。ようするに、彼は大精霊と呼ばれているが、大精霊とはそもそも万能ではないのだ。


 万物を操り、大きな魔術を繰り出すことが出来る大精霊。

 やろうと思えば湖の水を全て気化出来るし、森一つ消し飛ばすことも容易だというが、正直言ってそんな望みは生涯口にしない自信がある。

 なので、目下エステルがマニに望んでいることは、あまり多くもないし難しいことでもない。だが、マニにしか出来ないことだ。


 たとえば、眠くなるまでなんでもいいから話をしてくれ、とか。

 床が冷たいから、膝に座りたい、とか。

 いつもと同じように、疑問に感じたことを教えて欲しい、とか。


 そう望むとマニはとても嬉しそうに笑うので、それで十分だとも思う。




 雪が溶けたら、エステルはここを出る。

 マニはその願いを叶えてくれるという。

 その時、新しく誓約を交わすのだ。


 エステルは、生涯マニ以外の精霊を使役しない。

 マニは、生涯エステルの望みを叶え続ける。


 これでは俺ばかりが嬉しい契約だな、なんてマニは少し悩んでいたが、エステルも同じまったく同じ事を考えていた。だが、マニが嬉しいならそれでいいと頷いた。

 これなら自分が望んでいる限り、マニは自分の傍にいてくれるのだ。望むことなどいくつもないが、それだけで十分だと思えた。

 この命の続く限り、その誓約は果たされる。

 そんな誓いを交わそうと、あの日約束した。


 しかし、外に出て何をすればいいのだろう。

 エステルはあの日からずっと、そんなことに頭を悩ませている。

 マニに聞こうにも、最近のマニはなんだかとても忙しそうで、毎日せっせとどこかへ足を運んでいる。どこに行っているのか尋ねると、外に出るための準備をしているのだと嬉しそうに話してくれた。

 なるほど、マニには色々と準備すべき事があるのだ。身一つしか持たない自分とは違うのだろう。


 叶うならまずはティルを訪ねようか。

 一座の仕事。人を笑わせるための仕事。魔術なんて使えなくても、出来るとティルは言っていた。自分にもそれが出来るだろうか。迷惑にはならないだろうか。座長は優しい人だと言っていたけれど、なりそこないでも働かせてくれるだろうか。


 夕食を終えた頃に帰ってきたマニに提案すると、また険しい顔をされた。


「エステルはそんなにあの子供といたいのか」

「ああ」


 素直に頷くと、ますます不機嫌そうな顔になる。話していて分かったことだが、マニはあまりティルが好きじゃないらしい。とても優しいし、明るくて話し上手で、いっぱい親切にしてくれたんだと彼の良いところをあげてみても、マニは不機嫌になるばかりだった。


「どうしてそんなにティルを嫌うんだ」

「エステルは外に行くと決まってからずっとあの子供のことばかりだ」

「だって、私には他に知り合いなんていないんだ。仕方ないだろう」

「消去法で仕方なく言ってるように見えない」

「何が嫌なのかハッキリ言え」

「エステルに気に入られてるのが嫌だ」


 なんだそれは。どうすればいいんだ。

 頭を抱えてみても、マニは頑なにその主張を変えない。だが、エステルの提案そのものには反対しなかった。ティルは気に入らないが、一座を訪ねるのは構わないらしい。

 どうしようもないものは、どうもしない。

 そう割り切って、エステルは毛布を被った。


 あともう一つ、気がかりがある。

 家族のことだ。


 エステルが外に出ることを、家族は望まない。それをどうするのかマニに尋ねたら、マニはいくつか考えを聞かせてくれた。


 一つは真っ正面から説得すること。

 一つはエステルの存在を家族の記憶から封印すること。

 一つはエステルが死んだことにすること。

 一つは何も言わずに抜け出すこと。


 説得は困難どころか、成功する確率はゼロに等しい。そんなのは考えるまでもなく、エステルにも分かる。

 だが、記憶を封印したり、死んだことにするのは悲しかった。スターレット家のエステルがいなくなることはきっと家族にとっては望ましいことだ。それでも、家族から自分という存在が消えてしまうことがひどくためらわれた。

 だが、最後の一つはきっと家族にいらぬ不安と混乱を招くだろう。


 家族に迷惑はかけたくない。

 だけど、自分のことを忘れ去って欲しくない。

 家族が自分のことをなにも望んでいないと分かっていても、そう願ってしまう。願わずにはいられない自分は愚かなのかもしれない。なりそこないのエステルは、スターレット家にとっては決して表に出したくない、出来ることなら消してしまいたい存在だろう。

 だというのに、未だに自分の心はあの家族にしがみついたままでいる。


 家族を思うなら、きっと自分を消してしまうのが最良の選択だ。

 誰も悲しまない。むしろ喜ばれるはずだ。

 なりそこないなど産まれてこなければ良かったと思われているに違いない。

 だから本当は、迷う必要などないのだ。


 雪が溶けるまでに、心を決めてしまわなければならない。

 どのみち、これが別れになるのだから。

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