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二人だけの世界

 声が震えそうになるのを必死に堪えながら、エステルは口を開いた。

 まずは何も考えず、率直に話そう。理由や根拠は後回しにして、一番伝えなければならないことを伝えよう。


「ティル……歌姫はアムリタという名前の小さな薬屋の地下に、幾人かの子供と共に捕らえられている」

「へ?」


 唐突なエステルの言葉に、ティルはきょとりと目を瞬かせた。


「三日後に馬車かなにかでどこかへ運び出す、らしい。これは確定ではないが、あまり時間がないかもしれない」

「ま、待ってください。なんでそんな……」


 問おうとするティルの言葉が途中で途切れる。戸惑う表情が一転して、驚きに変わった。


「探すって、もしかして……さっきオレに妹のことを尋ねたのは」

「あ、ああ。私……私が探すためだ」


 やはりマニのことは口に出来ない。出来ないので、エステルはそう言う他なかった。どうやって、というティルの当然の疑問に返す言葉が出てこない。

 マニが探し出し、全て教えてくれたのだ。自分はほんの少しの間、彼に導かれてそこにいただけに過ぎない。なりそこないである自分には、魔術は使えない。魔術を使わず、ただティルと彼女の関係を聞いただけでそれを探し出すことなど、いったいどうやって可能に出来よう。

 いや、出来なければならない。

 ティルに自分の言葉を信じさせる。どんな手段を用いても。


「ティルは精神界、というものを知っているか?」


 エステルの問いかけに、ティルは首をかしげた。知っていたことだが、ウィザンドラに生まれついたわけではないティルは、あまり魔術やそれに関係する事柄に詳しくない。これならあるいは、とエステルは身を乗り出すように話し始めた。

 今だけでもいい。今だけそれを信じてもらえれば、後で嘘吐きと呼ばれても構わない。


「この世には物質界と精神界、二つの世界が存在する」


 いつぞやティルがしてくれたように、エステルはトレイを物質界、スープ皿を精神界としてティルに示す。それを重ね合わせ、二つの世界が重なり合った表裏一体の世界であると告げた。


「私は、この精神界というものに、行くことが出来る。一時的に体から心だけを抜き出して移動することが出来るんだ」

「あ! じゃあ……もしかして、さっきエステル様が意識を飛ばしていたのは」

「精神界に行っていたからだ」


 そこはあらゆる物理的しがらみが存在しない代わりに、世界を魔素でしか認識できない。そんなことを簡単に説明しながら、エステルは自分が見たものを詳しくティルに話して聞かせた。

 ティルと同じ魔力質を追って、歌姫を見つけたこと。歌姫の周辺から汲み取れるだけの情報が先ほど伝えた二点になること。


「アムリタは、ええと」

「街の北東。城壁に近い位置だ。この屋敷からはそれなりに距離がある。馬車同士がすれ違うのは難しい、くらいの狭い通りにあった」


 マニから教えられた情報をそのまま伝えると、ティルは神妙な面持ちで静かに頷いた。


「エステル様」

「早く行け。歌姫はまだ生きて、他に捕らわれた子供を勇気づけるために歌を歌っている」

「……はい」


 ティルは深く頷くと、トレイと皿を手に慌しく地下牢を出て行った。

 途端、全身をひどい虚脱感が襲う。ずるりと倒れ込みそうになるエステルの体をマニが抱きとめた。頭がぼんやりして、体が重い。思考するのも億劫で、黙ったまま目を閉じる。


「エステル、少し休むといい。精神の解放はとても疲れる」


 あれは本来なら、肉体の死によってあらゆる生物がその身を置く秘術の一つ。生きている人間が行うには負担が大きい。そんな言葉が頭上から振ってきて、あの短い間だけ私は死んでいたのだろうかと疑問がもたげる。

 それらも含めてマニには聞きたいことが山ほどあったのに、これ以上は喋るのも辛かった。マニが頭を撫でている感触に、意識がゆるりと微睡(まどろ)んでいく。


 これでもうティルとも会えなくなるのだろうか。

 彼が歌姫を捜しに行くには誓約を受けなければならないのだから、きっとそうなるだろう。

 もっと話したいことはたくさんあった。

 そういえば、お礼すらまともに伝えられていない。


「……ティル」


 名前を呼ぶと、きつく体を抱きしめられる。


「エステルには俺がいる」


 マニの言葉に、ああ、と声にならない言葉で頷いた。マニがいる。なんてことはない、かつてのあの生活に戻るだけだ。二人きりで、それでも満たされていたあの日々に。孤独ではない頃の日々に戻るだけ。

 もとより、雪が溶けるまでの僅かな刻しかなかった。それが、ほんの少し早まっただけのこと。


 だというのに、あの賑やかな声が。

 輝かんばかりの笑顔がもう恋しくて仕方なくなる。


 なぁマニ。

 もし私がここから出たいと望んだら、お前はそれを叶えてくれるだろうか。

 彼の元に行きたいと言ったら、それを許してくれるだろうか。


 抱きしめる腕は大きく、エステルはその中で身じろぎ一つ取れない。かつては安堵しか感じることの無かったその腕が、今はとても小さな牢獄のように思える。

 だが、望みを口にすることも窮屈を訴えることもできず、エステルはそのまま眠りに落ちた。




「これでまた、ここは俺とお前だけの世界になる」


 マニの歓喜に満ちた声は、眠っているエステルには届かなかった。

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