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精霊の音

 目を開けると、心配そうに覗き込むティルの顔が間近にあった。


「……ティル?」


 頭がぼんやりとして、まだどこか浮遊感を感じる。じわじわと指先から痺れのような熱が戻り、エステルはいつの間にか自分がティルの身にもたれ掛かっていることに気がついた。


「ああ、すまない」


 すぐに体を起こそうとしたが、なぜか体が動かない。ティルの手ががっちりとエステルの身体を抱きしめていたからだ。


「ティル?」


 もう一度名前を呼ぶと、ティルは周囲を警戒するように見回した後、エステル様、と弱々しく名前を呼び返してきた。

 うなじの辺りがチリチリする。首筋の産毛が逆立って落ち着かない。

 この感覚には馴染みがあった。


 マニが怒っている。


 さっきまで自分の隣で笑っていたのに、一体どういうことなのか。

 視線だけを廻らせて部屋の隅を見れば、マニはそこに立っていた。眉間に深い皺を寄せてじっとこちらを睨み付けている。

 いや、睨み付けているのはエステルではなく、彼女を抱きしめているティルだ。ティルは相変わらず落ち着かない様子でキョロキョロと周囲を見回していた。

 彼にはマニの姿が見えない。マニに何があったのか聞こうにも、誓約があるためティルの前でマニと話が出来ない。

 仕方がないので、エステルはもう一度ティルに、どうかしたのかと尋ねた。


「どうかしたのかって、エステル様の方が倒れ込んできたんスよ?」


 マニに意識を引っ張られた直後、自分の身体はティルの方へ倒れ込んだらしい。意識を失っているのか眠ってしまったのか、とくに苦しむ様子もなかったので判断に迷って身体を支えていたのだという。

 何度か呼びかけてみたが意識が戻らず、誰か人を呼ぼうかと思っていたら、と告げたところでティルは口をつぐんだ。


「なんだ?」

「い、いや、さっきからなんか、変なんスよ」

「変?」

「空気が音を立てるっていうか……」


 どう説明して良いか分からない、とティルは申し訳なさそうに目を伏せた。今までにその音を聞いたことがあるのはティルだけで、座長以外の誰もそれを信じてくれなかったのだという。


「座長はマナの振動音じゃないかって言うんスけど」

「しんどうおん?」

「オレも正直どういう意味なのかはちょっと……。普通は聞こえないって座長は言ってたっス。座長も聞こえるワケじゃないらしくて」

「振動音、とは、マナが不自然に衝突や摩擦起こした際に発生する微弱な音のことだ、エステル」

「マナがぶつかると振動音がする、のか?」

「そう、それッス。そんなこと座長も言ってたッス。エステル様がご存じで良かった!」


 ややこしいが、マニの言葉はティルには聞こえていない。

 同様に、ティルの言葉もマニにはハッキリと伝わっていない。彼らはエステルの呟きに反応して、それぞれにしゃべり出す。


「精霊の意思や動きに周辺のマナが影響を受けると、度々そういった音が鳴る。精霊にとっては馴染み深い音だが、本来人間の耳に届くものではない」

「妹が歌うときも時々聞こえてて、だけど今聞こえるのはなんていうか……もっとこう」

「ところでエステル、その子供はいつまでお前の体に触れている気だ?」

「ばちばちっていうか、ごうごうっていうか、とにかくなんか、すっごいおっかない音がするんスよ! 嵐でも来るのか、みたいな。なんなんスかねコレ?」

「先までは意識のないエステルの身体を守っていたようだが、今は違うだろう? もうお前に触れている必要などない筈だろう? 違うか?」

「本当なんスよエステル様! 信じて欲しいッス!」


 それぞれにしゃべっている。

 つまり、エステルの耳にはこれらの声が同時に被さってくるのだ。お互いにお互いの声を重ねてくるものだから、もはや何を訴えたいのかエステルにも処理しきれない。

 首筋は相変わらずチリチリするし、自分の体を抱きしめているティルはその音とやらに怯えているのか、少し痛い程だ。

 二人でなんだかんだと言われてもエステルにはどうしようも出来ない。出来ないので、とりあえず声を張り上げた。


「静かにしろ!!」


 ぴたりと二人の訴えが止まる。それと同時に首筋に伝わるマニの怒りも霧散し、抱きしめるティルの腕も慌てたように緩められた。

 ゆっくり体を起こすと、ようやく自由になった体にふう、と小さく溜息を吐く。


「止まったッス」

「……すまない」


 二人は口を揃えてそう言うと、ティルは満面の笑みを浮かべて凄いとエステルを賞賛し、マニは黙って肩を落とすのだった。




 二人の様子が落ち着いた所で、エステルは先ほど見たものをティルにどう伝えたものかと首を捻った。

 マニの存在を話すことは出来ない。だが、見たものを伝えなければ歌姫を探し出した意味もない。曖昧な話し方をして、はたしてティルは自分の言葉を信じてくれるだろうか。

 そんなエステルの不安を察したのか、マニはエステルの背後に屈み込むと、そっとこめかみに唇を寄せた。


「自分にはそれが出来るのだと、ただそう言えばいい」


 息を呑む。

 マニの言っていることがハッキリ理解できたからこそ、エステルはひどく戸惑った。マニが自分に与えてくれた知識、貸してくれた力、差し伸べてくれた手。それらを全て、エステル自身の功績にしろと言ったのだ。

 そんなことがはたして許されるのだろうか。

 なんの力もない自分が、縋り与えられたものを我が事のように語るなど。


 だが、マニは微笑んでいた。


「俺はお前の精霊だ。俺の力は、お前の力だ」


 微笑みながら、目の前で目を輝かせている少年を指さした。


「俺はお前のモノなのだから嘘にはならない。ただ誓約で言葉に出来ないところがあるというだけだ」


 この子供はそれを信じるだろう。

 そう告げるマニの声はいつも通り優しいのにどこか冷たく、エステルは今すぐにでもマニになぜと問いかけたい気持ちを抑え込んで、ティルの目を見た。

 たとえ真実をぼかし、事実を語らなくても、マニと見てきた事だけはティルに伝えなければならない。


 ひどく喉が渇いていた。

気付けば総合評価が100ptになっていました。本当にありがとうございます。励みにさせていただきます。

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