1-3 エマ
‘カラン、コローン’
「いらっしゃ~い!あら、ハルさん、おかえりなさい。」
子猫の件があって、ハルとエマの関係は少し近づいた。
「こんばんは、いつもの」
「いつものね、ありがとうございます。」
「いつもの」と言っても『ロイの店』は、その日のシチューとパンしかない。ハルは必ずエールを頼むので「いつもの」と言っている。
ハルは、壁際の席に座り店を見渡す。
(今日も二組か、あまり儲かってなさそうだな。シチューしかないから仕方ないか。)
カウンターの中では一つしかない寸胴を、エマが真剣にかき混ぜている。その横顔が健気で、ハルは、つい見てしまう。
ハルは、エマと話しがしたくて、他の客が引けるのを待って勘定をする。ハルが銀貨を出すと、エマは受け取れないと言い張っていたが、最近は申し訳なさそうに受け取ってくれる。
ハルは、贅沢な話だがお金の使い道がないのだ。使わないとクリスに文句を言われる。
「ごちそうさま、今日も美味しかったよ。」
「ありがとうございます、いつもたくさん頂いて…」
「あのパン、15番街のじゃないかな?」
「ええ、えっ?ハルさん、あのパン屋知っているの?」
「ああ、親父さんに無理を言って、朝一番のパンを買いに寄っているんだ。」
「まあ、そうだったんですね。私は夕方行って安く譲ってもらうんです。ハルさんのように焼きたてを召し上がっていたら、きっとご不満だったでしょう。すみません。」
「いや、そういう意味じゃないよ。最初に来た日に、俺の好きなパンを出してくれて嬉しかったんだ。」
「ほんとに!わあ、よかった。」
エマは少女のように笑った。
(俺より2,3才年下かな、なぜ一人でやっているんだろう?)
「じゃあ、また来るよ。」
「はい、ありがとうございました。」
◇
その日、ハルは、仕事が長引いて帰りが遅くなったが、やはり下流の橋を渡った。
(今日はもう閉まっているかな…、あっ、明かりが…!)
ハルは、橋の上から『ロイの店』の明かりが小さく灯っているのを見つけると、嬉しくなって全速力で自転車をこいだ。
‘カラン、コローン’
「こんばんは、まだいいかな?」
「あら、ハルさん、いらっしゃい。今日は全くお客がなくてどうしようかと思っていたところよ、どうぞ。」
「よかった、じゃあ、いつもので」
「はい、少しお待ちくださいね。」
エマは嬉しそうに返事した。ハルは何気なくカウンター席に腰掛けてエマを見ていた。
エマは、ブラウンの髪を、いつも一つに結わえて背中に垂らし三角巾をつけている。その三角巾が最近、青色や、青い花柄に変わった。偶然かもしれないが、ハルは、自分の青い瞳と同じで嬉しかった。
寸胴をかきませながらエマがハルに話しかけた。
「ハルさん、今日は遅いですね。」
「ああ、ちょっと打ち合わせがあってね。」
「へえ、ハルさん、どんなお仕事しているんですか?あっ、ごめんなさい、こんなこと聞いてはいけなかったですね。」
「いいよ、川向こうの植物園で働いているんだ。」
「まあ、植物園?お花とか、木のお世話を?」
「あ、まあ」
(植物の研究なんて説明しづらいからな…。嘘にはならないよな…)
「はい、お待たせ!今日は大盛りよ。」
「それは嬉しいな、ありがとう、いただきます。」
エマは、ハルが美しい所作で、その美しい所作に似つかわしくない自分のシチューを口にするのをまじまじと見ていた。
(きれいな人…ハルさんは、きっと本当は身分の高い人ね。なぜこんな所に通ってくるんだろう?)
「ハルさん、植物園のお給料っていいのね。毎回銀貨を頂くなんて…。」
「あっ、いやちょっと親戚の遺産もあってね、投資で結構儲かったんだよ。」
「そ、そう。変なこと聞いてしまってごめんなさい。」
「いや、いいよ。ところでエマ、花は好き?」
「ええ、好きよ。花の名前は詳しくないけど。」
「そう、じゃあ今度、植物園に来てみないか?俺が案内するよ。」
「え!ほんとに!嬉しい、一度行ってみたかったの。ロイとも行きたいねっていつも話していて…あっ!」
エマは、気まずそうに口を押さえた。
「ロイ?」
「え、ええ、夫なの。死んじゃったけど。工場に勤めながらお金貯めてこの店を始めたのよ。店だけでやっていけるようになったら、川向こうの自然公園に遊びに行こうって約束していたの。でも戦争であっという間に死んじゃった。」
「『ロイの店』って、そういう意味だったんだね。すまない、悲しいことを言わせてしまったね。」
「いいの、実感はないのよ。ただロイがいないだけで。」
「まだ王都に兵士の招集はかかってないと思うが…」
「この店を借りるときに、ロイの親戚に援助してもらってね、私達の故郷は紛争地のポートフォードに近いの、だから親戚に招集がきてロイに代わりに行けって。後方支援で戦場には行かない約束だったから引き受けたのだけど、運んでいた火薬が爆発したらしいわ。」
「そ、そうか…」
「紙切れに「死亡」って書かれていた、それだけ。何だか嘘みたいで信じられなくて…いつかロイが帰ってくるんじゃないかって…それで店を続けているの。」
「そうか…」
「あ、ああ、ごめんなさい。私ったら。お客さんに言うことじゃなかったわ。忘れて下さい、こんなこと…」
「いや、気にしなくていいよ。」
ハルは、エマにもそんな事情があるのだと、そして人それぞれに何かしらあるのだと、あらためて思い知らされた。




