16話:現実は、現実よりもうなぎなり。あれ? うさぎだっけ? どっちだっけ!? いや、わかんない!・後編
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ケッケッケッケッ
クワア! クワア!
意識の奥で、どこか不穏な鳥の声が重なる。
その声に、閉ざしていた瞼を持ち上げ――目を見開いた。
(えっ、ここどこ!?)
木々が密集する薄暗い森林内。その木々の間から、微かに覗く空は曇天で、重い灰色に染まっている。
恐らく、雨が降る前触れなのだろう。どこか湿った土のような匂いが鼻腔を擽っていく。
そんな雨の気配を感じながらも、レイはぽつり。首を斜めに傾けた。
(なんか、さっきみたいな大雨来そうな感じ……?)
刹那。
『……で……い、……でっ!』
人の声のような――違うような。なんとも言えぬ奇妙な響きが耳に伝わった。
(え、なに今の……こ、え? いやいや。そんなわけ……ない、よね? うん。こんな真っ暗なのに、人なんているわけ……ないよね? いや、私が雨でも外でてたから――いる、のかな?)
その声のようなよくわからない音に疑問を覚えながらも、レイはそれがなんなのか。確かめるため慎重に足を進め――目を見開いた。
彼女の眼前。そこには自身とそっくりな、けれども、随分と幼い少女の姿があった。
その少女は、雨の気配すら気づかないのか。誰かへと必死に声をかけ続けている。
(誰に声をかけてるの?)
レイはそんな疑問を胸に、その少女へとゆっくり距離を縮め……ぞわり。背筋に、ゾッとした悪寒を走らせた。
少女の足元には、羽がボロボロに傷つき、片目を抉られた一羽のカラスが、虫の息で転がっていた。
そのカラスの瞳は、ピンクにも見える淡い赤色。そこから推測するに、恐らく先天性白皮なのだろう。だが、真っ白でなければいけないその羽毛は、大半を朱に染め、痛々しい姿を晒している。
瞬間――
“王家が所有していた森で放鳥されていたクローウィン。彼女はそんなカラスの羽を毟り、息途絶えるまで、執拗なまでに白き身体を傷つけた”
エトプリに書かれていた一説が脳裏に蘇る。
(これってもしかして……クローウィン?)
それを思い出すと同時。レイはごくりと唾を飲み下し、身を潜めながらも様子を窺った。
「……頑張って、死なないで。私が前みたいにちゃんと治してあげるから……。だから、お願い。死なないで」
(えっ……?)
その言葉を聞いたレイは驚き目を見開く。
(レイ・ヴァーティンが殺したんじゃないの……? それに、前ってどういうこと?)
そう内心で訝しむも、わからない。だが、どう見ても幼きレイが、白いカラス――クローウィンを殺そうとしているようには思えない。いや、そもそも『前みたいに私が治してあげる』と言っているのだから、助けようとしているとさえ思えてしまう。
(えっと……どういうこと?)
レイはエトプリに記されていた内容と異なる事象に、困惑しながらも周囲を見渡し――理解した。
よくよく見れば、カラスの傷は人為的に施された殺傷とは明らかに異なっている。加えて、幼きレイの周囲には、凶器となり得るモノも落ちておらず、“別の鳥”の羽が無数に散らばっている。
それだけでも、ここで何があったのかは一目瞭然。
恐らく、クローウィンが縄張りであるこの森に入ってきた、オオタカなどの大型の猛禽類に、擬攻撃でもしてしまったのだろう。そして、そのまま反撃に合い、このような姿になってしまった。そう考えると、幼きレイの言動も理に適うというもの。
幼きレイは、何度も何度もカラスに声をかけながらも、必死に治療魔法をかけようとするが、その光は弱々しく回復しているようには思えない。
むしろ、着実に息が沈んでいるようにさえ思えてしまう。
だが、幼きレイは認めたくないのだろう。涙を滲ませながらも、ほとんど意味のない治癒魔法を繰り返し続ける。
「ダメ、死んじゃうと彼が悲しむから……だからお願い……死なないで。シリウスにはクローウィンが必要なの。だから、あの時みたいに息を吹き返してよ。お願いだから、シリウスを独りぼっちにさせないで。悪い子の私の命でいいならあげる。だから……」
それを認めたレイ。彼女は瞳をグラグラと揺らしながらも、内心で戸惑いを吐き出した。
(どういう、こと……? これって、どう見ても本来のレイは、クローウィンを助けようとしてるよね……? それに、悪い子の私……? えっと……待って。全然わかんない。どういうこと?)
だが、何度考えてもその意味が理解できない。しかし、これは紛れもなく彼女の本質であることだけは理解できてしまう。そもそも、こんなにも必死に効果のない治癒魔法をかけ、自身の命すらも差し出そうとする存在が、悪嬢になれるものなのだろうか。
そう思う反面、ここはエトプリの中の世界。つまり、原作が存在する物語である以上、それが真実になってしまうというもの。エトプリには、レイ・ヴァーティンがクローウィンを虐殺したと書かれていた。
(……どっちが本当なの? もしかして、このレイは偽物……? レイには双子のお姉ちゃんか、妹がいて……とか、そんな感じだったりしない……よね?)
そんな疑問が脳裏に渦巻くも、その可能性は0に等しいだろう。なんせ、レイ・ヴァーティンの噂の中に、“家族を手にかけた”や“家族を虐げた”といった噂はひとつもないのだ。存在すらしていないと考える方が妥当といったところだろう。
(まあ、なんか現実は現実よりもうなぎみたいなこと言うし、うん。多分このレイも本当なんだよ。私はそうであるって信じたい。じゃないと、レイが報われなさすぎるよ……)
レイは内心でぽつりと呟きながらも、幼いレイへと歩み寄ろうとした。
――同時。
「クローウィン! おーい!」
どこからか別の足音が近づいてきたかと思うと、どこか焦りを孕んだ少年の声が響く。
その声に少女はビクリと肩を跳ね上げ、みるみるうちに表情を強張らせてしまう。
恐らく、その声の主――シリウスであろう少年に、こんな変わり果てた姿のクローウィンをみせたくなかったのだろう。
だが、幼きレイの願いなど虚しく。
「はあ……はあ……」
そう肩で息をしながらも、金色の波がかった髪を持つ、エメラルドグリーンの瞳の少年が幼きレイの元へとやってきてしまう。
肩で息をしながらも、大きく目を見開く幼きシリウス。
その瞳には、何があったのかと問いかけるような戸惑いが滲んでいた。
そんな彼は頭が真っ白に染まっていたのだろう。すぐさま幼きレイへと問いかける。
「――がやったのか?」
だが、その声は小さく。幼きレイには何を言っているのか聞こえなかったのだろう。いや、もしかすると、クローウィンを救えなかったことに罪悪感を覚えてしまったのか。唇をキュッと引き結び、無言を貫いてしまった。
それが良くなかったのだろう。いや、わからない。
しかし、幼きシリウスは目を見開いたまま、まるで幼き彼女を断罪するかのような口調で続けざまに吐き捨ててしまう。
「……もしかして、お前がクローウィンを殺したのか!?」
目に涙を溜めながら、痛切な声量で叫ぶ幼きシリウス。
そんな彼の怒り声にビクリと肩を震わせる幼きレイ。彼女は、チラリと視線を幼きシリウスへと向け――瞳を揺らした。
そして――
「……やっぱり私は悪い子なんだね」
そう小さく呟くと、感情を押し殺すような声音で答えた。
「ええそうよ。まだあんな汚らわしいカラスを大切にしていたのね。……感謝、しなさい」
その語尾はわずかに震え、まるで “違う” と言いたげだが、少年にはその真意は届かなかったらしい。
「お前、よくも――!」
幼きシリウスはそう言って、勢い任せに幼きレイへと近づき、腕を振り上げる。
その腕が空を割いて、幼き彼女へと迫る。このまま行けば、彼女は幼きシリウスに殴られてしまう。
(……待って待って待って! 誤解だから! レイもなんでそんな嘘つくの! あー! もぅ!)
レイはそう内心で吐き捨てながらも、「ダメ! レイは助けようとしただけ!」そう言って、咄嗟に体を動かし幼きレイを庇おうとした。
けれど――
『あーあ』
どこか怒りに満ちた低音が響くと同時、レイの体がピタリと硬直する。
いや、彼女の体が硬直したのではない。空間すべての時が止まった。
幼きシリウスが、幼きレイへと振り上げた腕も、風に揺らいでいた葉も、空を舞う僅かな砂埃や木々の香りも。それらすべて、一瞬で動きを止めてしまったのだ。
(え、なんで? どうして、急に……?)
考えてもまるで理解できない。ただ、伸ばした腕を戻そうにも動かせず。口も閉ざせず舌が乾いていくのだけが薄らとわかる程度。
けれど、先ほど何処からか響いてきた声は、そんなレイの困惑など気に留めるつもりなどないのだろう。苛立ちを含んだ声で言葉を続けた。
『どうしてキミがこの空間にいるのかな? また、僕を裏切るつもりだったの?』
しかし、“また裏切るのか”と問われたところで、何を言っているのか不明確。
(また、ってどういうこと……? その言い方じゃまるで――)
《何度も、同じことを繰り返している》みたいではないか。
だが、彼女にはそれを問う権利など与えられていない。
ゆえに、どれだけ内心で問いかけたとしても、その疑問に誰も応じてくれない。耳の奥――いや、脳裏に響く苛立ちを含んだ声の主さえも。
『キミはね、この真実に気づかなくてよかったんだよ。ほんと、キミはいつまで経っても“悪い子”だね? そんなにお仕置されたかったのかな? ふふっ。だけど、ここにキミは必要ないんだ。だから――』
続けざまに発せられた言葉のその後。ぬるりとした生温かな感触が、レイの首元をぞわりと撫で上げる。
それと同時に彼女の耳から音が遠ざかっていく。次いで、視界が黒のペンキで塗りつぶされていくように閉ざされ――
『とりあえず、バイバイ?』
その声と共に、レイの意識がプツリと音を立てて途切れてしまうのだった。




