14話:『あんなやつ、大っ嫌いだ』・1
妖怪火吹きハゲ太郎に宣言した通り、レイは翌日から、毎日王宮へ通い続けた。
だが、毎度「執務に追われ」「レッスンがあり」「体調を崩されている」と、いろいろな理由を並べられ――結局、何の成果もないまま時だけがすぎていく。
そのため、流石のレイも心が折れそうになった。
しかし、心が折れそうになる度。
『あんま無理すんなよ』
『もし抱え込みそうになったら言え。また連れてってやる』
そんな、セレスティアの言葉がレイの背中を押し続けてくれた。
そして、彼の言葉が呪いではなく、呪いになっているのはきっと……。セレスティアが格好つけることなく、ありのままの言葉で紡いでくれたから。
だから、彼がくれた魔法の言葉が、魔法として。レイの心に刻み込まれ続けていたのだろう。
そんなある日の昼下がり、陽光が差し込むとある執務室にて――
シリウス・ガリウスはその日。山積みになった書類へ目を通していた。
しかし、何故だろうか。どうしてだかわからないが、内容が頭に入ってこない。
そのせいで、握るペンには力が篭らず。ただ、手の中にピタリと収まり、同じ場所に留まり続けている。
(はあ……。まったくやる気が出ない。それもこれも全部――)
そう内心で呟く彼の脳内。そこに繰り返し映し出すのは、銀の髪に青の瞳を持つ男と、そんな男に満面の笑みを浮かべるレイ・ヴァーティンの姿。
そんな男のことを調べたものの、意図的に秘匿されているのか――
セレスティア・ラヴィウスという名前しかわからなかった。
とはいえ、苗字持ちという情報は、非常に強い材料になり得た。
なんせ、平民は苗字を持たない。それだけで、セレスティアという品のない女泥棒が、貴族であると安易に推測が可能となる。
だから、調べあげるのもまだ簡単だろうと考え、執務の合間を縫って徹底的に調べあげようとした。しかし、結局は何も見つからず。なんなら、“ラヴィウス”家の情報さえ出てこなかった。
(あの男は一体、何者なんだ?)
そう訝しむと同時。
トントンッと、控えめなノック音が執務室内に響き渡ったかと思えば、白髪混じりでモノクルを装着した執事――フィラクスが、落ち着いた声で告げてきた。
「本日もレイお嬢様がお見えのようですが、如何なさいますでしょうか?」
瞬間、シリウスの眉間に深い皺が刻まれたかと思うと、手にしていたペンを乱暴に机へと叩きつけて怒号する。
「その名を口にするな!」
そんな彼の乱雑な態度のせいで、インク壺が揺れ倒れてしまう。ドクドクと、机に置かれていた書類に黒いシミが広がっていく。
しかしフィラクスは、その光景を前にしても動じることなく、淡々とした態度で書類を別の場所へと避難すると、倒れたインク壺を立て直しながらも言葉を続ける。
「その名を口にするな、と仰りますが、レイお嬢様は坊ちゃんの内定婚約者であられるお方。つまり、未来の王族となられる可能性のあるご令嬢なのですよ? だというのにもかかわらず、そのような大切にすべきお嬢様をぞんざいに扱い、謁見の許可も与えず追い返し続けるのは、はっきり申しまして可哀想としか言いようがありません。それほどまでに嫌っているのでしたら、“婚約破棄”の手続きをし、レイお嬢様を解放して差し上げる方がよろしいのでは?」
そこには、“いくら王位継承権が殆どないからと言って、王族の一員であることを忘れるな”という警告と、“坊ちゃんの婚約者であるレイ様は、坊ちゃんの玩具ではない”という忠告が含まれている。
しかし、今のシリウスには火に油。
「知るか! 僕は会いたくないと言っているんだ!」
彼はそう言うと、机をドンッと叩きながらも、勢い任せに執務室を飛び出してしまう。
その衝撃で再びインク壺が倒れ、コロリとペンが床へと転がり落ちる。
「はあ……。坊っちゃんは本当に、心が繊細すぎますね」
フィラクスはぽつりと呟きながらも、汚れた執務机を掃除させるため、壁際に取り付けられたベルプルを引く。
そして、いつから坊ちゃんはこうなってしまったのか。そう内心で言葉を継ぎながらも、遠い記憶を思い起こすように、小さくも重い息を吐き出すのだった――
◇◆◇
(何が、婚約破棄の手続きだ! そんなもの、してやるものか! 絶対にしてやらない。そもそも、あいつが悪いんだ。だから、僕と同じように苦しめばいい)
胸の奥に渦巻く怒りを内心に吐き出しながらもシリウスは、王宮内の廊下を疾走していた。
なぜフィラクスから、レイ・ヴァーティンとの婚約を破棄すればいいと言う提案を受け、腹が立ったのかわからない。どうして、レイ・ヴァーティンは毎日のように謁見の申し出をしに来るのかもわからない。
そして、どうしてこんなにも気持ちが荒れるのか、その理由もわからない。
ただ、レイ・ヴァーティンのことを考えると、胸がギュッと締め付けられて、自分が自分じゃなくなるような不快感に苛まれ続ける。
そんなシリウスの脳裏に過ぎり続けているのは、先日の社交界での出来ごと。公衆の面前で、公然と『お前なんか大っ嫌い』だと糾弾してしまった醜い自身の姿。
なぜ自身は、あんなことを言ってしまったのか。いや、レイ・ヴァーティンの眼前で言うだけならば問題はない。そもそも、シリウスは、彼女に憎しみを抱いている。だから、レイ・ヴァーティンに言っても特に困ることなど皆無。
しかし、場所が悪かった。なぜ、よりにもよって王家主催のパーティで糾弾してしまったのか。
公の場でそんなことをしてしまえば、お父様やお兄様たちに迷惑をかけることになる。いや、王家の名に傷をつけてしまうことなど、考えなくてもわかること。
なのに、抑えきれなかった。
レイ・ヴァーティンが、セレスティアという女泥棒に笑いかけているのが許せなかった。
(あいつは僕の婚約者。だから僕が好きにしていいはず。なのに……あいつが反発するのが悪いんだ)
シリウスは、レイ・ヴァーティンがハゲワシに見せていた笑みを思い返し、よけい怒りを募らせながらも、廊下を勢いよく駆け抜けていった。
やがて、人気のない別館の一室へ飛び込むと、荒い呼吸を整えることも忘れ、思いっきり拳を壁へと叩きつけた。
ダンッ――
静かな部屋の中に響く鈍い音。しかし、石造りの壁はびくともせず、拳にじんと仄かな熱を帯びるばかり。
ジンジンと痛む掌。だが、その痛みは思いの外どこか心をスッとさせてくれたような気がした――一瞬だけ。
しかし、それは錯覚でしかなく。
胸の奥で煮えたぎる苛立ちは花弁のように散ってくれたはずにもかかわらず、まるでその炎は鎮まってくれやしない。
(レイ・ヴァーティンが憎い……)
そもそも、シリウス側は“執務”という名目で、渋々関わってあげているだけに過ぎないのに、ヘラヘラと媚びへつらうようになり――それによけい、腹が立った。
それに加え、クローウィンのことと言い、淑女のための聖域のことといい、思い返せば碌なことがない。
「あんな奴、大っ嫌いだ!」
そう自分に言い聞かせるように叫ぶが、まるでその感情を否定するように、胸の奥が更にぐちゃぐちゃにかき乱れていく。
「クローウィン……」
そう縋るように呟きながらもシリウスは、雪のように白い羽毛を持つ小さなカラスのことを脳裏に甦らせる。




