9話:なんでだろ? この人どっかで見覚えが……? 誰、この人?
◇◆◇
噴水近くのベンチに腰掛けてから既に数十分。
(なんかAIアートみたいだなぁ〜)
レイはその場から一歩たりとも動かず、遠目から見える人々を薄ぼんやりと眺めていた。
しかし、それは絵画ではなく。商人たちが積極的に呼び込みを行っている光景。
「今日は上質なじゃがいもが入ってるよ!」
「こっちは珍しいパプリカが入荷したよ!」
など、近隣同士で競り合っている。
そんな声にお忍びらしき使用人を侍らせた貴族らが、時おり足を止めて興味を示していた。
それはまるで、異国の地に間違って足を踏み入れてしまったような疎外感を植え付けてくる。
(この世界に私の居場所はないのかも……)
とはいえ、アリスの申し出を断ったのはレイ本人。それに移動手段としての馬車すら断った。
なんせ、謁見が叶わないと事前に予測できる相手の元に行くのだ。そんな面倒ごとに巻き込むわけにはいかない。
しかし――
(やっぱり、アリスに着いてきて貰った方が良かったかな?)
ほんの少し、後悔が胸を打つ。
もしここにアリスがいればきっと、色々と励ましてくれたかもしれない。
きっと、『お嬢様ならば、シリウス第3王子と仲直り出来ますよ!』と言って、ウジウジモードのレイの背中を押してくれたかもしれない。
けれど……。
(ううん。アリスは他の人たちと違って、私と仲良くしようとしてくれてる。だから、甘えちゃダメ。親友の仲にも礼儀ありって言うし、ちゃんと節度弁えなきゃ……)
そう言って、強がりの鎧を纏ってしまう。
だが、その鎧は紙でできており、ほんの少し天が雫をこぼすだけでも、濡れて破けてしまう。
遠くで聴こえる喧騒の声。噴水が、バチャバチャと下に溜まった水溜まりの面を叩き、弾けた飛沫がほんのりと、腰あたりを濡らしてくる。
ゆっくり、じんわりと腰を叩き続ける水滴たち。それは特別痛みを覚えるものではない。
けれど何故だろうか。どうしてか、そんな意思を持たぬ水にまで拒絶されているような気がして……。ほんのりと視界が潤んでしまう。
しかし、レイはそれが零れる前にグィッとドレスの袖で拭い、グッと奥歯を噛み締める。
(ダメ、泣かない。ぜっっったい、泣かないもん。シリウスにも妖怪火吹きハゲ太郎にも――絶対負けてあげないもん。最後まで抗ってやるんだからっ!)
そして、スゥ……ッと息を吸い込み『この世界はやっぱりおかしいよ!』そう、思いの丈を吐き出そうとした。
けれど――その寸前で止めた。
だって意味がないから。
泣き喚くように本音を吐き出したところで、この世界はきっと受け入れてはくれない。それどころか、もっと悪名を広め、18になる前に死んでしまう恐れさえある。
そんなことをあれこれと考えながらもぽつり。
「はあ……。いっそのこと、このままレイ・ヴァーティンを知らない別の世界に消えちゃいたい」
レイはそう呟くと、そっと天を仰いだ。
僅かに薄雲が浮かび上がり始めた空。けれど、それでも空は青いまま。ただ長閑に羊のような……綿あめのような……。可愛らしくも美味しそうな雲が、ゆっくりと空を流れていく。
そんな空を見上げながらもぽつり。
「空はどこの世界も同じなんだよね……」
レイは小さく目を細めながらも、前世の記憶に思いを馳せた。
笑顔を浮かべる両親の顔。
(パパとママは元気かな? 私が死んじゃって、悲しんでくれたのかな?)
そう内心で自問してみるも、なぜか笑顔のはずの両親の顔は、白塗りにされたように思い出せない。
(あ、れ? パパとママってどんな顔してたっけ?)
ボヤけていく両親の顔がぐにゃりと歪むと同時に、Web小説が好きな友人の顔がふと浮かぶ。
「おい神代! この小説ちょー面白いから読んでみろよ!」
そう言って、色んな作品を勧められた気が。だけど、かなり流行っていたからか。それともその友人の好みじゃなかったからか――étoileprinceは勧められなかったような気が。
それと同時、ふと疑問が胸を打つ。
(……? なんで私、エトプリ知ってるんだっけ?)
学校で人気だったのだから、名前を知っていてもおかしくはない。それに、友人も多く休み時間は絶対に誰かと話、1人になることもなかったはず。
にもかかわらず、何故か誰からもエトプリを勧められた記憶がない。
大ヒットしていたという認識があるのに、誰もその話題に触れないなんてことはあるのだろうか?
いや、もしかすると、誰かが話していたかもしれない。ただ、自分が話を聞き流していただけなのかも。
だから、名前だけ覚えている可能性だって有り得る。
それに、挿絵が可愛かったという記憶があるのだから、知らないということもないはず。
これはどういうことなのだろうか……?
僅かに気持ち悪いナニカが背筋を伝う。
しかし、考えてもわからないことはわからない。それに、エトプリという作品を、どこで聞いたか思い出せなくとも困ることはない。むしろ、シリウスが何故怒ったのか。その理由がわからない方が死活問題である。
「ま、考えてもわからないことを悩むのも時間の無駄だよね」
レイはそう考え直すと、軽く空へと両腕を伸ばす。
澄み渡る空は程よい風を運び、遠くからはと、キィーッ、キィーッキィーッと、オオタカのような甲高い声が、微かに響く。
その声に耳を澄ましながらもレイは、微かに眉を顰めながらも、ぼそり。
(なんかお猿さんみたいな鳴き方だな〜)
ベンチから腰を上げると、再度彫像へと視線を投じた。
凛々しい佇まいでロヴィーナを見守るように佇むその彫像。
だが、やはり何度見ても、どこか既視感を覚えてしまう。
そんな奇妙な錯覚に、レイはコテンッと首を斜めに捻りながらも、小さく問いかけた。
「私、頑張れるかな?」
瞬間。突然風が吹き荒んだかと思えば、彼女の髪やドレスの裾を翻し、空へと還っていく。
「わっふ……っ!」
その唐突さに、思わず声を上げるレイ。しかし、それはハジマリのオワリ。
不意に、理解不能な声がふたつ。天啓のように、彼女の脳裏に響き渡る。
『ふふっ、キミは永遠に鳥籠の中。僕が望む結末を迎えるまで、何度でも』
『抗え。そして、悩み苦しめ。そこからお前の未来が切り開かれる』
相反するふたつの言葉。
「えっと……?」
レイは瞳を大きく揺らしながらも、硬直する。
(鳥籠の中? 未来が切り開かれる? どういうこと?)
そう内心で復唱してみるものの、言葉だけが伝わる異国語のように、何を言っているのか理解できない。
レイは、その真意を探るように、囁くように問いかけた。
「ねぇ、どういう意味……?」
だが、その疑問に答えを投じる者はおらず。
ただ、先ほどの突風が嘘だったとでも言うように、柔らかな風が、そよそよとレイの髪やドレスを微かに揺らし続けるのだった。
◇◆◇
そんな彼女の姿を認めたひとつの瞳。
(なぜあいつがここに?)
訝しげに首を傾げるその人物。彼は、執務帰りの足でこの辺りを通りかかったところ、思いがけず彼女を見つけてしまった。
公には貴族であることを隠している彼にとって、人前で不要に目立つのは避けたいところ。普段ならば他人に関わることさえ煩わしい。だが、どうにも遠目から見た彼女は元気がなく見える。
なにか思い詰めているのだろうか? いや、そもそもなぜ俺は、あいつのことを気にかけようとしている? そんな、自分にもわからない疑問が胸を差す。
彼女と初めて会ったのは、とある夕刻。あの時はただすれ違い、瞳が交差したのはほんの数秒。
そして、2回目はとある路地裏で。3回目は王家主催の社交会場。偶然が幾重にも重なるが、それらすべて偶然とも呼べる出会い。
ゆえに、彼はぽつりと一言。
「ま、俺には関係ないか……」
無視を決め込み、帰路を辿ろうとした。
しかし、元気が少ない理由に、少しばかり心当たりがある。
彼はどうしたものかと頭を悩ませながらも、はぁ……。
軽く髪をくしゃりと掻いた後。彼女が佇む方へと、つま先を向けるのだった。




