8話:シリウスに会いに行く。まあ、絶対無理なの知ってるけど……。・前半
「行ってきます」
そう言ってメイドたちに見送られながら王宮へ一人で向かおうとするレイ。
「お嬢様、私も……」
そんな彼女に、アリスは自身もお供すると申し出てくれた。
本当は、その通りにした方がいいってことくらいわかってる。と言うよりも、何度かミス・ゴーディスに、『淑女たるもの侍女を付けず、一人で外に出るなど論外。何かあっては遅いのですよ!?』と散々口酸っぱく怒られるから、多分一人で外出しちゃダメなんだと思う。
でも……。
「ううん。大丈夫、ありがとうアリス」
どうせ、シリウスは私に会ってくれない。そんな気がして、レイはアリスの好意をやんわりと断った。
会ってくれることが前提ならば問題ない。それに、アリスが下心を持ってそう提案してくれたとも思わない。それに、我儘を言うのならば、着いてきて欲しいとさえ思ってしまう自分がいる。
この件を一人で抱えるには、荷が重すぎるから。
だけど、これはレイが無意識に撒いた種。会ってくれる見込みがないであろうシリウスの元へ行っても、アリスにただただ迷惑をかけるだけ。多分、意識を失った彼女を運んでくれたのはアリス。そんなアリスに、これ以上の負担をかけてしまえば、せっかく仲良くなれたのに、嫌われてしまう恐れさえある。それだけはどうしても避けたいところ。
だから――だから、断った。
そして、その後提案された馬車での移動も断り、彼女は一人。屋敷を後にした。
心の中に虚無という名の黒い塗料を広げて。
そんなレイを窓から見守るひとつの影。その影は、寂しげな気配を滲ませる彼女の背を見つめながら、ぽつりと呟く。
「……これもお前のためだ。許してくれ」
そう口にする影の名は、バルドフ・ヴァーティン。
本来の彼は、その当時。愛妻家として有名で、かなり溺愛系の男だった。しかし、妻であったスキールニル・ヴァーティンはレイを産んだ一年後に亡くなってしまった。
そこからバルドフは変わってしまった。妻であるスキールニルのためにも、彼女を立派な令嬢に育てあげなければいけない。そんな自らが課した使命を背負い、これまで必死に育てあげてきたつもりだった。
しかし、飴と鞭は使い分けなければいけない。それは彼なりに理解している。だからこそ彼女を甘やかしているつもりだった。
だが、彼もまた不器用な人間だったため、それが本来のレイに伝わることはなく――とぼとぼと寂しげに屋敷を後にする娘の背中を、執務室の窓からじっと、見つめることしかできなかった。
バルドフは机の引き出しから一枚の肖像写真を取り出す。そこには、妻スキールニルが、レイを抱く姿が写っている。
とはいえ、クッキリと映ってるのはレイのみ。まるで、もこの時から既に、妻はもうじきこの世を去ると告げていたとでも言うように、スキールニルの顔には影が差しボヤけている。
そんな妻と娘が映る写真をじっと見つめながらもバルドフは、不器用な笑みを湛え問いかけた。
「私は正しいことをしているのだろうか……?」
けれど、写真に問いかけたところで、答えなど返ってくるわけもなく。バルドフは、その肖像画を大切に引き出しの中へ戻すと、溜め息をひとつ。執務へと戻るのだった――
◇◆◇
「はあ……どうせ会えないってわかってるから、めっちゃブルーな感じ」
彼女は小さく呟きながらも、そっと天を仰ぐ。
空は青が広がり雲ひとつない晴天。それはレイの鬱々さを表す青のように眩しく、彼女の瞳を無慈悲に陽の光が刺して来る。
その光は普段よりも眩しく。どこか異国のような遠さを感じさせる。
(はあ……。私は今にも雨が降りそうなほどブルーなのに、空めっちゃ晴れてるじゃん。なんかムカつく……)
そんな空の青に八つ当たりしながらも、レイは軽く目を細める。けれど、こんなところで立ち止まっていても、何も始まらない。
彼女は鬱々とした息を吐き出すと、重たい足を引きずり王宮を目指す。
しかし。馬車に乗ることもなく、一人とぼとぼと歩くレイは、格好の餌食。
なんせ彼女は昨日、第3王子であるシリウス・ガリウスを激怒させたのだ。
そんな噂の中心人物が、側近や近侍などの使用人をつけることなく歩いている。
それは、貴族たちからすれば一種の娯楽。
つまり――舞台と同じ“見世物”であるということ。
とはいえ、下品な接触は図らない。なんせ、噂の中心人物と接触すれば、自身の評価ならず家の評判さえも落ちてしまう可能性があるのだから。
ゆえに、彼女を認めた貴族たちは、嘲笑を交えながらもすれ違っていく。
しかしすれ違いざま、「あれが噂の?」そう言って、わざとらしく扇などで口元を隠し、レイ・ヴァーティンとシリウス・ガリウスに関する噂を口にし始める。
そこには憶測的皮肉や、完全な嘘も混じっているが、彼女への心配の声など皆無。どう転んでもレイを悪役に仕立てたいという強い意思を感じさせる。
そんな煩わしい声々に彼女は、耳を塞ぎたい気持ちを我慢しながらも、必死に平常心を保とうとした。
(シリウスが本当に婚約を破棄したら、あの妖怪火吹きハゲ太郎は本気で私を……)
考えれば考えるほど胸が締め付けられる。妖怪火吹きハゲ太郎からのプレッシャーに、シリウスの理不尽な怒り。そして、周囲の射るような白眼視。
それらがすべて重なり合い、心に広がる雲がどんよりと暗く広がっていく。
その雲から生まれるのは黒の雫。
けれど、レイはそれを零さない。黒い雫を落としたところで、きっと後悔するから。こんなところで感情を吐き出し誰かに心ない言葉を口にしてしまえば、もっと心が軋んでしまう。
だから彼女は前を向く。
『淑女たるもの、何時如何なる時も、慎ましく。背筋を伸ばし、毅然とした態度を』
そんなミス・ゴーディスの教えを内心で復唱しながら――




