21話:人参! パプリカ! ピーマン! それから……ええっと……かぼちゃの南蛮漬け!・前編
「……おい」
低く不満気な声がレイの背中にぶつけられる。
その声に思わず振り向いた彼女の眼前。そこには、若干息を切らし、髪などが乱れた男性の姿が。
(えっ、なんでそんな息を切らしてんの? なんかトラブルでもあった感じ? それとも、私がやらかしちゃったから、探してくれたってこと?)
尽きぬ疑問にわからぬ真実。
レイは乱れた金の髪や衣服をそのままに、肩で息をする暫定婚約者――シリウスを見つめながら、驚きのあまり硬直してしまう。
そんな彼は、美しい刺繍の施された白いタキシードに身を包み、キッド革の黒い手袋をはめ、完璧な正装をしている。
(シリウスって私のこと、嫌いなはずだよね? なんで、正装……?)
レイは、眼前のシリウスの姿に、大量のクエスチョンマークを製造しながらも、目を点にしてポカーンと呆気に取られてしまう。
とはいえ、彼は王族。嫌いな人物だろうと体裁を保つ為に、嫌々正装してくれているのかもしれない。
『いや、絶対そうしかない!』
レイはそう考え直すと、ゴクリ。未だに彼の登場に驚きを隠せず瞳を揺らし続けた。
そんなレイ・ヴァーティンを見つめるシリウス。
(どうしてレイは固まっている……?)
彼は訝しみながらも、ほんのりと警戒心を滲ませる。
だが会場に到着し、すぐさま控え室に向かったにもかかわらず、レイ・ヴァーティンは不在。シリウスの到着を聞きつけたバルドフ・ヴァーティンから事情を聞いた彼は、直ちに会場内へと向かい、彼女を探したのだが――
レイ・ヴァーティンを見つけ出せたのは、ポロネーズの終盤であり、メインであるワルツが奏でられようとしている最中。
彼は小さく息をつくと、一拍。
「おい、いつまでぼさっとしてるんだ? 何度も手紙を送り付けるくらい、“エスカルゴ”して欲しいんだろ?」
無愛想な皮肉を投じながらも優雅に。流れる小川のように手を差し出した。
(シリウス……ちゃんとエスカルゴしてくれるの? 手紙、ちゃんと読んでくれたんだ……良かった……)
レイは、差し出された手をじっと見つめながらも、ホッと内心で安堵を示した。
だが、安堵を覚えると同時に――
(シリウス来てくれたのはほんと、ほんっっっと嬉しいし、感謝してるよ? もう、シリウスに足向けて寝れないくらい感謝してるけど! 手紙の返事くらいしてくれてもいいじゃん!? いくら本来のレイ・ヴァーティンが嫌いだからって、なんで、そこほうれん草サボるの!?)
不安だった思いが、不満として吹き出してしまう。
しかし、今はワルツの時間。そのため、吹き出し続ける不満は一旦脳の片隅にナイナイ、ポイッ。
緊張で若干汗ばむ右手をシリウスの手に重ねた。
瞬間、彼からバニラのような、甘く爽やかな香りが放たれる。
(あ、この匂い好きかも。どこの香水使ってるんだろ? ゲ〇ン? ヘリ〇トロ〇プ?)
そんなことを考えていると、重ねた手から暖かな温もりが。その温度は手袋越しにも伝い、レイは思わず視線を上げ――パチリッ。
ルビーとエメラルドの瞳が交わる。
瞬間。シリウスの眉が、僅かに顰められる。
それに困惑を覚えるレイ。
(……えっ、なになになに!? 私、なんかまた変なことやっちゃった? 手、取らない方が良かった? それとも、さっき手紙の返事くらい寄越せー! っていうの声に出しちゃってた?)
だが、彼はじっとレイのことを見下ろすだけで、手を離すことは決してない。
けれどどう見てもその表情は、“不快”にしか思えず間違っても、“本心”をひた隠そうとしているように見えない。
(その微妙な顔……やめてくれないかな?)
レイは苦笑しながらも、ポロネーズの遅れを取り戻すように、足の裏全体で床を感じ、ステップを踏み始める。
ここから、軌道修正。狂った歯車が元に戻り、すべてが丸く収まる―――――――――――――――――――――わけもなく。
レイ・ヴァーティンとシリウスの相性はかなり最悪なものだった。一瞬、初めての社交場の雰囲気に呑まれ、緊張しているだけかもしれないと思ったが……これは相性の問題としか言いようがない。
何を考えているのか――いや、嫌がらせか。レイ・ヴァーティンは、シリウスが前へと出れば、後ろへ下がり、どれほどリードしようとしてもそれを拒み続けてくる。
ゆえに、優雅な円を描かなければいけないワルツの円は、歪な形へと変わっていく。
(はあ……こいつは僕を困らせたいが為に、あの難解な怪文書を送ってきたのか? いくら僕が王宮に当分来るなって言ったからって、ダンスくらい僕のリードを素直に受け取ってくれ)
シリウスは、内心で手綱を握らせようとしないレイ・ヴァーティンへの苛立ちを募らせながらも、どうにか彼女をリードしようと努めるのだった。
そんなシリウスの内心など知らないレイはというと――




