17話:レイ・ヴァーティンから怪文書が届いた。この怪文書を僕にどうしろと?・後編
「カタツムリの特性、だと?」
「ええ。カタツムリは、地域によって怠惰の象徴とされることが御座います。ですが、歩む速度が遅い為、一部の地域や国では、ゆっくりと関係を進めましょう。や、貴方と、永遠を共にしたいという意味で、恋人にカタツムリの小物を贈られることがあるとか」
それを聞いたシリウスは、顎に手を軽く添えると、すぐさま内心で考えを巡らせる。
(……カタツムリの小物を贈る、か。レイもその意味を込めて僕に、こんな回りくどい手紙を寄越してきたということか? しかし、この霜降り明星とはなんだ? いや、待て。霜降り明星などこの際どうでも良い)
だが、ふと別の疑問が脳裏を過ぎる。これは、自身の勘違いか、違うのか。シリウスは、理解不能な言語の羅列を一旦、頭の片隅に追いやると、フィラクスへと鋭く問いを投げつけた。
「……おい、フィラクス。なぜ、お前はレイ・ヴァーティンが“エスカルゴ”と手紙に書いているのを知っている?」
その視線は射るように尖りきっている。にもかかわらず、フィラクスは一切動じることはない。つまり、手紙の内容を事前に理解していた可能性が非常に高い。だが、封蝋が割られた形跡はない。
万一手紙のすり替えを行ったとしても、焼肉のいそうろうや、ねもい、背鶏や鶏具という造語を作る理由がわからない。そもそもそこまで露骨なすり替えを行えば、レイ・ヴァーティンが報復して来る恐れさえ有り得る。
シリウスは、フィラクスの一挙一動を見逃すまいと瞳を光らせ続けた。
そんな彼の視線に気づいてか。それとも、本心なのか。
「それは簡単なことでございますよ。坊っちゃまが、レイお嬢様のお手紙を拝見してから、そう尋ねてこられましたので」
フィラクスはそう言って、軽くシリウスへと微笑みかけた。
その態度に不自然さは特になく、言葉の端々が揺れることはない。ゆえにシリウスは、一瞬だけフィラクスの言い分を信じかけてしまう。
「……なるほどな」
しかし――フィラクスの発言はあまりにも自然体すぎる。シリウスが手紙を読んでいたという事実だけを取ったとしても、突然“エスカルゴ”に含まれそうな暗号を聞かれれば、理解が追いつかず困惑を示してしまいそうなところ。けれどフィラクスは、何かを考える間はあったものの、すぐさまその答えを理解したような素振りを見せていたような気がする。
シリウスは、そのあまりにも自然体なフィラクスへの疑いの念を深めると、僅かに声を低く問いを続けた。
「だが、それだと回答までの速度が異常に早いようにも思えるが?」
瞬間。フィラクスの瞳が微かに細められる。
その若干の変換を認めたシリウスは、小さく唇を噛み締めながらも、内心で複雑な心境を漏らしてしまう。
(やはり、裏があったか。こいつも、どうせ僕のことなど……)
そこには過去のトラウマが根付き、他者へと完全に心を開くことの出来ない絶対領域がありそう。そんなシリウスの心境を知ってか知らずか――
「ほっほっほっ」
フィラクスは、屈託のない晴れやかな朗笑を漏らしたかと思えば、徐ろにシリウスへと説明という名の種明かしを始めた。
「坊っちゃまは実に目敏く聡明でございますね。実のところ、陛下への報告義務が生じる内容だった場合を想定し、破棄する前に内容の方を何度か拝読させて貰っておりました」
その発言からして、どうやらフィラクスに弄ばれていたようだ。とはいえ、お父様への報告は絶対であり、いくら第3王子であるシリウスとて、破棄を言い渡した手紙を勝手に見るなとは言えるわけもなく。
シリウスは、釈然としない気持ちをほんのりと抱えながらも一言。
「なるほど、腑に落ちた」
一読では理解できないレイからの手紙を何度か読み返し続けた。
(フィラクスも何か企んでいる可能性が否めないが、カタツムリの小物を恋人に贈るというのは嘘ではないのだろう。そして、久しぶりに王宮に来た時の態度は何かおかしかったが、公爵令嬢であるレイならば、その辺の教養があってもおかしくはない。つまり、これは僕との婚約を続けたいという意思表明でもあるのか)
シリウスは、以前「当分この屋敷に来ないで」と言った時のことを思い出しながらも、ホッとした息を小さく吐き出してしまう。
しかし、それは無意識のもの。すぐさま、意味のわからない安堵感に気づくと、内心で怪訝した。
(……? 何故、僕はレイから婚約破棄の申請ではなく、その反対である意思表示にホッとしたんだ?)
だが、考えてもまるでわからない。そもそも、人間を殺めたわけではないとはいえ、レイ・ヴァーティンは大切なクローウィンを惨殺した悪人である。そんな相手からの婚約継続を暗喩する手紙を読んで、安堵するなど気が狂っているとしか言いようがない。
シリウスは、自身の知らない奇妙な気持ちに、なんとも言えぬ苛立ちを覚えながらも、解読を続けた。
やがて――
レイ・ヴァーティンから送られてきた怪文書を100回以上読み込んだであろう頃。
ふとシリウスは、“もうすぐレビュタントだよ、貴様シリウスに、絶対エスカルゴして欲しいの!”という部分に目をつけ――はぁ……。ようやく、怪文書の一部だけを解読することに成功した。
(……焼肉食べたいなどは、未だによくわかっていないが……。もしかしてこれは……)
自身の考えが正しければ、もうすぐレビュタントは、もうすぐデビュタントであり、デビュタントとして、必要不可欠になるのはパートナーの存在。つまり――
(明日のデビュタントで“エスコート”してほしい、と言っているのか)
今までのレイ・ヴァーティンからすれば、教養も何もあったものではないのだが……何故だろうか。どうしてだか、そう考えれば何となくしっくりと来てしまう自分がいる。
「はあ……」
シリウスは、それが答えだと何となく察すると、重たい溜息をひとつ。どっと疲れた様子で、額に手をやった。
そんな彼の反応にフィラクスは、朗らかな笑みを浮かべたまま疑問を投じる。
「シリウス坊っちゃまの反応から察するに、例の暗号の意味が判明したのでしょうか?」
(……絶対こいつわかっていて、少しだけズラした回答を僕に寄越しただろ)
シリウスは、終始変わらぬフィラクスの態度に、内心で舌を打ちながらも、淡々とした態度で応じた。
「ああ。明日、あいつのデビュタントだろ? そこで僕に“エスコート”してくれとのことらしい」
それを受けたフィラクスは、ほんのりと伸びた白髭に手を添えながらも、ふむ。
「なぜ直接、坊っちゃんに?」
そこまでの真意は彼にも読み取れなかったのだろう。そう言って、シリウスに問い返してきた。
とはいえ、シリウス自身レイ・ヴァーティンの頭の中を理解することなど不可能。ゆえに肩を竦めて一言、苦笑を漏らす。
「さあな?」
だが、その内側ではひとつの疑念が。
(レイは、僕が参加することを聞かされず、エスコートの要請をする為だけに、毎日手紙を送ってきたということか?)
実際、バルドフ・ヴァーティンは、娘であるレイ・ヴァーティンをあまり可愛がっているようには思えない。それは、レイ・ヴァーティンが悪嬢になる前から変わらず。常日頃から突き放すような淡白さが滲んでいた。
しかし――
(いや……。いくらあの男でも、王家の人間が絡む内容を娘に伝えていないわけがない。つまり、焼肉や霜降り明星にも何かしらの意図が込められているということか……?)
シリウスは一瞬、読み解けた一文以外も解読すべきかと悩みながらも、とりあえず優先事項は手紙の返事だろう。
なんせ彼女は、本気で自身の参加を知らない可能性があるのだから。
ゆえにシリウスは、すぐさまフィラクスに命じる。
「レイ・ヴァーティンに手紙を返す。紙を用意してくれ」
「かしこまりました」
フィラクスはそう言うと、軽く腰を折りすぐさま返信用の紙を用意してくれた。
シリウスは紙を受け取るなり、すぐさまレイ・ヴァーティンへの返信を認める。
“レイ・ヴァーティン
そちらの事情は承知した。こちらとしても家の都合があるゆえ、“デ”ビュタント当日には出席し、必要ならば“エスコート”もする。
だが、勘違いするな。これは貴様のためではない。
シリウス・ガリウス”
そして、念の為書き損じなどがないか、最低限の確認をするなりシリウスは、「……こんなところでいいだろう」と一言。
「速達で届けろ」
と言葉を続けると、認めたばかりの手紙をフィラクスに託すのだった。




