14話: 今日もレイムンドのとこ行ってくる! え? 私のこと探してるの? 夕方になったら帰るから待ってて〜!・前編
◇◆◇
「……はっ!」
目を覚ました。
激しく暴れる心臓。額にはべっとりとした汗が滲み、悪寒が全身を駆け抜け気持ち悪い。そんな汗を軽く拭いながらも、なぜか耳に奇妙な感覚が。
それはまるで、彼女が目を覚ます寸前。誰かに息を吹きかけられたような生暖かさ。
(この耳に残る奇妙な感覚は一体……?)
レイは訝しげに首を傾げながらも、覚えている内容は殆どない。
ただ、“この世界の神、ヴェレリウスには会わないで”その言葉のみ。ゆえに、友人と話していた記憶も、平和な街並みも。すべては蜃気楼の中へと沈みこんでいる。
(……ヴェレリウスって誰?)
浅く呼吸を繰り返しつつもレイは、必死に思考を巡らせる。だが、リアルな戦慄が胸に残り、激しい交響曲のような動悸が尚も轟き続けるばかり。
そんな嫌な音色を払拭するようにして、レイは静かに自問する。
「この世界に神様っているの?」
だが彼女自身、その答えを知り得ない。
彼女はわからないことが増え続ける現実に、無理やり荒い息を整えると、チラリ。癒しを求めるようにして、窓の方へと視線を逸らした。
夜明け前の青黒の闇。
窓越しからは、微かに風の音が聞こえ、廊下には人の気配がまるで感じられない。唯一自室内で響く音色は、チッ、チッ、と、時を刻む振り子時計の秒針のみ。
「……大丈夫。さっきのはただの夢。ヴェレリウスも、きっと私が作り出した夢で、関係ない。うん、多分……ううん、絶対……そう」
レイは言い聞かせるようにぽつりと呟くと、再びベッドへと戻り、掛け布団の中へと身を沈め、瞼を閉じる。
瞼の裏側は真っ暗な闇。にもかかわらず、一定のリズムで朱の飛沫が飛び散り、不安の芽が急激に成長していく。
しかし、先ほどの夢が精神的な疲労に繋がってしまったのか。それとも、慣れないドレス作りに悪戦苦闘を強いられ続けたせいか――
(また、同じ夢見たら、ヤダな……)
レイは内心でぽそりと呟きながらも、突然心地の良い睡魔に襲われ……。
◇◆◇
翌朝。
「うーん! なんかよく寝た気がする!」
レイは目を覚ますと同時。大きく伸びをすると、トタンッ。ベッドから起き上がり、カーテンを開け放つ。
鮮やかで柔らかい光が部屋の中へと差し込み、まるで協奏曲のような、朗らかな鳥の囀りが耳を擽る。
それはまるで、昨晩の不穏な夢など存在しなかったと告げるような、清々しくも平和な朝。しかし、あの夢は朧気ながらもレイの記憶に焼き付き、不安の芽は完全には消え去ることはない。
(あの夢は一体なんだったんだろ……?)
レイは僅かに怪訝しながらも、深呼吸をひとつ。
「さ、準備しよ」
と、気持ちを切替えるように呟くと、シリウスに送る手紙を認め、机の一番上の引き出しへと一時保管する。
そして、普段はメイドに任せっきりの身支度を自分なりに整え――再度大きな伸びをすると、置き手紙1枚残すことなく。堂々と正面口からレイムンドの仕立て屋へと向かうのだった。
◇◆◇
そんなレイの脱走に気づいたひとつの影。
(……? レイお嬢様は、こんな朝早くからどちらに行かれるのでしょうか?)
アリスはキョトンッと小首を傾げながらも、外の掃き掃除中に、動物と戯れてしまった罰として、メイド長にこっぴどく叱られた挙句、大量の洗濯業務を任されてしまった為、今すぐレイお嬢様を追うことは叶わない。
(勝手な外出がバレれば旦那様から大目玉を食らう羽目になりそうですね……。早めに帰ってくるかもですし……見なかったことにしておきましょう)
アリスは内心でそう判断を下すと、大量の汚れものを両手に、洗濯業務へと戻るのだった。
◇◆◇
それから数時間後のヴァーティン家。
「失礼致します」
定刻通り、いつものメイドがお嬢様を起こしに部屋へと侵入する。
しかし――
(……どういう、ことでしょう?)
そこにレイの姿は見当たらない。
(……まさか、誘拐されてしまったのでしょうか?)
すぐさま最悪の事態を想定するも、お嬢様の世話係として大失態。メイドは背筋を冷やしながらも一瞬、思考を停止させかける。
だが、この状況は非常にまずい。最悪の場合、暇を言い渡されかねないこの状況を察すると、即座にお嬢様の捜索を開始した。
まず初めに向かったのは、食堂。お嬢様は元々食が細かったにもかかわらず、ここ最近はよく食べるようになっている。もしかすると、お腹を空かせ、食堂へ行ってしまったのかと考えたのだが――誰もいない。
(……本当に、お嬢様はどちらへ?)
いつものメイドは、よけいに焦りを覚え屋敷内の様々な場所を捜索した。
馬小屋やトイレの中。浴室や、旦那様の書斎。使用されていない空き部屋や、来客用の宿泊室。それから裏口など、ありとあらゆる場所を探してみたものの、どこを探しても見当たらない。
段階的に募り続ける焦燥。瞳がぶるぶると震え、寒くないにもかかわらず、全身が粟立っていく。
だが、ここで焦燥を抱えたまま動かないということは、即ちメイド人生の死を意味する。悪嬢であるレイ・ヴァーティンの嫌がらせが原因で、そのような最悪の結末を迎えるなど――御免蒙りたい。
ゆえにいつものメイドは、ほんの数秒止めていた足を再び動かし、お嬢様の捜索を続行した。
そんな中。ようやく大量の洗濯物を洗い終えたアリス。彼女は不意に、焦った様子で走り回るいつものメイドを認め、声をかけてしまう。
「おはようございます、モブリーヌ様。何かあったのでしょうか?」
そんなアリスの問いかけに、いつものメイド――改めモブリーヌは、僅かに顔を明るくすると、ガシッとアリスの両肩を掴むと、早口で問いを返す。
「あ、ちょうどいい所に! あなた、お嬢様を見かけなかった!?」
だが唐突にお嬢様の行方を問いかけられても、すぐには理解できない。
「え……?」
ゆえにアリスはモブリーヌ様が何を言っているのか理解できず、一瞬だけ思考を停止させ、自然な形で口を閉ざしてしまう。
しかし、すぐさま理解が追いつき、「レイお嬢様なら、少し前にお出かけになられました」と言おうとしたのも束の間。
「おい、朝食を摂るよう言ったはずだが、レイがまだ来ていないぞ。どういうことだ!?」
絶妙なタイミングで、廊下の向こうから不機嫌な様子を滲ませた旦那様が現れてしまった。
アリスはそんな旦那様の態度に萎縮し、咄嗟に開きかけていた口を閉ざしてしまう。
そんなアリスの萎縮など気に留める暇などなく。モブリーヌは、慌てた様子で旦那様へと報告する。
「そ、それが……お嬢様が部屋にいらっしゃらず……先ほどから屋敷中を捜索しているのですが、どこを探しても見当たりません」
「誘拐の線は?」
「多分、それはないかと思われます」
(となると、無断外出か? また勝手なことを……)
一瞬、呆れを覚えるバルドフ。しかし、家を出てどこか行くあてがあるとも思えない。彼は内心で嘆息しつつも、メイドに再び問いかけた。
「まだ他に探してない場所はあるのか? 外へ出た形跡はどうだ?」
「い、いえ……置き手紙も特になく、裏口にも鍵が掛かっており、出た形跡はございません」
「そうか、表口はどうだ?」
「表口は基本的に、警備の者が一人配置されていますので、その線も薄いかと思われます」
そう推論を述べるモブリーヌ。しかし、警備は24時間体制で配置されているわけではなく、時間によってはあっさりと表口から出ていくことも可能。
(外出をした線は捨てきれないが――レイには友人などいないはず。つまり、いつもの我儘か、嫌がらせの類か)
バルドフは内心で、そんな結論を導き出すと、即座にモブリーヌへと命を下すそうとした。
しかし――




