10話:父の葛藤と、レイへの戦力外通告。えっ、私戦力外通告されるの!? ど、どうしよ!?
一方、ヴァーティン家では――
「旦那様、お嬢様がデビュタントに向けて作法やダンスレッスンを受けたいとおっしゃっておりました」
「どういった心境の変化だ?」
メイドの報告に、ハゲおと――ではなく。バルドフは一瞬、目を見開く。
(今までのレイならば、こんな申し出をするはずがない。これは、改心の兆しか? それとも何かしらの企みがあるのか?)
彼は執務室の椅子に深く座り直すと、机の上の書類を指先で揃えながらも考え込む。
そんなバルドフの顔色を窺いながらもメイドは、事務的な態度を貫き言葉を続ける。
「わかりかねますが……先日までのわがままばかり仰るお嬢様とは、まるで別人のようで……。本気で取り組もうとしておられるように感じられました」
表面的には事務的。だが、変化の兆しを明確に受け取っているような戸惑いが微かに滲んでいるような違和感。バルドフは小さく息を吐き出し、思考する。
(普段からレイの身の回りの世話をやっているメイドが、明確に変化の兆しを告げているのだ。もう一度。もう一度だけ、歩み寄ってやっても良いのではないのだろうか?)
だが、ここは慎重に検討せざるを得ない。なんせ、娘には前科があり、先日もその件で指導を施したばかり。その件で、不満を募らせ、従順な子供を演じようとしているだけかもしれない。いやな邪推が脳裏を駆け巡り、どうすべきか――答えをすぐには導き出せない。
そんなバルドフの姿にメイドは、ただ静かに次の命令を待つのだが……。どうやら彼は、メイドの存在を忘れていたらしい。
ふと人の気配に気づき――チラリ。軽く視線だけを動かしメイドの姿を認めると、ピクリ。微かに眉を動かしながらもメイドへと命を下した。
「ああ。もう下がっていいぞ」
その命令にメイドは、「かしこまりました」と一言。軽く腰を折ると、すぐさま執務室を後にするのだった。
◇◆◇
メイドが出て行き、人の気配が完全に消失してしまった執務室内。バルドフは、数日前の娘との会話を思い返す。
最初に思い返されたのは、はじめて娘が自身の気持ちを打ち明けてくれた言葉。
『……それ、なんかおかしい気がする!
今はたよーせいの時代だよ!? 昭和とかと違って、皆の考えとかそんちょーする時代だよ!? なのに、家柄で縛って来させるのってなんか違うと思う! そもそも婚約者だからって、嫌いな相手からの招待で嫌々行くのと、少しでも関係性を良くしてから行くのとじゃ、同じ“行く”でも全然違うんじゃないかな!? 私はこれからも“シリウス”に手紙送るし、仲良くしたいって意思表明する!』
正直、“たよー性”だとか“昭和”という言葉の意味は理解できないが、その他の部分は、頷ける部分も多い。それに加え、以前と違いどこか言葉に重みがあり、空っぽの器に魂が宿ったような生き生きとした気配が漂っていたようにも思える。
(……そう言えば、レイとこのような関係になったのはいつからだっただろうか? 最初は愛情を注いでいたはずだった。
いや、今も私なりに愛情を注いでやっているつもりだ。だが、気づけば家族というよりも、他人同士のような距離ができていたように思える。
だが、思い出そうとしても、どうにも記憶に靄が掛かったように、こうなってしまった理由が思い出せない……)
バルドフは、内省を挟みながらも小さく息を吐き出すと、次はレイを執務室から追い出す寸前の言葉を思い返した。
『後、ドレス新調したい!』
指導を告げた後、いつもならば無感情ですぐさま部屋を後にしてしまう娘が、新しいドレスを所望した。
本当は、買い与えても良かったのかもしれない。だが、タイミングが悪すぎた。
あの時は、シリウスへの手紙に加え、何に使うかも不明瞭な高級ガラクタを大量に購入した我が娘への怒りが大きく、まともに話を聞く余裕がなかった。
(まさか……一回の買い物で百枚前後のアスト金貨が飛ぶとは、誰が思う? 以前のレイならば、そこはしっかり弁えていたはずだが……)
※ アスト金貨一枚:十万程度※
内心でレイの凶変っぷりを嘆きながらも、思考を続ける。
(ドレスの件でかなり冷たい態度を取ってしまったんだ。本当に自覚が芽生え、改心……いや、更生するつもりがあるならば――家庭教師くらい再び雇ってやってもいいかもしれん……)
そんな結論をだし、引き出しから紙と封を取りだす。
けれど、今までの行動がやはり懸念材料でしかない。もし、判断を誤り、最悪の事態に陥ってしまえば――
「はあ……。本当にこれでいいのか?」
バルドフは、ポツリと小さく言葉を漏らすと、机の2段目の引き出しから、少し古ぼけた写真を取り出し問いかける。
「……お前ならどうする?」
とはいえ、問いかけた相手はただの写真。答えが返ってくることはない。
バルドフは、躊躇いがちにペンへと腕をのばしては戻してを繰り返し――数分後。
(本当に、信じても良いのだろうか?)
躊躇いがちに内心で最後の自問をしながら、はあ……。
ここで足踏みを続けたところで意味はない。
「ムッシュー・ド・ゴーディスなら、まだ応じてくれるかもしれんか……」
そう声に出してみるものの、依頼しようとしているゴーディスは、かなりのスパルタで有名な家庭教師。レイの性格に変化の兆しが萌えてきたとはいえ、いきなりスパルタの教師をつければ、振り出しに戻る可能性もある。
とはいえ、一ヶ月以内に完璧な作法を叩き込めるような人材もそう多くはない。ゆえにバルドフは、深く息を吸い込み1拍。腹を括るようにしてペンを取ると、紙にペン先を走らせた。
だが、“ミス・ゴーディス”という文字を書いたところで再び手が止まる。
(もし、レイがまた逆上でもすればどうする? 結局は、今までのように家庭教師を辞めさせ、すべてが振り出しに戻るかもしれん……)
ちらりと視線を落とせば、机の隅で山積みになった前家庭教師たちの推薦状が目に留まる。
どれも、レイのわがままによって辞退されたり、泣いて逃げられてしまった跡。
(だが、ここで諦めれば、“作法やダンスレッスンを受けたい”と言い出したレイの意欲を削ぐことにもなりかねない。あの娘の気が変わる前に、なんとしてでも手は打つべきか?)
バルドフは、苦い薬でも飲むかのように深く眉間に皺を寄せながらも、再度意を決し手紙を認めるのだった。
◇◆◇
かくして、父親の苦悩を知る由もないレイはというと――
型紙と二十センチほどある鉄製のハサミを眼前に、レイはおじさんから雑な説明を受けていた。
「この型紙に合わせて生地を切っていけ」
「はーい!」
そう元気よく返事をすると、すぐさま作業に入ろうとした。
しかし持った瞬間、ズシリ。想像以上の重みが右手に伝わり、驚愕する。
「おんも……え、ちょっと待って……これ100kgくらいあるよね!? なにこれ、私の腕破壊する気!?」
そんなレイの発言に、彼は苦笑をひとつ。鼻を鳴らし、訂正する。
「100kgもねえよ。せいぜい500から1kg程度だ」
「え、500だったらペットボトルくらいだよね!? 1Kgでもペットボトル2本分! 意外と軽いじゃん!」
とはいえ、彼女が知っているハサミは軽量化され、その重さはおおよそ30〜40g程度。
その事実を知らないレイは、ペットボトル2本分くらいなら余裕! と鼻息荒く、早速裁断を始めようとした。
しかし――
プルプルと腕が震え、全く照準が定まらない。それでも無理やり鋏を開き、カーテンを切ろうとするが、残念無念また明日〜。
握力が足りずに刃が上手く閉じることができない。閉じることができないということは、裁断ができないということ。
そんな嬢ちゃんの様子を認めた彼は、鬱々とした息を吐き出すと、苛立ちを隠すことなく舌打ちをする。
(はあ……。流石にこれを嬢ちゃんにやらせるのはリスクが大きすぎるな。このまんまじゃ、失敗するたびに生地が減っちまう)
だが、使えない人間がここにいたとしても意味がない。彼はどうするかと考えることなく、戦力外通告を言い渡した。
「今日はここまでだ」
だが、レイは諦めない。いや、ここで戦力外通告をされてしまえば、ドレス作りが頓挫してしまう恐れさえある。そうなれば、待つのはシリウスに首を刎ねられるエンド。レイはおじさんの服の袖をギュッと掴むと、必死な様子で食い下がった。
「ダメ!」
だが、ダメと感情的に拒絶されたところで、その意思表示になんの意味もない。ゆえに彼は、事実だけを突きつける。
「どうせお前にはできないだろ?」
「で、でき――がんばる! ちゃんと、切る! だから……」
その態度から察するに、彼が伝えたいとすることは何ひとつ嬢ちゃんには、伝わっていないということ。
「はあ……」
嬢ちゃんの鈍さに呆れを覚えながらも、ここで食い違いを起こしたところで意味がない。彼は自身の髪をくしゃりと掴みながらも、若干苛立った様子のまま。言葉をほんの少し噛み砕き言い直す。
「はあ……。何を勘違いしているのかは知らないが、裁断は俺がやっておく。お前がいると邪魔だから今日は帰れと言ってるんだ」
瞬間。
「え?」
レイは目をまん丸に見開きながらも、僅かに首を斜めに捻り――数拍。不安を孕んだ声音で問いかけた。
「……ドレス、ちゃんとできる!?」
「さあな? それはお前の努力次第だ。とはいえ、裁断は今日中にやっといてやる。だから、お前はもう帰れ」
レイは終始、冷たい物言いのおじさんに、ほんの少し不安を覚えながらも、ここで食い下がっても意味がない。そもそも戦力外通告を受けたのは“裁断”のみ。
(ドレス……ちゃんとできるのかな?)
彼女は内心で懸念を吐き出しながらもぽつり。
「……分かった。明日、絶対来るから!」
若干顔を伏せながらもそう宣言すると、渋々店を後にするのだった。




