第二十四章 花印の伝票
花印の伝票は、本物に似ていた。
似ている。
けれど、同じではない。
カロス葬具店から借り受けた正式控えと、ラウルの店に紛れていた花印の伝票を、保管所の机に並べると、その違いは少しずつ浮かび上がってきた。
左に正式控え。
右に花印の伝票。
品名は同じ。
保存香粉。
棺布用香油。
石灰粉。
だが、紙が違う。
「正式控えの方が厚いです」
僕は指では触れず、封具越しに紙の端を持ち上げた。
「花印の伝票は少し薄い。光を通すと繊維が粗い」
セリアが頷く。
「記録してください。正式控えに似ているが、紙質は一致しない」
「はい」
僕は手帳に書く。
似ている。
一致しない。
その二つを分ける。
以前の僕なら、ここで「違う可能性があります」とだけ書いただろう。
でも今は、違う場所を具体的に残す。
「切り取り線も違います」
僕は続けた。
「正式控えは細かい点線です。花印の伝票は、点の間隔が少し広い。切った時の端も荒い」
バルト主任が横から覗き込む。
「欄の位置もずれているな」
「はい。受取印の欄が正式控えでは右下。花印の伝票では左下寄りです」
「雑な偽物か」
「雑というより、外見を似せることを優先して、使う人間の手順までは知らなかったように見えます」
言ってから、僕はセリアを見た。
「仮説です」
「そのまま記録してください」
セリアは短く言った。
「似ていることと、同じであることを混同しない。今の整理は必要です」
褒められたわけではない。
でも、否定もされなかった。
それで十分だった。
マルク・レインは、伝票の端にある花印を見つめていた。
不格好な花。
花びらが一枚多く、茎が少し曲がっている。
「これは、トマの印に似ています」
マルクが言った。
声は掠れていた。
「子供向けの薬札に描いていた花です。リナの薬にも、同じような花を描いていました」
「本人の印ですか」
セリアが問う。
「似ています。ただ……」
マルクは言いかけて、咳き込んだ。
ひどく短い咳だった。
けれど、喉の奥を削るような音がした。
「マルクさん」
僕は思わず椅子を引いた。
「少し休んでください」
「大丈夫です」
「その言葉は、もう信用されていません」
マルクは苦笑しようとして、また咳をした。
セリアが冷静に言う。
「休息を取るべきです」
「リナが助かってから休みます」
「あなたが倒れれば、リナを助ける手が減ります」
「分かっています」
「分かっているなら」
「ですが、これはトマのことでもあります」
マルクの声が少しだけ強くなった。
「あの子が犯人なのか、警告しようとしていたのか。私が知っている癖は、今言わなければならない」
セリアは少しの間、彼を見ていた。
「短く。無理をしたら止めます」
「はい」
マルクは椅子に座ったまま、花印を指さした。
「トマの花は、たいてい茎が右に曲がります。これは同じです。花びらが一枚多いのも同じ」
「では本人?」
「ただ、トマが急いで描くと、花びらの一枚が潰れます。これは潰れていない。丁寧すぎる」
「以前の簡略記号と同じですね」
僕は言った。
「本人の癖に似ている。でも、整いすぎている」
マルクは頷いた。
「ええ」
セリアが整理する。
「可能性は三つ。トマ本人が丁寧に残した。第三者がトマの印を模倣した。あるいは、トマ本人の印を何らかの方法で転写した」
「はい」
僕は手帳に書いた。
事実:花印はトマの印に似る。
事実:ただし急ぎ描きの潰れがない。
仮説一:トマ本人が意図して丁寧に残した。
仮説二:第三者が模倣した。
仮説三:本人の印を転写または逆用した。
トマが警告のために残したなら、花印は危険を示す目印だ。
けれど犯人がトマを疑わせるために使ったなら、花印は罠になる。
花一つで、意味が反転する。
「トマは、危険を知らせる時に印を使うことがありましたか」
僕が聞くと、マルクは考え込んだ。
「正式なものではありません。ただ、子供の薬札では、飲み間違いを防ぐために印を使っていました。花はリナ用。月は夜。太陽は朝」
「なら、花印はリナに関わるものを示すためだった可能性があります」
「あります」
マルクは苦しそうに言った。
「ですが、それは私がそう願っているから、そう見たいだけかもしれません」
その言葉には、疲れと誠実さがあった。
セリアは即座に言った。
「願望と証言を分けてください。あなたの願望は記録しません。作業癖は記録します」
「分かっています」
「なら続けて」
冷たい。
でも正しい。
マルクはもう一度、花印を見た。
「トマが警告のために印を残した可能性はあります。リナに関わる危険だと示すために」
「犯人が逆用した可能性は?」
「あります。トマの薬札を見た者なら、真似できる」
僕はそこで花印の伝票を裏返した。
紙の裏に、薄い跡があった。
最初は汚れかと思った。
だが、光に透かすと文字のように見える。
「裏に何かあります」
セリアが近づいた。
「転写跡?」
「たぶん。別の紙の上で強く書かれた文字が、下の伝票に写った」
僕は紙を斜めにし、光の角度を変えた。
薄い線。
途切れた文字。
完全には読めない。
けれど、いくつかの語が浮かんだ。
声。
軽い。
消す。
背筋が冷えた。
「読める部分だけで」
セリアが言う。
僕は喉を湿らせた。
「……“声の軽い者から消す”」
室内が静まり返った。
声の軽い者。
ニナ。
サラ。
ルイス。
リオ。
ピム。
リナ。
見習い。
子供。
下位職員。
証言しても、上の記録に押し潰される人たち。
マルクが低く呟いた。
「軽い声など、ない」
その声には怒りがあった。
咳で掠れていても、はっきり怒りだった。
セリアは伝票の裏を見つめる。
「これは、犯人の思想かもしれません」
「弱い立場の人間から消す、という意味ですか」
僕が言うと、セリアはすぐには答えなかった。
「断定はしません。ただし、これまでの名義利用と一致します」
僕は手帳に書いた。
転写跡:声の軽い者から消す。
弱い証言・下位名義の利用と関連の可能性。
筆先が止まりかける。
軽い声。
そんなものはない。
ただ、軽く扱う制度があるだけだ。
僕は花印の伝票を見た。
正式控えに似せた偽物。
トマの印に似た花。
裏に残った、不穏な言葉。
この伝票は、購入の証明ではないかもしれない。
警告かもしれない。
罠かもしれない。
けれど一つだけ、はっきりした。
誰かは、最初から弱い声を消すつもりで動いている。




