第十九章 まねごとの罪状記録
保管所の机の上に、三つの紙が並んだ。
一つ目は、最初の罪状記録。
――薬師マルク・レインは、夜明け前に少女リナ・ベルを毒殺した。
二つ目は、搬入口に置かれていたピムの紙片。
――少年ピム・ロウは、夜明け後、眠りから戻らない。
三つ目は、カロス葬具店の荷札。
保存香粉。
棺布用香油。
石灰粉。
端には、トマの花印。
薬房外の毒。
葬具店。
トマの痕跡。
以前外へ広がった事件は、また紙の上へ戻ってきた。
それが嫌だった。
でも、ここで目を逸らせば、また誰かの声が紙に負ける。
「まず、これは正式な罪状記録ではありません」
バルト主任がピムの紙片を指で叩いた。
「受理印がない。文書番号がない。証言欄がない。紙質も粗い。こんなものを正式記録として受け取る職員がいたら、俺が棚に詰める」
「主任、それは処分ですか、収納ですか」
「両方だ」
相変わらず物騒な人だ。
セリアは主任の横で紙片を見ていた。
「ただし、文体は似ていますね」
「似ている」
主任は不機嫌そうに認めた。
「それが腹立たしい。素人のまねごとにしては整いすぎている」
「どこが似ていますか」
セリアが僕を見る。
問われた。
以前なら、僕はまず逃げ道を探した。
今も少し探した。
でも、手帳にはもう癖がついている。
事実。
仮説。
断定できないこと。
分ければ、言える。
「事実として、この紙片は正式記録ではありません」
僕は言った。
「受理印も文書番号も証言欄もない。罪状記録としては未完成です」
セリアが頷く。
「続けて」
「仮説として、書いた人物は正式記録の文体を知っています。主語、時刻、対象、結果の並べ方が近い」
僕は二つの文を並べて示した。
「薬師マルク・レインは、夜明け前に、少女リナ・ベルを、毒殺した。少年ピム・ロウは、夜明け後、眠りから、戻らない」
「構造は同じですね」
「はい。職名または身分、名前、時刻、対象または状態、結果。語順が内部文書に寄っています」
主任が腕を組んだ。
「外の連中が真似るなら、もっと芝居がかる。“恐ろしき毒薬師”とか“哀れな少年”とか余計な言葉を足す」
「主任、例が少し劇的です」
「黙れ。分かりやすいだろうが」
「分かりやすいです」
実際、分かりやすかった。
ピムの紙片には、余計な感情がない。
それが不気味だった。
脅迫文のくせに、正式記録のように冷えている。
「ですが、違いもあります」
僕は続けた。
「最初のマルク記録は正式受理済みです。受理印もあり、文書番号も整っている。一方、ピム紙片は未受理の脅迫文です」
「つまり?」
セリアが問う。
「犯人は記録文を作れる。けれど、正式受理までは毎回できるわけではない」
言ってから、僕はすぐ付け加えた。
「仮説です。ただ、現時点では整合します」
セリアは僕を見た。
咎める目ではなかった。
確認する目だった。
「内部協力者がいるとしても、受理印を常時自由に使える立場ではない?」
「はい。最初の記録は正式受理されていた。でもピム紙片はそこまで行っていない。特定の時間、特定の記録経路、あるいは別の協力者が必要なのかもしれません」
バルト主任が頷いた。
「受理印を自由に使えるなら、ピムの紙片にも押せばいい。押せなかった理由がある」
「主任」
セリアが言う。
「正式記録なら必ずある欄を、もう一度」
「受理印。文書番号。証言欄。担当者欄。搬入束番号。保管棚番号。最低でもそれだけはいる」
「ピム紙片には?」
「ない。何もない。紙切れだ」
「しかし文体は内部文書に近い」
「そうだ」
主任は苦い顔で紙片を睨んだ。
「書いたやつは、罪状記録を読んだことがある。しかも一度や二度じゃない。語順の癖を知っている」
セリアは指先で机を軽く叩いた。
「整理します」
その声を聞くと、部屋の空気が少しだけ整う。
彼女はこういう時、本当に強い。
「一つ。ピム紙片は正式記録ではない。二つ。文体は正式罪状記録に似ている。三つ。最初のマルク記録は正式受理済み。四つ。ピム紙片は未受理。五つ。したがって、文書を書いた者と正式受理を行える者が同一とは限らない」
「書いた者、運んだ者、受理した者を分けるべきです」
僕は言った。
セリアがこちらを見る。
「続けて」
「以前の上書き構造も同じです。名前を書かれた見習いと、実際に記録を動かせる人間は同じではないかもしれない。だから、文書を書いた人物、保管所へ入れた人物、受理印を通した人物を分けて考える必要があります」
「妥当です」
久しぶりに聞いても、やはり少し胃に悪い。
でも、今はその胃の悪さに逃げたくはなかった。
僕はピム紙片を見た。
粗い紙。
未完成の書式。
それでも、文の冷たさは最初の罪状記録と似ている。
ふと、筆圧が気になった。
「紙を傾けてもいいですか」
セリアが頷く。
「触れずに」
僕は紙片の端を封具で持ち、斜めから光に透かした。
文字の一部が、紙の裏まで沈んでいる。
強い筆圧。
特に、「戻らない」の終わり。
戻らない。
その最後の空白に、力が残っている。
僕は最初の罪状記録を思い出した。
証言欄。
名前のない空欄。
書くべき場所に、何も書かなかった跡。
でも、行末にだけ強い筆圧が残っていた。
「主任」
「何だ」
「最初の罪状記録をもう一度」
主任は封箱から記録を出した。
僕は二枚を並べる。
マルク罪状記録の証言欄。
ピム紙片の「戻らない」の後。
どちらも、言葉が終わった後に力が残っている。
書いた人間が、終わりの場所で手を止め、押し込むように筆を置いた跡。
癖だ。
「一致しています」
僕の声は、自分で思ったより低かった。
セリアが近づく。
「何が」
「筆圧です。ピム紙片の“戻らない”の終わりと、最初の罪状記録の証言欄の空白。どちらも、文字の後の空白に筆圧が残っている」
バルト主任が覗き込む。
「……確かに」
「普通、空白には力が残りません。でもこの二つは、書かなかった場所に力がある」
僕は喉が乾くのを感じた。
「同じ人物が、両方の文書作成に関わっている可能性が高いです」
室内が静まり返った。
最初の正式記録。
ピムの未受理紙片。
正式受理できる者は限られる。
だが、文を書いた者は同じかもしれない。
つまり犯人は、最初からずっと同じ筆圧で、書かない場所に力を残していた。
セリアは紙片を見つめた。
「証言欄を空白にした者と、ピムを脅した者がつながった」
夜明けはもう近い。
それでも、紙の上の事件は終わらない。
僕は二枚の紙の空白を見ていた。
何も書かれていない場所が、いちばん多くを語っていた。




