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世界は僕の嘘を記録していた ―生きている少女の毒殺記録―  作者: 紫護切嫁
第一部 毒殺記録はまだ閉じていない

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第十五章 薬房の外から来た毒

 夜明け前まで、あと三十分。


 机の上に並んだ証拠品は、どれも小さかった。


 封じられた匂い袋。

 リナの髪紐。

 蜂蜜湯の杯。

 壁から削り取った湿った石粉。

 薬房の在庫表。

 存在しない束番号一三五の補助記録。

 そして、トマの作業箱から見つかった紙片。


 ――あの袋は毒じゃない。運ばせるためのものだ。


 その短い文を、僕は何度も読んだ。


 毒じゃない。

 運ばせるためのもの。


 トマは、何かを見ていた。

 少なくとも、匂い袋がただの匂い袋ではないことには気づいていた。


「もう一度、照合します」


 セリアが言った。


 声は硬い。

 時間がない。リナの体力も限界に近い。

 それでも、彼女は急がせるために証拠を雑に扱うことはしなかった。


 マルク・レインが在庫表を開く。


「まず、匂い袋です。中身は眠りを助ける乾燥花。私の薬房にもあります。香油も、近いものは扱っています」


「眠くなる甘さ、ですね」


 僕が確認する。


 マルクは頷いた。


「リナが言った“眠くなる甘さ”は、薬房由来でも説明できます。蜂蜜湯に混ざっていた成分も、薬房の咳止めに近い」


 彼は次に、封じられた髪紐を見た。


「ですが、髪紐の成分は違います」


 マルクの表情が苦くなる。


「“息が狭くなる甘さ”。リナの言葉は正確でした。これは私の薬房の薬草や香油だけでは作れません」


「断言できますか」


 セリアが問う。


「薬師として断言します」


 マルクは言った。


「この成分は、私の薬房にはありません。少なくとも、通常の在庫、調合台、封鎖された棚、どれからも説明できない」


 室内が静かになった。


 断言。


 僕が怖がってきた言葉を、マルクは選んだ。


 自分がまだ疑われているのに。

 断言が後で自分を追い詰めるかもしれないのに。


「つまり」


 僕は口を開いた。


 喉が少し重い。


 けれど、ここで薄めてはいけない。


 ニナの顔が頭に浮かぶ。

 最後まで聞くって、言ったのに。


 僕は息を吸った。


「リナを殺す毒の本体は、薬房の中にはありません。薬房の外から持ち込まれています」


 言った。


 今度は、「可能性があります」では終わらせなかった。


 マルクが目を閉じた。

 救われた顔ではなかった。


 セリアが僕を見る。


「今の報告は記録に残します」


「はい」


「ただし、マルク・レインが完全に無関係とは限りません。薬房は利用されています。匂い袋の下地、髪紐との接点、トマの失踪。全て残ります」


「分かっています」


 セリアは頷いた。


「ですが、記録上のマルク犯人説は弱まりました。少なくとも、彼が薬房内で直接毒本体を調合したという筋は、現時点の証拠と合いません」


 マルクは小さく息を吐いた。


「私の薬房が、使われたんですね」


 怒りが声に混ざっていた。

 悲しみも。


「私の薬で、私の見習いで、私を信じてくれた子供を」


 彼は拳を握る。


「リナを救うための場所だったのに」


 誰も慰めなかった。


 慰めていい場面ではなかった。


 僕は一三五番の補助記録を見た。


 一三五番。

 存在しない束。

 処理者欄にはニナの名前。

 補助記号はトマの簡略記号に近い。

 だが、完全一致ではない。


 そこに混ざっていたのは、毒ではなかった。

 罪状記録だ。


「一三五番は」


 僕は言った。


 セリアが視線を向ける。


「毒を運ぶ束ではなかったのかもしれません」


「続けて」


「毒本体は薬房外から来ている。匂い袋、髪紐、蜂蜜湯は、それぞれ別の経路でリナへ届いた。でも一三五番に混ざっていたのは罪状記録です」


 僕は補助記録を指さした。


「なら、一三五番は毒を運ぶためではなく、罪状記録を正規の搬入物に見せるための偽装束だった可能性があります」


 バルト主任が低く唸った。


「存在しない束を作り、未整理箱へ仮置きしたことにした。そこへ罪状記録を紛れ込ませた」


「はい」


「処理者欄にはニナの名前」


 主任の声が重くなる。


「つまり、ニナは毒の経路ではなく、記録改竄の経路に使われた」


「そう見ます」


 今度は言い切った。


 完全な救済ではない。

 ニナの名前はまだ記録にある。

 彼女がどう関わったか、完全には証明できていない。


 でも、少なくとも。


「ニナさん単独で毒を運んだ、という筋は弱まります」


 僕は言った。


「一三五番は毒本体ではなく、罪状記録を運ぶための偽装だった可能性が高い」


 セリアは僕をじっと見た。


「その形で記録してください」


「はい」


「ニナを救ったわけではありません」


「分かっています」


「ですが、疑いの向きは変わります」


 その言葉だけで、少しだけ息ができた。


 許されたわけではない。

 挽回できたわけでもない。


 ただ、今度は見えていることを薄めなかった。


 マルクはトマのメモ断片を見つめていた。


「あの子は、止めようとしていたのかもしれない」


「まだ断定はできません」


 セリアが言う。


「ええ。分かっています」


 マルクは苦く笑った。


「分かっています、という言葉が、こんなに重いとは思いませんでした」


 僕もそう思う。


 分かっています。

 記録上は。

 判断することではありません。


 軽く使ってきた言葉ほど、重く戻ってくる。


 その時、廊下から足音が近づいた。


 職員が息を切らして入ってくる。


「フォール監察官」


「何ですか」


「搬入口に、これが」


 差し出されたのは、一枚の紙片だった。


 小さい。

 罪状記録ほど整ってはいない。

 だが、書式は似ている。


 セリアが受け取り、机に置く。


 僕はその文を読んだ。


 ――少年ピム・ロウは、夜明け後、眠りから戻らない。


 背筋が冷えた。


 ピム。


 以前、手袋の男を見ていた少年。

 肉入りの食事を要求して、セリアに「巻き込まれた子供です」と言わせた、あの子。


「これは正式記録ではありません」


 バルト主任が即座に言った。


「受理印もない。文書番号もない」


「ですが、書式は寄せています」


 僕は紙片を見た。


 夜明け後。

 眠り。

 戻らない。


 毒殺とは書かれていない。

 けれど、意味は一つだ。


 次はピムを狙う。


 マルクの顔が強張る。


「なぜ、その子が」


「証言者だからです」


 セリアの声が低くなる。


「手袋の男を見た子供」


 夜明け前まで、あと三十分。


 リナを救うために辿りついた小さな真相の先で、犯人はもう次の紙を置いていた。


 紙の上の殺人は、まだ終わっていない。

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