表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
正解圏外 – The Outside of the Answer – 灰歴のアリア編  作者: 咲凪すず


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/50

【1部】第8話「正しさの檻」

人は、正しいことをしたいと思う。

誰かを助けること。

嘘をつかないこと。

約束を守ること。

間違っていることを、間違っていると言うこと。

それが「正しいこと」だと、私たちは教わってきた。

けれど、もし——

正しいことをしたせいで、誰かが傷ついたら。

正しいことを選んだせいで、守れない人が出たら。

それでも、それは「正しい」と言えるのだろうか。

この国では、未来を知ることができる。

多くの人が泣く未来がわかっていても、

それでも目の前の人を助けることは、正しいのだろうか。

あるいは、

多くの人を守るために、目の前の一人を見捨てることは、正しいのだろうか。

正しさは、人を救う。

でも同時に、正しさは人を追い詰める。

それでも人は、正しくあろうとする。

なぜならきっと、

正しくなければ、どこにも進めないからだ。

これは、正しさの話。

そして——

正しさを選び続ける人の話。

白い都市だった。

アウレリアの白とは違う。

あちらの白は、計算された白だ。

ここ、セラフィアの白は、祈るような白だった。

だがアリアには、それが少しだけ息苦しく見えた。

空中に浮かぶ幾重もの環。

都市の中心から天へ伸びる光柱。

白と金で統一された神殿群。

巡礼者たちは声を荒げることなく、静かに列を作って歩いている。

静かすぎる、と思った。

「きれいです」

アリアが言うと、隣を歩く真白は少しだけ笑った。

「きれいなものほど、壊れやすい」

真白は黒い服に黒いロングコートだった。

白い都市の中で、その黒だけが妙に現実の色をしている。

「ここは、何をしている国なんですか」

「神を信じている国じゃないよ。神を扱っている国だ」

アリアは少しだけ首を傾げた。

「扱う……?」

「神託、封印、結界、奇跡。

全部、昔の技術だ。

ここは、それを宗教って形で管理してる」

神を信じているのではなく、神を運用している。

そういう国だった。

門が見えてきた。

巨大な白金の門。

その前に、巡礼者と聖騎士の列。

そして、少しだけ騒がしい一角があった。

担架がひとつ、地面に降ろされている。

担架の上の男は、全身を拘束具で巻かれていた。

その隙間から、黒い脈のような汚染が見えている。

周囲の人々は距離を取っていた。

近づかない。

けれど、目は離さない。

誰かが小さな声で言った。

「封印区から搬送されたらしい」

「神託が出たって」

「助けるなって……」

「でも、まだ生きてる」

アリアは、その中心に立つ人物を見て、足を止めた。

白と金の礼装。

青い細い差し色。

真っ直ぐに立つ姿勢。

フィリアだった。

その少し後ろに、レオニスが立っている。

位置関係だけでわかる。

この場で決めるのは、フィリアの方だ。

フィリアが言った。

「門は開けません」

アリアは少し驚いた。

助ける側の言葉ではないと思ったからだ。

だがフィリアは続けた。

「市街には入れません。ここで隔離し、ここで治療を行います」

周囲がざわつく。

レオニスが低い声で言った。

「……それは最悪だ」

フィリアは振り返らない。

担架の男を見たまま言う。

「理由を」

短い言葉だった。

だが、説明を求める側の声だった。

「封印区由来の汚染は性質が読めない。ここで治療を始めれば、門前の人員も巻き込まれる可能性がある」

「市街に入れれば、なお危険です」

「だから言っている。助けるなら場所を選べ」

フィリアは静かに答えた。

「選んでいます。ここが最も被害を限定できます」

レオニスはわずかに眉を寄せた。

理想論ではなく、判断として返ってきたからだ。

それでも彼は退かない。

「限定できる、で止めるな。限定しきれなかった時、誰が責任を負う」

フィリアは即答した。

「私です」

その場にいた何人かが息を呑んだ。

軽く言ったのではない。

本当に自分が負うつもりの声だった。

レオニスは言う。

「ひとりで負える責任じゃない」

「ええ。ですから、私の名で命じます」

空気が止まった。

命令だった。

聖騎士たちが一斉に膝をつく。

神官たちが頭を垂れる。

フィリアは担架の男を見下ろしたまま言った。

「この者は救命を優先します。裁きはその後です。

罪と治療は分けなさい。

死なせてから秩序を語ることを、私は認めません」

アリアは息を止めた。

正しいことを言っているからではない。

正しいと思うことを、命令として引き受けているからだ。

レオニスだけが頭を下げなかった。

「あなたは正しい」

彼はそう言った。

「だが、正しい判断は結果まで含めて引き受けるものだ」

フィリアの目が細くなる。

「そのつもりです」

「違う」

レオニスの声が少しだけ重くなった。

「助けると決めることが正しさじゃない。

助けた結果、誰が傷つくかまで見ることが正しさだ」

フィリアはすぐには答えなかった。

そのとき、神託殿の鐘が鳴った。

白い神官が封書を持って走ってくる。

フィリアはそれを受け取り、封を切った。

少しだけ、目が止まる。

「……何と出た」

レオニスの問いに、フィリアは数秒遅れて答えた。

「『この者を救えば、多くが泣く』」

ざわめきが広がる。

「救うなって意味だ」

「神託だぞ」

「神がそう言ってる」

だがフィリアは封書を閉じた。

「それでも、救命措置を取ります」

神官たちまで顔色を変えた。

「神託に逆らうおつもりですか」

フィリアははっきり言った。

「神託は決定ではありません。未来観測は判断材料です。

決めるのは、今ここにいる私たちです」

アリアの胸が大きく打った。

この人は、正しさを神に預けない。

自分で決める側に立っている。

それは強さだった。

そして、とても重い強さだった。

担架の男が、かすかに目を開いた。

「……しに、たく……ない」

その声は、ただの人間の声だった。

罪人の声でも、汚染者の声でもない。

ただ、死にたくない者の声だった。

アリアは一歩前に出た。

「私なら、助けます」

レオニスが低く言う。

「おまえは黙ってろ」

「黙りません。

でも、助ければいいって話でもないのも、わかります」

フィリアがアリアを見る。

「では、どうするのです」

アリアは答えられなかった。

助けたい。

でも、そのせいで誰かが死ぬならどうする。

正しさはどこにある。

そのとき真白が小さく言った。

「来るよ」

次の瞬間、担架の男の身体を黒い光が走った。

拘束具の隙間から濁った光が漏れ出す。

空気がざらつく。

周囲の結界が軋む。

「マナ暴走!」

聖騎士たちが一斉に動く。

フィリアはすでに前へ出ていた。

青白い光が彼女の背後に立ち上がる。

白い羽のようなマナ構築体が静かに展開する。

光輪がいくつも重なり、足元に魔法陣が広がる。

「結界騎士、展開。市街との境界を固定します」

聖騎士たちのフレームが儀式のような動きで配置につく。

白金の光が重なり、半透明の結界ドームが形成される。

だが、暴走は止まらない。

結界の表面にひびのような光が走る。

レオニスが言う。

「間に合わない。切り捨てろ」

「まだです」

「今止めなければ、外にいる全員が危険だ」

「それでも、まだ助けられる」

レオニスの声が初めて強くなる。

「あなたの正しさで、何人巻き込むつもりだ!」

その言葉に、フィリアの表情が一瞬だけ歪んだ。

だが、退かなかった。

アリアはその顔を見て、思った。

この人は、正しさで人を殴っているんじゃない。

正しさから逃げないで、ここに立っているんだ。

結界の一部が破れ、黒い粒子が外へ飛ぶ。

アリアは反射的に走った。

灰剣を抜き、空中のマナの収束線を断ち切る。

粒子の拡散がわずかに乱れる。

レオニスは群衆の避難を優先していた。

最短の退路を作り、門前の人間を壁際へ誘導する。

フィリアは中央で、ひとり踏みとどまる。

「まだ、生かせる……!」

光輪が幾重にも重なり、暴走するマナを押さえ込む。

それは攻撃ではない。

均そうとしている。

祈るように、均そうとしている。

担架の男が、薄く目を開いた。

「……なんで」

フィリアは答えた。

「私は、人を見捨てたくありません」

「おれ……何人も……」

「知っています」

「それでも……?」

フィリアは言った。

「それでもです」

男の目から、涙が一筋落ちた。

次の瞬間、暴走が静かに止まった。

だが同時に、男の呼吸も止まった。

静寂が落ちた。

光輪が消える。

結界が消える。

誰もすぐには喋らなかった。

レオニスがフィリアの横に立った。

「……これが現実です」

フィリアはしばらく黙っていた。

それから小さく言った。

「ええ」

「それでも、同じ命令を出しますか」

少しだけ間があって、フィリアは答えた。

「出します。

見捨てることを、先に正しさにしたくない」

レオニスは何も言わなかった。

フィリアは続けた。

「ですが、このままでは足りません。

次は、これでも救える形を作ります」

それは言い訳ではなかった。

決意だった。

レオニスは短く言った。

「……なら、その正しさで守れる範囲を増やしてください」

それは否定ではなかった。

承認でもなかった。

ただの現実だった。

群衆の中から、誰かが言った。

「結局、死んだじゃないか」

フィリアの肩が、わずかに揺れた。

アリアは振り向いたが、何も言い返せなかった。

真白が静かに言った。

「死なせなかった、とは言えない。

でも、死ぬまで人として扱った」

誰も言葉を返せなかった。

人が少なくなったあと、アリアはフィリアに聞いた。

「正しいって、何なんですか」

フィリアは少し考えてから答えた。

「私にも、まだわかりません」

アリアは目を見開いた。

「わからないのに、あんなふうに決めるんですか」

「わからないからです」

フィリアは静かに言った。

「わからないから、決め続けるしかないのです」

アリアは言葉を失った。

この人は、正しさを知っている人じゃない。

正しくあろうとして、決め続ける人だ。

それは強さだった。

でも、とても苦しそうな強さだった。

帰り道、アリアは空を見上げた。

国家は、責任で決める。

では、正しさは何で決まるのか。

神託か。

結果か。

多数か。

責任か。

答えは出ない。

真白が聞いた。

「どうしたい?」

アリアは少し考えてから言った。

「私は、正しさだけでは決めたくないです」

「うん」

「でも、正しくありたいと思う人を、間違いだとも言いたくない」

真白は小さく笑った。

「それでいい」

アリアは白い都市を振り返った。

正しさは、人を救う。

でも、人を追い詰めることもある。

それでも人は、正しいと思う方へ進もうとする。

その先に、正解があるのかもしれない。

でも。

「……私は、まだ選びたい」

白い光柱が、静かに空へ伸びていた。


第8話「正しさの檻」了

正しさとは何か。

その問いに、はっきり答えられる人は、たぶんいない。

法律かもしれない。

神様かもしれない。

多数決かもしれない。

結果かもしれない。

責任かもしれない。

けれど実際には、

そのどれでもなく、

「誰かが決めている」ものなのかもしれない。

正しいからやるのではなく、

やると決めた人が、それを正しいと呼んでいるだけなのかもしれない。

正しさは、光のように見える。

けれど近づきすぎると、刃のようにも見える。

誰かを守る正しさは、

別の誰かを見捨てる正しさになることがある。

それでも人は、正しくあろうとする。

間違っていたくないから。

自分が選んだことを、間違いにしたくないから。

国家が決めるもの。

正しさが決めるもの。

そして、正解が決めるもの。

この世界には、いくつもの「決めるもの」がある。

では——

最後に決めるのは、いったい誰なのだろうか。

その問いは、まだ終わらない。

物語は、次の答えへ進む。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ