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正解圏外 – The Outside of the Answer – 灰歴のアリア編  作者: 咲凪すず


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【1部】第3話「決められた人生」

人は、自分で決めて生きていると思っている。

どこに住むか。

何の仕事をするか。

誰と生きるか。

何を続けて、何をやめるか。

それを、自分で選んでいると思っている。

けれど、もしそれが最初から決められていたとしたら。

あなたに向いている場所。

あなたに向いている仕事。

あなたに向いている生き方。

それを、あなたよりも正確に決めるものがある世界だとしたら。

それでもそれは、あなたの人生だと言えるのだろうか。

この話は、

「正解が人生を決める世界」の、

とても小さな出来事の話です。

朝の中層は、下層より明るかった。

光は白く、通路は清潔で、空気には余計な匂いがない。

同じ形の建物が並び、同じ幅の道が続き、人の流れは乱れなく進んでいく。

誰も急がず、誰も立ち止まらない。

街そのものが、決められた速度で呼吸しているみたいだった。

アリアは、人の流れから少しだけ外れた通りを歩いていた。

大通りから一本入っただけで、空気は少し変わる。

規格化された建物の間に、小さな店が並ぶ一角があった。

中層にしては珍しく、看板の形が少しずつ違う。

窓辺に植木のある店。

手書きの札を下げた店。

扉の横に、小さな椅子が出ている店。

その中に、焼きたての匂いを流しているパン屋があった。

「……いい匂い」

アリアが言うと、半歩後ろを歩いていた真白が答えた。

「ああ」

真白はいつも通り、半歩後ろにいる。

白い衣服。静かな目。余計なことは言わない。

アリアは店先に並んだ丸いパンを見て、少しだけ目を細めた。

中層の店にしては、形が少しいびつだった。

完璧に揃っていない。

焼き色にもわずかな差がある。

でも、その揺らぎが、妙に人間らしく見えた。

「こういうの良いなぁ」

「そう」

「ちゃんと、誰かが作った形」

真白は店の中を見た。

「実際、誰かが作ってるからな」

店の奥から、低い声が返ってきた。

「聞こえてるぞ、お嬢ちゃん」

パン屋の男だった。

年は四十代くらいだろうか。

腕は太く、前掛けには粉がついている。

顔立ちは厳ついのに、パンを並べる手つきは妙に丁寧だった。

アリアは少しだけ笑った。

「悪い意味じゃありません」

「分かってる」

男はそう言って、焼き上がったばかりの小さな丸パンを木の盆に乗せた。

「今日は少し焼きすぎた。端のやつなら安くする」

「ほんとですか?嬉しいです」

店の隅で待っていた子供が顔を上げた。

七つか八つくらいの男の子だった。

「おじさん、今日は甘いやつある?」

「ある。だが朝から甘いのばっかり食うな」

「一個だけ」

「一個だけならいい」

男は苦笑して、小さな砂糖がけのパンを袋に入れた。

子供はそれを両手で受け取って、嬉しそうに笑う。

その顔を見て、アリアは胸の奥が少しだけやわらかくなるのを感じた。

この街にも、こういう朝はある。

誰かがパンを焼いて、誰かがそれを楽しみに来る。

ただそれだけのことが、ちゃんとある。

「いつも来てるの?」

アリアが子供に聞くと、子供は頷いた。

「うん。ここのパン、いちばん好き」

「そうなんだ」

「となりの区画の店より、こっちのほうが好き」

「それ言うと商売敵に怒られるぞ」

男が言うと、子供は悪びれずに笑った。

「でもほんとだもん」

男はため息をつきながらも、少しだけ嬉しそうだった。

アリアはその様子を見て、小さな丸パンを一つ選んだ。

指先に、まだ温かさが残っている。

噛むと、表面は少し固く、中は柔らかい。

どこか素朴で、飾り気がなくて、でもちゃんとおいしい。

「……おいしい」

「そりゃどうも」

その時だった。

通りの空気が、少しだけ変わった。

人の流れが、ほんのわずかに左右へ避ける。

白い制服の行政局員が二人、通りの奥から歩いてきた。

胸元には青い認証光。

無駄のない歩き方。無駄のない表情。

その後ろを、小型の補助端末が静かに浮いている。

パン屋の男が、手を止めた。

行政局員の一人が、店の前で立ち止まった。

「登録番号C-17-45-09。職業従事者名、ガルド・エイン」

男は無言で見返した。

「本人確認をお願いします」

「……俺だ」

行政局員は端末を確認し、事務的な声音で告げた。

「職業適性再判定の結果が出ました」

男の眉がわずかに動く。

「本日付で、再配置通知を行います」

沈黙が落ちた。

焼きたての匂いだけが、そこに残っていた。

「再配置……ですか」

アリアが小さく呟く。

行政局員は端末を横に展開した。

光板に数値と図表が表示される。

「対象者は、手作業反復精度、温度変動環境対応力、長時間維持集中において高い適性値を示しています」

「現在のパン製造業務における適性総合評価はC」

「一方、工業区第七生産ラインにおける適性総合評価はA」

行政局員は淡々と続けた。

「対象者が当該生産区へ移行した場合、月間生産効率は平均十八・四パーセント上昇」

「区域全体では六・二パーセントの資材供給安定が見込まれます」

「現行のパン製造業務については、より高適性の従事者を新規配置予定です」

アリアは静かに聞いていた。

「……拒否は、できるんですか」

行政局員はアリアを見た。

「案件当事者ではない場合、詳細案内は制限されます」

「そうですか」

アリアは少しだけ視線を落とした。

「異議申請制度はあります。ただし、演算結果自体の覆しは原則想定されていません」

「……それで、何か変わるんですか」

行政局員は答えた。

「手続き上の確認が行われます」

「そう、なんですね」

それ以上、アリアは何も言わなかった。

男が口を開いた。

「……俺が抜けても、パン屋は残るんだな」

「はい。別の適性者が配置されます」

「味は変わるか」

行政局員は一瞬止まり、答えた。

「栄養効率および製造安定性は向上します」

男は乾いた笑いを漏らした。

「そういうことを聞いてんじゃねえんだよ」

行政局員は黙った。

分からなかったのだと思う。

何を失うのかが。

通知書だけを残し、行政局員は去っていった。

白い通知板に文字が浮かぶ。

職業再配置通知

対象者:ガルド・エイン

配置先:工業区第七生産ライン

移行日:三十日後

通りの人々はそれを見て、小さく言い合う。

「工業区Aなら、いい配置だろ」

「生活は安定する」

「店は残るんだし」

悪意ではなかった。

本当に、正しいと思っているのだ。

アリアはその声を聞きながら、静かに言った。

「……師匠」

「ん?」

「この街、ちゃんとしてる…」

「うん」

「ちゃんとしてるのに」

アリアは少しだけ言葉を探した。

「ちゃんとしてるほど、人が見えなくなる」

真白は少しだけ目を細めた。

「そう思うなら」

「…」

「忘れなければいい」

「……それだけ」

「それだけ」

アリアは少しだけ困ったように笑った。

「師匠は、いつもそれ」

「…」

「決めるのは、アリアだ」

アリアは少しだけ黙って、それから頷いた。

「……はい」


再配置の日。

輸送車の前で、男が振り向いた時、アリアは言った。

「……あなたは、パン屋でした」

男が振り向く。

「工場に行っても、それはなくならないと思います」

「システムが変えても」

「そうだったことまでは、消えないと思います」

長い沈黙のあと、男は少しだけ笑った。

「……そういうの、困るんだよ」

「どうしてですか」

「残りたくなる」

アリアは何も言えず、ただ頷いた。

輸送車の扉が閉まる。

白い車体が静かに動き出す。

通りには、すぐに元の静けさが戻ってきた。

アリアはしばらくその場に立っていた。

「……これが、正しい」

真白は少しだけ間を置いて答えた。

「そう思う人は多いだろう」

「都市全体で見れば、きっと良くなる」

「ああ」

「店も残る。パンも残る。困る人は少ない」

「…」

アリアは小さく息を吐いた。

「それでも」

少しだけ間を置いて言う。

「……あの人の人生は、あの人のものだったはず」

真白は静かに言った。

「そう思うなら」

「はい」

「君が忘れなければいい」

アリアは少しだけ笑った。

「師匠は、やっぱりずるい」

「そう」

「でも」

アリアは前を向く。

「決めるのは、私」

「うん」

白い街は、今日も正しく動いていた。

間違いなく。

無駄なく。

誰かの人生を、静かに並べ替えながら。


モノローグ

正解は、よくできている。

人を飢えさせない。

街を止めない。

たくさんの人を困らせない。

だから、たぶん正しい。

でも——

正解は、人生を決める。

どこに住むか。

何をするか。

何に向いているか。

何をやめるべきか。

それを、正しく決めてしまう。

それでも。

何を好きだったのか。

何を続けたかったのか。

何がその人の一日だったのか。

それは、きっと正解の外にある。

正解があっても、

人は選ぶ。


第3話「決められた人生」 了


正しいことは、たぶん正しい。

効率が良くなって、

無駄が減って、

多くの人が少しずつ助かるなら、

それはきっと、間違いではない。

この街は、そうやって動いています。

誰がどこにいるべきか。

誰が何をするべきか。

誰が一番向いているのか。

全部、正しく決められていく。

街は良くなっていく。

生活は安定していく。

困る人は減っていく。

それでも。

その人が何を好きだったのか。

どんな一日を生きていたのか。

何を続けたかったのか。

そういうものは、正解の中には残らない。

正解は、人生を決める。

でも、生き方までは決められない。

もし決められないのだとしたら、

最後にそれを決めるのは、きっと人間です。

正解があっても、

人は選ぶ。

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