【3部】第25話「接触」
触れた。
そのはずだった。
手は届いていた。
声も、出した。
距離も、間違っていない。
だから。
繋がらないのは、そこじゃない。
触れた。
そのはずだった。
掌に残った感触だけが、
遅れて消える。
消えたあとで、
NOMADの右腕は空を切っている。
何もない。
だが、
何かに触れていた記憶だけがある。
接触が、結果に繋がらない。
通路は続いている。
狭い。
そのはずの空間で、
機体はどこにも接触していない。
それでも、
装甲の擦過痕だけが増えていく。
進む。
そう決める。
脚部が沈む。
次の瞬間、
床の感触が胸部装甲まで跳ね上がる。
さらにそのあとで、
機体はまだ同じ位置にあるように見える。
距離が動かない。
結果だけが動く。
壁の亀裂が近い。
遠い。
両方ある。
判断できない。
判断しない。
前を見る。
左肩に、
何かが触れる。
感触だけ。
衝撃は来ない。
遅れて、
機体が横へ流れる。
防いだのか、
押されたのか、
そもそも接触したのか。
どれも確定しない。
通路の先に、人影。
いた。
その認識と同時に、
コックピットの内側ガラスに影が映る。
近い。
前方にもいる。
反射の中にもいる。
距離が一致しない。
輪郭は細い。
立っている。
最初からそこにいたように。
触れれば届く。
そう見える距離。
だが、
そこへ至る経路が存在しない。
カイルの息が乱れる。
「……やめろ」
声は前から聞こえる。
次の瞬間、
背後から同じ声が重なる。
「触るな」
「触れ」
「違う」
「分かるはずだ」
一つの声が、
複数の位置から出る。
アリアは返さない。
前の影を見る。
動いていない。
それでも、
輪郭の端だけが位置を変える。
近づいている。
最初からそこにいた。
両方が同時にある。
右手を上げる。
上げた意志より先に、
影との距離が一段詰まる。
触れた。
そう思った瞬間、
掌には冷たい感触。
だが、
何も掴んでいない。
接触だけが存在し、
対象が存在しない。
影が口を開く。
音は出ない。
代わりに、
空間が歪む。
言葉が届いていない。
言葉そのものが接触していない。
アリアは言う。
「……誰だ」
声は外に出ない。
胸の内側に留まる。
遅れて、
通路の壁がその音を返す。
さらに遅れて、
影の唇が動く。
意味は成立しない。
音と意味が繋がらない。
カイルが前へ出る。
出た記憶より先に、
腕が伸びている。
「セレン」
その名だけが、
一瞬だけ形を持つ。
影がこちらを見る。
視線が合う。
合った瞬間、
その存在は背後にある。
アリアは振り向かない。
背面装甲に、
冷たい感触。
触れている。
だが、
接近した過程が存在しない。
最初からそこにいた。
セレンは動かない。
動いていない。
だから、位置が定まらない。
干渉だけがある。
関係が成立しない。
アリアは腕を伸ばす。
距離を測るため。
指先が空を掴む。
その途中で、
手首の角度が変わる。
何も掴んでいない。
なのに、
掌の内側に感触がある。
その感触は、
次の瞬間、
機体の背面に移る。
接触位置が固定されない。
セレンの輪郭が揺れる。
腕の位置が、
視界の外へ消え、
次の瞬間には
NOMADの肘付近に重なる。
触れた。
触れていない。
両方成立する。
カイルが踏み込む。
「違う、そこじゃない!」
彼の手が伸びる。
同じ動作を繰り返す。
一度。
二度。
三度。
同じ位置へ。
同じ距離へ。
同じ速度で。
触れようとする。
触れれば分かる。
分かれば繋がる。
その前提だけで動いている。
彼の手が、セレンに届く。
届いたように見える。
その瞬間、
肩口が裂ける。
何に触れたのか分からない。
反動が先に発生する。
血が飛ぶ。
床に落ちる前に、
壁に付着している。
原因がない。
結果だけがある。
「違う……違う……」
カイルは止まらない。
もう一度、手を伸ばす。
同じ動作。
同じ軌道。
同じ位置。
何度も繰り返す。
「ここにいる」
「いるはずだ」
「触れた」
「今、触れた」
言葉が崩れながら、
同じ動作を続ける。
繋げようとしている。
接触を、
理解の入口にし続けている。
だから壊れる。
アリアは灰剣端末へ触れる。
接続した感触はない。
だが、
前方の空間に裂線が走る。
一条。
二条。
三条。
振っていない。
そのはずだった。
セレンの輪郭が揺れる。
次の瞬間、
無傷。
代わりに、
遠方の壁面が断裂する。
さらに、
足元の床も割れている。
当たる対象が確定しない。
灰剣は消える。
消えたあとで、
機体の横に光だけが残る。
「当たる」が存在しない。
結果だけが散在する。
カイルが崩れる。
それでも手は止まらない。
床に膝をつきながら、
同じ位置へ手を伸ばし続ける。
「分かるはずだった」
言葉が割れる。
「人なら」
「触れれば」
「繋がる」
「違う」
「違う」
理解を維持しようとして、
接触という前提を手放せない。
だから壊れる。
セレンは変わらない。
最初から繋がっていない。
最初から成立していない。
だから崩れない。
アリアはそれを見る。
自分は違う。
分からなくても動ける。
繋がらなくても選べる。
それだけが残る。
操縦桿を握る。
感触は信用しない。
重さも信用しない。
残るのは方向だけ。
セレンを見る。
届かない。
届いても意味がない。
カイルを見る。
同じ動作を繰り返し続けている。
止まれない。
理解を捨てられない。
アリアは言う。
「……触れなくていい」
声はその場に留まる。
だが今度は、
遅れない。
「分からなくてもいい」
カイルは顔を上げる。
理解は追いつかない。
それでも言う。
「そんなはずは」
文が崩れる。
「人は」
「だって」
「繋がらないと」
アリアは前を見る。
通路は歪んでいる。
距離は意味を持たない。
それでも、
進む方向だけは選べる。
NOMADを前へ出す。
肩が何かを通り抜ける。
何も触れていない。
だが、
冷たい感触だけが残る。
セレンの輪郭が横へずれる。
通過したのか。
重なったのか。
判断しない。
後ろで、
カイルの声が崩れる。
「待て」
その声は届かない。
届いたとしても、
関係にならない。
アリアは振り返らない。
分かり合えない。
触れられない。
繋がらない。
それでも進むことはできる。
一歩。
機体が前へ出る。
遅れて、
背面装甲に触れたような感触。
さらに遅れて、
前方の光が近づく。
カイルの声が消える。
言葉ではなく、
関係が消える音だった。
アリアは進む。
他者に触れることを捨てる。
理解の条件を捨てる。
繋がることを前提にしない。
それでも選ぶ。
それだけを残して、
奥へ進む。
セレンはまだそこにいる。
前にも、
後ろにも。
それでももう、
確かめない。
触れたかどうかではない。
どちらへ行くか。
それだけが残る。
アリアは進む。
第25話「接触」了
触れたかどうかは、分からない。
届いたかどうかも、分からない。
それでも。
進むことだけは、選べた。
だから。
それでいい。




